姫倉城/姫倉城古戦場跡(高知県)
姫倉城の感想 昔この辺は大忍荘と呼ばれ熊野新宮の領地であったが、戦国時代は安芸氏の勢力下にはいった朝倉右京の居城として姫倉城は存在していたみたいですね。。。築城はいつだかわからないみたいです(o^―^o) 姫倉城は、夜須川右岸に南北に連なる丘陵が土佐湾に突き出した先端部に位置する月見山山頂部に築かれている山城で、月見山山頂部を二段に削平して一の曲輪と二の曲輪とし、一の曲輪には低くなっているが囲繞す […]
姫倉城の感想 昔この辺は大忍荘と呼ばれ熊野新宮の領地であったが、戦国時代は安芸氏の勢力下にはいった朝倉右京の居城として姫倉城は存在していたみたいですね。。。築城はいつだかわからないみたいです(o^―^o) 姫倉城は、夜須川右岸に南北に連なる丘陵が土佐湾に突き出した先端部に位置する月見山山頂部に築かれている山城で、月見山山頂部を二段に削平して一の曲輪と二の曲輪とし、一の曲輪には低くなっているが囲繞す […]
夜須城 / 下夜須城の感想 夜須城(下夜須城)は、平安時代末から鎌倉時代にかけての源氏方の武将であり、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敵方の岩国兼秀・兼季兄弟を生け捕りにするという功を立てた、夜須行宗(行家とも???同一人物???)が築いた城だと云われています。夜須川東岸に横たわる標高40mほどの丘陵に築かれており、またの呼び名を三つ城『みつしろ』とも云うみたいですね~((´∀`))夜須城(下夜須城)は長 […]
安芸城 / 安芸(安喜)土居の感想 長宗我部元親にとって、土佐国の西の雄は一条氏(一条兼定)であり東の雄はこの安芸城を居城とする安芸氏(安芸国虎)だったと云え、土佐国においても最大の勢力を持っていたと思われます。安芸氏の祖先は蘇我赤兄(『そがのあかえ』と呼ぶそうです。。。蘇我って・・・めちゃめちゃ古くねぇΣ(・□・;))とし古くからこの安芸の地を有する武将だった様で『土佐七雄』の一角に数えられてい […]
大西池田城 / 大西城 / 池田城の感想 大西池田城は、三好市池田の地にあったことから池田城、または、阿波国の最も西の地として大西と呼ばれており大西城とも云われていた様です。 承久の乱で武功を上げた小笠原長清が阿波国の守護となり、長清の息子の小笠原長経が守護代として入国し池田の地に大西城を築いたみたいです。大西池田城が位置する場所は、阿波国の最西端に位置する場所ですが、西に進めば讃岐国・伊予国、南 […]
重清城の感想 重清城は1399年に小笠原長親によって築城された城と云われており、1577年に重清城の城主だった小笠原長政は、約25km離れた白地城の大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として出されていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬(川島城の川島氏と関係が深い一族とも云われているみたいです)に二人によって殺害され、一度、長宗我部に降り弟を人質に出したが三好氏に復帰し長宗我部氏を裏切ったため、長宗我部元 […]
川島城の感想 川島城は吉野川沿いに築かれた中世の平山城で、地元の土豪の川島兵衛之進(川島惟忠)が築いた城です。川島氏がこの地を与えられ川島城を築くに至るまでに、元々は三好実休の重臣であった篠原長房が支配をしていましたが、三好家の内紛により絶対的執権だった篠原長房が滅ぼされたため、篠原長房の居城であった上桜城に代わり川島城は築かれたようですね。。。 1585年に蜂須賀家正(蜂須賀小六(正勝)の息子) […]
撫養城 / 岡崎城 / 林崎城の感想 『撫養城』は『むようじょう』ではなく『むやじょう』と呼びます!(o^―^o)ニコ 築城ははっきりとしませんが、三好長治の時代に三好家臣四宮氏が城主であったとされているみたいです。。。あれ???讃岐国大内郡の引田城にも、敵対する讃岐国の寒川氏の家臣である四宮氏(信濃国から入国されたとされています)が城主として入っていたとされるが、両者の関係は定かではないらしいで […]
引田城の感想 引田城の築城は定かではありませんが、1504年〜1521年頃に昼寝城主の寒川元政の家臣で信濃国から入国した四宮右近が城主となった城らしく、阿波(徳島県)との国境を守備し阿波の三好氏との防衛ラインとしての最前線の城だったと思われます。西側が播磨灘に面し淡路島を望める事が出来、標高82mの城山の山頂に築かれた「山城」でありながらも、北側と南側も海に面し三方を海に囲まれた「海城」でもありま […]
遠江小山城の感想 小山城へ行ってきました!小山城は他の地域にもあるためこのサイトでは遠江小山城とさせていただきます。遠江小山城は武田信玄が今川氏が滅びた後、三河の徳川家康と遠江の領有を争った際に天神山城と合わせて武田側の重要拠点となったお城です。現在は能満寺山公園となっており、お寺の一部となっております。遠くからでも天守閣が目立つお城ですが、当時天守閣のあったお城ではありません。天守閣は展望台とな […]
浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]