お城

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富樫館跡 / 守護所(石川県)

富樫館跡 / 守護所の感想 1335年に富樫高家が加賀国の守護大名となり、政務をとった館を築いたのが『守護所』であり『富樫館』とも呼ばれていました。富樫高家を初代と考えそれから1488年に第12代目と(1つ飛ばして)第14代目富樫家を継いだ富樫政親が加賀一向一揆衆たちに攻められ富樫氏の詰城だった高尾城に立て籠りますが攻め込まれて殺されてしまいます。その後も富樫泰高(やすたか)稙泰(たねやす)晴貞( […]

高尾城 / 多胡城 / 富樫城(石川県)

高尾城 / 多胡城 / 富樫城の感想 高尾城は『たこじょう』若しくは『たこうじょう』と読みます。築城はいつかはわかりませんが、鎌倉時代に加賀国守護大名の富樫政親(とがしまさちか)が築いた山城だと云われているみたいですね( `ー´)ノ高尾城は富樫氏が非常時に楯籠る山城だった様で、通常時は守護所(富樫館)で政務を執っていた様です。 見晴らし台のある高尾城の山頂は『ジョウヤマ』と云われ、背後のは『コジョ […]

堅田城(石川県)

堅田城の感想 堅田(かただ)城は標高113mの丘陵先端部に立地し国道159号線(金沢東部環状道路)のトンネルが走っています。当時も北陸道・小原越(おはらごえ)といった主要街道や、日本海・河北潟(かほくがた)・森下(もりもと)川を見渡すことができる水陸交通の要衝に位置していたと思われます。堅田城の築城は木曽義仲が築城したとの言い伝えがある様ですが実際は不明で、ここ一帯の加賀国は一向一揆が盛んな国とし […]

神金城(神奈川県)

神金城の感想 いるかも兄弟の妹分『鉄仮面サキ』から連絡をいただきました(‘◇’)ゞ 神金(かりがね)城です!!!! 神金城の築城年代・築城者共に全く不明ですが、当時の地政学的に三浦氏が衣笠城の支城のひとつとして三浦一族により築かれ、西方にある小矢部城との間を通っていた平作川を押える役割を持っていたと考えられます(`・ω・´)ゞ平作川は久里浜に通じていて5つの支城はこの平作川 […]

末吉城 / 堀松城 / 笹山城(石川県)

末吉城 / 堀松城 / 笹山城の感想 末吉城は七尾城を本拠地とした能登畠山氏の支城(出城)として築かれたとされていて、築城は1394年~1427年頃と云われているみたいです。能登外浦街道の浜街道と中道通、安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる土田街道、吉田から七尾西湾の大津に通じる得田街道を押さえる重要な役目をする城郭にするために、応仁の乱後、帰国した畠山義統は能登国を防衛する目的で末吉城を完成さ […]

小丸山城(石川県)

小丸山城の感想 小丸山城は能登国の付け根(一番南側?)七尾城の北方面(七尾城が山奥の要害の地にあるので北の海側)に、七尾湾を活かし御祓川(みそぎがわ)沿いに小丸山城はあります。織田信長の命により越前国の府中城で10万石を有してた前田利家が能登国一国を与えられ、越前国から能登国に移り七尾城を本拠地としていた様ですが、山深く要害の地だった七尾城では防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利 […]

糟屋館/上杉館跡(神奈川県)

糟屋館/上杉館跡の感想 太田道灌が好きなら気になる場所の一つですよね。1486年7月26日に太田道灌はこの場所にあった扇谷上杉氏の館に招かれ、主君だった上杉定正に誅殺されてしまいます。市の案内によると風呂場で襲われ「当方滅亡」と叫び、絶命したといいます。と書かれてました。現在は産業能率大学になってしまっており館の面影はほぼ残っていないですね。その後はこの前の記事、実蒔原古戦場や七沢城などで書きまし […]

七沢城(神奈川県)

七沢城の感想 七沢城に訪問してきました。現在は七沢城があった山全体がほぼ、AOI七沢リハビリテーション病院になってしまっており、遺構はあまり残っていないのですが、七沢城の案内板はいくつも建てられていて、城跡だということは分かりやすくしてくれております。 七沢城の歴史ですが、1450年に鎌倉公方である足利成氏(しげうじ)と、関東管領山内上杉憲忠(のりただ)の重臣たちの間で争いが起こり、上杉方に攻めら […]

荻野山中藩陣屋跡(神奈川県)

荻野山中藩陣屋跡の感想 荻野山中藩陣屋もしくは荻野山中陣屋と言われている場所になります。住宅に挟まれた場所にポツンとある史跡ですが、遺構はほぼ何もなく、山中稲荷に標柱が山中陣屋跡史跡公園に案内板などがあります。訪問時はあまり詳しく調べてなく、たまたま近くに行った際に寄っただけなので、山中陣屋跡史跡公園があることに気づかずに山中稲荷のところだけ訪問して帰ってしまいました。。次回近くに行った際には公園 […]

世良田館(群馬県)

世良田館の感想 世良田東照宮の隣に世良田館跡として公園が整備されています。世良田氏は新田氏の支流で新田義重の次男?の頼氏(よりうじ)が世良田荘をもらったことで世良田氏を名乗るようになっていきます。説明版では昭和9年ごろの記載として世良田義政館址との記載があると書かれており、少し謎になります。一応、最初は新田義貞側だったのでその当時には館は世良田にあったということですかね。その後は足利氏側について裏 […]

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