お城

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平松城(鹿児島県)

平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]

弓木城(京都府)

弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]

山名館跡(群馬県)

山名館跡の感想 清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがはじめとされるみたいです(o^―^o)ニコ その山名義範がこの現在の高臺寺(高台寺)に館を構えたのが始まりらしく、山名義範は源頼朝の御家人として兵て討伐にも源義経に従い一ノ谷の戦いで活躍し、清和源氏受領六人の筆頭として『伊豆守』に任命されるなどしたみた […]

鳥取城 / 久松城 / 久松山城(鳥取城)

鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]

吉田松尾城/松尾城/吉田城(鹿児島県)

吉田松尾城の感想 鹿児島市にある方の松尾城になります。鹿児島県内には他にも複数松尾城があるのでこちらは吉田松尾城と呼ばせていただきます。吉田松尾城は吉田氏が居城にしたことで吉田城とも呼ばれ、松尾山に築城されたので松尾城とも呼ばれるみたいです。案内板などはどれも松尾城で統一されていますが、わかりづらいですね。築城は吉田清正が応永年間の後半に築城したとされているので、1420年前後くらいかと思われます […]

蒲生城/竜ヶ城(鹿児島県)

蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]

淡河城(兵庫県)

淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]

羽衣石城(鳥取県)

羽衣石城の感想 羽衣石城は『はごろもいしじょう』ではなく『うえしじょう』と読みます。羽衣石城は東郷池(ぐるっと周辺は12kmの汽水湖です!)かな南の方角にあり、羽衣石川沿いの東にある羽衣山(標高372m)に築かれた巨大な山城です( `ー´)ノ!!! 1366年に南条貞宗(なんじょうさだむね)が羽衣石城を築いたと云われており、当初は今は十万寺城跡(太閤ヶ平)と呼ばれる羽衣石山の尾根沿いに南に行ったと […]

田内城 / 巌城(鳥取県)

田内城 / 巌城の感想 築城は定かではないようですが、1340年ごろから1345年頃、山名時氏が標高58mの仏石山に築かれた城で、山名寺同様に小鴨川沿いにありますが、小鴨川と天神川が合流する地点の西側にある丘陵に築かれているため、海(日本海)からの荷揚げする海運・川運の抑えの要害として築かれた様な気がしますね!仏石山は小ぶりな山ですが、小さいながらも急こう配の山城となっており、当時は『砦』を拡張し […]

鷹尾山城(兵庫県)

鷹尾山城の感想 鷹尾山城は三木城鷹尾山城とも言われており、三木城の南側を守る支城だったようです。別所長治の時代に鷹尾山城には別所長治の弟、別所友之が入っていましたが、1580年、秀吉軍により落城してしまいます。別所友之は兄の別所長治同様に自刃されたようです。現在の鷹尾山城のあたりは、市役所と勤労者体育センターができてしまっており、土塁や堀などが一部残っているのみとなっております。三木城で出会った地 […]

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