馬坂城(茨城県)
馬坂城の感想 佐竹氏発祥のお城と言われている馬坂城に行ってきました。馬坂城の築城は平安時代の末期で、新羅三郎(源)義光の孫、源昌義が佐竹を名乗るようになります。その昌義が居城としたのが馬坂城です。ちなみに、新羅三郎義光は武田信玄などで有名な甲斐武田氏の祖でもあります。武田氏発祥の地も茨城県ですので興味がある方はそちらも訪問してみるのをおすすめします。馬坂城は三つの曲輪を持つ平山城で、北側に鶴が池、 […]
馬坂城の感想 佐竹氏発祥のお城と言われている馬坂城に行ってきました。馬坂城の築城は平安時代の末期で、新羅三郎(源)義光の孫、源昌義が佐竹を名乗るようになります。その昌義が居城としたのが馬坂城です。ちなみに、新羅三郎義光は武田信玄などで有名な甲斐武田氏の祖でもあります。武田氏発祥の地も茨城県ですので興味がある方はそちらも訪問してみるのをおすすめします。馬坂城は三つの曲輪を持つ平山城で、北側に鶴が池、 […]
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
鷲津砦の感想 鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根 […]
小牧山城の感想 小牧山城は織田信長のお城として1563年に築城されました。お城としては1567年に廃城となってしまうのでわずか4年ほどの間しか存在してなかったお城となります。でも、非常に有名な戦いがあり、知っている方も多いお城なのではないかと思います。その戦いが1584年に起こった「小牧・長久手の戦い」になります。この戦いは何が大きな特徴かというと、豊臣秀吉と徳川家康が敵同士になって戦った唯一の戦 […]
丸根砦の感想 丸根(まるね)砦と鷲津(わしづ)砦は今川軍の連絡網を断つために築かれた砦で、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間に両砦は楔の様に位置している砦です!!!丸根砦は、鷲津砦の東南400m、大高城からは東に約800mの場所に位置し、こんもりとした丘の上に築かれ、東西36m・南北28mの砦の周囲を幅3.6mの外堀が囲んでいる砦だった様で、佐久間盛重(別名:佐久間大学)を将と […]
鳴海城 / 根古屋城の感想 当初は足利義満の配下の安原宗範が命により築いた城だと云われています。当初は成海神社があり城(当時は砦だったのかもしれませんね)を築いたんだと思われます。その後、成海神社が北の乙子山に移された事と、安原宗範が亡くなってしまったため、鳴海城は一度廃城になったとされています。 戦国時代に入ると尾張国に勢力を広げる織田信秀が支配下を拡大すると、織田信秀の配下である山口教継に城主 […]
中城の感想 中城は小川盆地にある先端部に約100m四方に巡らした平山城で、鎌倉時代に増尾郷の豪族で郷内にある猿尾荘を領していた猿尾種直(ましお たねなお)の居館だったと云われていた様です。。。(o^―^o)ニコ南北朝時代初期では斎藤重範(さいとう しげのり)が同地の地頭となって支配したと伝えられています。。。一方、中城は太田道灌ゆかりの城でもあるそうです。 太田道灌が関東管領山内上杉顕定の側近の高 […]
波多野城の感想 神奈川県秦野(はだの)市にある『波多野(はたの)城』です(^▽^)/波多野城は、相模国波多野荘(現在の秦野市)を本領とし、沼田郷・河村郷・松田郷・大友郷などを支配した波多野氏の居城であったとされています。波多野氏(相模国)は古くは平安時代から鎌倉時代にかけて発展した豪族で、坂東武士としては珍しく朝廷内でも高い位を持った豪族であったみたいですね。。。河内国(近畿)の河内源氏の源頼義の […]
佐野城の感想 佐野城は佐野氏のお城で、佐野氏は平安時代からずっと唐沢山城を居城にしてきましたが、1602年に平地の丘陵であるこの佐野城を築城し居城を移しました。この唐沢山城から移った理由には本当か定かではありませんが、江戸で大火が起こり、その火事が唐沢山城から見えたとのことで早馬で江戸に馳せ参じたところ、家康から江戸を見下ろす場所に城を建てるなとのお達しが出て佐野城に移ることになったとの逸話があり […]
藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]