樺山城/小鷹城/雄鷹城(宮崎県)
樺山城/小鷹城/雄鷹城の感想 樺山城は「かばやまじょう」と読みます。現在は上米公園(かんめこうえん)となっていて曲輪などの遺構が残っています。樺山城ははっきりとした築城年がわかっていないようで、伊東氏が築城したという話もあるようですが、現在の遺構として残っている城跡(曲輪)などは慶長4年(1599年)に起こった庄内の乱のときに伊集院氏が整備しものと推定されているようです。樺山城とつくので樺山氏が築 […]
樺山城/小鷹城/雄鷹城の感想 樺山城は「かばやまじょう」と読みます。現在は上米公園(かんめこうえん)となっていて曲輪などの遺構が残っています。樺山城ははっきりとした築城年がわかっていないようで、伊東氏が築城したという話もあるようですが、現在の遺構として残っている城跡(曲輪)などは慶長4年(1599年)に起こった庄内の乱のときに伊集院氏が整備しものと推定されているようです。樺山城とつくので樺山氏が築 […]
梶山城の感想 梶山城は1352年に樺山氏が築城したとされているお城です。樺山氏は島津家の支流にあたる家系。島津家代4代当主島津忠宗の五男だった「島津資久」が樺山周辺の領地をもらったことにより樺山氏を名乗るようになります。その後経緯はよくわかりませんが、樺山氏から同じ島津家の支流ではありますが北郷氏のお城に変わり梶山城は1394年に梶山合戦という戦いがおこります。この戦いは北郷氏(島津家)対今川氏( […]
北郷久秀・忠道の墓の感想 梶山城の麓に北郷久秀・忠道のお墓があります。ここには大昌寺というお寺があった所で二人が戦死した後に二人の父、「北郷義久」が建立したとされております。現在はお寺もなくなり、大昌寺跡にひっそりと二人のお墓があります。 北郷久秀・忠道ですが、二人は北郷義久の三男と四男にあたる兄弟になります。また北郷家は島津家の支流にあたる家系で、都城島津家とも言われます。南北朝時代末期(厳密に […]
七浦城の感想 七浦城(ななうらじょう)は菊池竹光という武将が畠山氏の三俣城(松尾城)に対峙する城として使用していたとのことです。畠山氏は北朝方、足利将軍家の一門で足利氏の支流にあたる家系の武将になります。菊池武光は南北朝時代の武将で、南朝方として九州南朝方の最盛期を築き上げた名将と言われているそうです。あまりこの時代詳しくは知らないのですが、調べてみると北朝方の一色範氏(いっしきのりうじ)などの一 […]
松尾城/三俣城の感想 松尾城(まつおじょう)、三俣城(みまたじょう)と呼ばれます。松尾城は宮崎県延岡市にもあり、鹿児島県まで広げると志布志市にもあるのでここでは三俣城と呼ばせていただきます。 三俣城は肝付兼重(きもつきかねしげ)が築城したと言われているみたいですが、築城年は正確にはわかっていないようです。また、月山日和城と三俣城どちらが肝付兼重が築城したお城かも明確ではないみたいですね。なのでどち […]
飛山城の感想 飛山城は勝山城同様に鬼怒川沿いにある平山城で、鎌倉時代の後期に宇都宮氏の家臣だった芳賀氏の居城で、1293年~1299年頃、宇都宮景綱の家臣 芳賀高俊にって築かれた城だと云われています。芳賀氏は益子氏(益子城)と同様に『紀清両党(きせいりょうとう)』と呼ばれた、宇都宮氏の家臣団の中で精鋭武士団の両氏とされていた様で、『紀』→益子氏の本姓『紀氏』から『清』→芳賀氏の本姓『清原氏』からそ […]
勝山城 / 氏家城の感想 勝山城は1190年~1199年頃(かなり幅がありますねぇ~笑)に氏家公頼(うじいえきみより)が築いたとされています。 氏家氏は元々宇都宮氏の一族と云われており、宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の子、公頼が芳賀郡(はがぐん)氏家郷に移り土着して氏家氏の名を名乗り始めたのがスタートみたいです( `ー´)ノ なぜ私がこの勝山城に行ってみたかっと云えば、氏家氏っと云えば『氏家ト […]
岩原城の感想 小田原城主の大森氏頼は城を嫡男 実頼に譲り、自らは岩原城へ移ったとされており、岩原城はこのときに築かれたんじゃないのかと思われます!関東管領扇谷上杉氏の重鎮であった大森氏頼は自らこの岩原城に移り晩年この城で没したと伝わっています。北条早雲の半生を描いた司馬遼太郎の作品『箱根の坂』にも『岩原の館』として登場しています。これはたぶん『岩原城』の事だと思われます。現在での遺構は2つの郭と堀 […]
相模沼田城 / 沼田城の感想 あえてここでは、上野国(こうずけのくに)の沼田城との勘違いを防ぎたくて、ここでは『相模沼田城』としてレポートしたいと思います( `ー´)ノ(って云っても・・・そんなにレポートすることもあんまりないのかもしれませんが!苦笑) 『新編相模国風土記稿』ってやつに記載されているみたいなのですが、波多野氏の一族がこの地に土着して沼田氏を名乗り相模沼田城を築城したみたいです。さら […]
月山日和城/高城の感想 月山日和城は元弘年間(1331年~1334年)に肝付兼重(きもつきかねしげ)が築城したと言われているみたいですが、築城年は正確にはわかっていないようです。 肝付兼重は南朝方に付いていたので北朝方の足利尊氏が日向に送り込んできた畠山直顕(はたけやまただあき)に月山日和城を攻められ落城してしまいます。畠山直顕は月山日和城に入り城の名前を三股院高城(みまたいんたかじょう)と呼んだ […]