お城

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川田館跡(山梨県)

川田館跡の感想 川田館跡は武田信玄の父、武田信虎が1519年に『つづじヶ埼』に館を移すまで、甲斐国統治の中心とした居館だったとされ、武田信虎の祖父の武田信昌が館を築いたとされています。幼年期に武田信虎は『川田五郎』と名乗っていたみたいなので、ここ川田館が守護館であった可能性が高いんじゃないかなぁ~って思います。今は畑になっていますが、当時は水源にも恵まれて広大な館であったんじゃないかと思います。周 […]

金窪城(埼玉県)

金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]

雉岡城/八幡山城(埼玉県)

雉岡城/八幡山城の感想 雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城を築き移っていったとされています!!! 鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじ […]

跡部氏館跡(長野県)

跡部氏館跡の感想 『武田信重館跡/武田信重の墓』を作ってて、めちゃめちゃ気になって『あれ?昔、どこかで見かけた武将だなぁ・・・』って過去の写真をひっくり返してみたら・・・ありました!(●^o^●) 長野県佐久市にありました『跡部氏館跡』です( `ー´)ノ 小笠原氏の嫡家であった伴野時長の次男の跡部長朝に始まる。その中心地がこの『跡部氏館』です!(=゚ω゚)ノ  跡部氏館跡は千曲川に面した跡部集落の […]

武田信重館跡/武田信重の墓(山梨県)

武田信重館跡/武田信重の墓の感想 武田信重は甲斐源氏第14代目当主であり武田氏第11代目当主でもあります。武田信重の父をたどっていくと父:信満→信春→信成→武田信武(本人は甲斐武田の当主、弟が初代安芸武田氏の武田氏信)に辿り着きます(^◇^) 武田信重が誕生したころの甲斐国は管理下に置く鎌倉府の支配国のひとつでしたが、京都に置く室町幕府で何事も決定される複雑な国運営をしていた様です。室町幕府側は逸 […]

勝山城 / 甲斐勝山城(山梨県)

勝山城 / 甲斐勝山城の感想 勝山城は山梨県だけでも全国的に見ても城・館も含め複数ありますね。『勝』とつけて何かと縁起のいい名称なんでしょうか?(●^o^●) 山梨県では県指定史跡となっている勝山城(山梨県都留市)有名で、こっちの勝山城(甲府市)は・・・あえて『勝山城/甲斐勝山城』とさせて頂きました( `ー´)ノ こっちの勝山城は甲斐国では名門氏族の油川氏の居城であったと云われています。古い平山城 […]

一条氏館跡/一条氏塁跡(山梨県)

一条氏館跡/一条氏塁跡の感想 上野城/甲斐上野城から直ぐ目と鼻の先に『一条氏館跡/一条氏塁跡』があります。(`・ω・´)ゞ 一条信龍の居館址であり一条信龍は武田二十四将のひとりとされています。 一条家は武田氏の有力分家であったようですが鎌倉時代に途絶えていたため、武田信玄が信龍に名家の一条家を継がせ復活させたようです。因みに・・・一条信龍は武田信虎(武田信玄の父親)の末子みたいですね!(^◇^)信 […]

上野城 / 甲斐上野城(山梨県)

上野城 / 甲斐上野城の感想 んんん・・・・なんだろうなぁぁぁ・・・・(;´Д`) 現在は『歌舞伎文化公園』として整備されている曽根丘陵に・・・ここは『市川團十郎発祥の地』がある文化に富んだ場所の上野城/甲斐上野城があります。立派なお城が建っているのですが・・・歴史的な構造や城らしさを感じません。 この先に『一条氏館跡』があるため、従来はそこと合わせて城があったんではないかと思います。一条氏は武田 […]

祢津城 下の城/禰津城 下の城(長野県)

祢津城下の城/祢津城下の城の感想 禰津氏(ねずし/ねつし)は滋野一族の御三家の一つになります。 禰津氏は、東信濃の名族で古くは平安末期の保元の乱(1156年)や源平合戦の文献にも名前が登場している古くからの士族になります。三家の他の士族にも興味がある方は海野氏の海野氏発祥の郷や望月氏の望月城などが記事になっておりますので読んでいただければと思います。 祢津城についてですが、祢津城は「上の城(かみの […]

椿城/上野城(山梨県)

椿城/上野城の感想 鎌倉時代に小笠原氏の一族だった上野盛長が築いた城と云われています(だから上野城なんですねぇ~)、当時から周辺に椿が多く自生していたころから『椿城』と称されたみたいです。今の案内は上野城ではなく椿城での案内が多々ありますね(≧◇≦) 武田家七代目の当主武田信武の次男大井信明が1350年~1352年頃に領主となったが、その後の椿城は秋山氏が居城としたようです。戦国時代に入ると大井信 […]

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