2025年

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牛久保城 / 牛窪城(愛知県)

牛久保城 / 牛窪城の感想 牛久保城は1529年に牧野保成(まきのやすしげ)が築城したと云われ、牧野氏の居城として続いていました。1590年に大久保城の城主だった牧野康成の時に徳川家康の『関東移封』に伴って、家臣だった牧野氏も関東へ移動します。牧野康成は上野国勢多郡大胡(現在の群馬県前橋市)に2万石に入国しました。 徳川氏が抜けた後は、豊臣秀吉の家臣だった池田輝政が吉田城に入城すると、大久保城は吉 […]

掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城(静岡県)

掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城の感想 掛川城は東海道に隣接する江国東部の中心拠点として、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が築城したと云われています。これまた!この朝比奈 泰煕が厄介な方で、今川氏の重臣だった福島正成を讒言し、今川義忠の嫡男の今川氏親と仲違いさせ、福島正成を討ったとされています。。。(因みに、福島正成の子供が逃げ切って北条氏綱を頼り養子となり、北条姓と『綱』の字をもらい北条綱成 […]

笑隈城/隈ノ城/咲隈城(鹿児島県)

笑隈城(えみのくまじょう)と読みます。読み方は同じで「咲隈城」とも書くようです。別名「隈ノ城(くまのじょう)」とも呼ばれるみたいです。説明版を読むと南北朝期の貞治2年(1363年)頃、第六代当主島津氏久が三年間布陣し、天降川対岸の姫木城(ひめぎじょう)に立て籠もる税所一族だった重久氏と戦ったようです。税所(さいしょ)とは徴税のために任ぜられた役職でこれを世襲していた一族が、税所氏を名乗ったとされる […]

鹿屋城/亀鶴城(鹿児島県)

鹿屋城/亀鶴城の感想 鹿屋城(かのやじょう)は、鹿屋氏、伊集院氏などが居城としたお城になります。鹿屋城は城郭は本丸(貯水池)、二の丸(公園)、中城(公園)、松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大名城、今城、鳥添城からなるお城となっているとのことです。正直、初見だと全くどこが本丸とか中城とかわからないです。現在道などに合わせて案内板が欲しいところですね。説明板を読むと、「島津久経時代津野四郎兵衛、鹿 […]

志布志城・松尾城(鹿児島県)

志布志城・松尾城の感想 志布志城の松尾城になります。志布志城は松尾城、内城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城となっています。内城は別で記事をあげていますので興味のある方は見てみてください。現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということで来たのですが、入り口近くにお住まいの方とお話をさせていただき迷子(遭難)。するからやめときなさい。誰も登ってかないよ!。と言われてしまいました笑諦めずに […]

志布志城・内城(鹿児島県)

志布志城・内城の感想 志布志城の内城へ行ってきました!志布志城はこの内城と松尾城、高城、新城の4つの山城を総称して志布志城と呼んでいるそうです。ただ、現在搭乗口があって登れるのは内城と松尾城ということになっています。志布志城・新城については現在、志布志中学校の校庭となっていて遺構はだいぶなくなってしまているようですが、校庭の周囲に土塁が残っているとのことです。別で書きますが、松尾城の登城に挑戦しよ […]

福島城/大仏城/杉妻城/杉目城(福島県)

福島城/大仏城/杉妻城/杉目城の感想 福島城の築城は伊達氏だったんではないかと云われているみたいですね。阿武隈川と荒川を天然の堀とした平城だったらしく、元々は『杉妻城/杉目城(すぎのめじょう)』と呼ばれたり『大仏城』とも呼ばれていたらしく、古墳時代の頃には既に何かしらの機能を持った機関の建物があったと云われているみたいですね~すごい(+_+)1413年の頃は伊達持宗が関東公方足利持氏(この人は本当 […]

須賀川城(福島県)

須賀川城の感想 須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院 […]

盛岡城 / 不来方城(岩手県)

盛岡城の感想 十数年ぶり(2025.09.10)に盛岡城に行ってみました!(o^―^o)ニコ 盛岡城は豊臣秀吉が全国を制覇し、豊臣秀吉の傘下に入った南部氏が三戸の地より不来方(こずかた)の地に居城を移し築城したのが盛岡城です! 盛岡の地は以前は不来方って云われていたんですねぇぇぇ 厳密には当初不来方城であり後に盛岡城となった別物とだとも云われているみたいです。 盛岡城は西側に流れる北上川と南東部を […]

伊達稙宗公の墓(福島県)

伊達稙宗公の墓の感想 はっきり云って、ここでこんなことを云うと批判されるのは重々わかってはいるのですが、私は人気のある伊達政宗よりもこの伊達稙宗の方がめちゃくちゃ興味があり好きかもしれません!( ̄▽ ̄)伊達稙宗は伊達家13代当主の伊達尚宗の嫡男として生まれ、伊達稙宗の亡き後、14代当主を継ぎ、継いだその年に羽州探題(うしゅうたんだい)の最上義定を破り自分の妹を最上義定の室として送り込み、実質的に最 […]

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