「平山城」の検索結果 199件

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柿崎城(新潟県)

柿崎城の感想 柿崎城に行って来ました!ここ何がすごいって、高速のインターチェンジのループしている道路に囲まれたお城なんです!(◎_◎;)道路に囲まれているので城跡はあるけど入れないのかな?と思いましたがちゃんとわかりづらいですが入口もあり、城の説明版もありました!だいぶ草木に覆われて見えづらくなってましたが。。 柿崎城とはどんなお城なのかですが、柿崎氏の居城で柿崎氏は宇佐美氏の支流になる家系のよう […]

小谷城(大阪府)

小谷城の感想 小谷城と云えば近江の巨大な山城で浅井長政の居城だった小谷城が超有名ですが、この和泉国?河内国?にも小谷城が・・・しかも築城はこの堺近郊では最も古く築城された城として小谷城があります!(`・ω・´)ゞ小谷城は鎌倉時代ごろに標高80mの泉北丘陵高台に自然の地形を利用して、平氏一族の小谷氏が築いた城みたいです。小山城は栂山(たぶん『とがやま』)城(現在の原山台)と豊田城(現在の泉北高校)と […]

武蔵 天神山城(東京都)

武蔵 天神山城の感想 『天神山』って名前の城って結構あるなぁ~(*`艸´)ウシシシ ここではあえて『武蔵 天神山城』ってことにしてみます(o^―^o)ニコ武蔵天神山城は近くに深大寺城があり、武蔵天神山城はこの深大寺城の支城であったと思われます。その昔は、後北条氏の砦も築かれていたとか!?!?!?!? 現地に案内板がありそれを確認してみると、築城時期や築城主は不明ですが武蔵七党のひとつである村山党の […]

掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城(静岡県)

掛川城/懸川城/懸河城/雲霧城/松尾城の感想 掛川城は東海道に隣接する江国東部の中心拠点として、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が築城したと云われています。これまた!この朝比奈 泰煕が厄介な方で、今川氏の重臣だった福島正成を讒言し、今川義忠の嫡男の今川氏親と仲違いさせ、福島正成を討ったとされています。。。(因みに、福島正成の子供が逃げ切って北条氏綱を頼り養子となり、北条姓と『綱』の字をもらい北条綱成 […]

笑隈城/隈ノ城/咲隈城(鹿児島県)

笑隈城(えみのくまじょう)と読みます。読み方は同じで「咲隈城」とも書くようです。別名「隈ノ城(くまのじょう)」とも呼ばれるみたいです。説明版を読むと南北朝期の貞治2年(1363年)頃、第六代当主島津氏久が三年間布陣し、天降川対岸の姫木城(ひめぎじょう)に立て籠もる税所一族だった重久氏と戦ったようです。税所(さいしょ)とは徴税のために任ぜられた役職でこれを世襲していた一族が、税所氏を名乗ったとされる […]

須賀川城(福島県)

須賀川城の感想 須賀川城は福島県須賀川市にある平山城で近くを釈迦堂川(しゃかどうがわ)が流れています。須賀川城の築城は二階堂行続が行ったと云われており、長くからこの地を支配する二階堂氏がこの須賀川城を居城としたみたいです( ̄▽ ̄)1572年には那須 資胤(なす すけたね)の軍勢が攻めてきたが、何とか須賀川城は凌ぎ!!!1581年に城主の二階堂盛義(須賀川二階堂氏7代当主)が亡くなると、後室の大乗院 […]

盛岡城 / 不来方城(岩手県)

盛岡城の感想 十数年ぶり(2025.09.10)に盛岡城に行ってみました!(o^―^o)ニコ 盛岡城は豊臣秀吉が全国を制覇し、豊臣秀吉の傘下に入った南部氏が三戸の地より不来方(こずかた)の地に居城を移し築城したのが盛岡城です! 盛岡の地は以前は不来方って云われていたんですねぇぇぇ 厳密には当初不来方城であり後に盛岡城となった別物とだとも云われているみたいです。 盛岡城は西側に流れる北上川と南東部を […]

曽我城 / 曽我氏館跡(神奈川県)

曽我城 / 曽我氏館跡の感想 曽我城/曽我氏館跡は、曽我祐信の居城で鎌倉時代初期にかけて武士・御家人で相模国曽我荘の領主であり、曽我祐信はあの有名な『曽我兄弟』の養父としても有名ですよねぇ~(o^―^o)曽我兄弟と云えば『曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)』であり、これは源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我祐成と曽我時致の兄弟が父親である河津 祐泰(かわづ すけやす)の仇である工藤佑経を […]

姫木城(宮崎県)

姫木城の感想 姫木城は「ひめぎじょう」と読みます。説明版を読むと、肝付氏の支城だったとのことです。肝付氏は南北朝時代に南朝方に属したので、北朝方の守護代だった森行重とここで戦闘になったとのことです。その後姫木城がどうなったのかは不明とのことでいつ築城されていつ廃城になったのかよくわかっていないようです。1339年には肝付兼重が日向から畠山氏に負けて追い出されているので遅くともこの頃には肝付氏のお城 […]

七浦城/玖摩陣(宮崎県)

七浦城の感想 七浦城(ななうらじょう)は菊池竹光という武将が畠山氏の三俣城(松尾城)に対峙する城として使用していたとのことです。畠山氏は北朝方、足利将軍家の一門で足利氏の支流にあたる家系の武将になります。菊池武光は南北朝時代の武将で、南朝方として九州南朝方の最盛期を築き上げた名将と言われているそうです。あまりこの時代詳しくは知らないのですが、調べてみると北朝方の一色範氏(いっしきのりうじ)などの一 […]

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