CATEGORY 武将・大名

武将や大名などにまつわる場所を表示しています。

山口玄蕃頭宗永公之碑(石川県)

山口玄蕃頭宗永公之碑の感想 大聖寺城の城内本丸の場所に『山口玄蕃頭宗永公之碑』がありました(`・ω・´)ゞ かつての大聖寺城主の山口宗永(玄蕃頭)とその息子・修弘(むねひろ)の最期を追悼し、その忠義を後世に伝えるために建てられた顕彰碑(慰霊碑)だそうです。 山口宗永は、元々は織田家臣の丹羽長秀に仕え、のちに豊臣秀吉の直臣(側近)として山城国の宇治田原城や近江国の大石淀城の城主にもなり重用された武将 […]

太田道灌の墓(洞昌院)(神奈川県)

太田道灌の墓の感想 神奈川県伊勢原市(洞昌院)にある太田道灌のお墓に行ってきました。このお寺(洞昌院)自体が太田道灌が開いたお寺とのことです。太田道灌は最後、先日あげた糟屋館/上杉館跡にて主君だった上杉定正に殺されてしまいます。そしてこの場所にお墓が建てられています。 太田道灌について簡単に説明しておきます。1432年にこのお墓などがある現在の神奈川県伊勢原市あたりで生まれたとされています。父は太 […]

高山右近の碑(石川県)

高山右近の碑の感想 高山右近の高山氏は摂津国三島郡高山庄出身の国人衆で、高山右近も荒木村重の家臣として摂津国の戦国武将として活躍していました。荒木村重が織田信長に謀反を企てると、村木村重の謀反を知った右近はこれを翻意させようと考え、妹や息子を有岡城に人質に出して誠意を示しながら謀反を阻止しようとしたが失敗してしまいます。織田信長は摂津国の高槻城主だった高山右近を味方につけるべく畿内の宣教師達を説得 […]

徳川義季累代の墓/新田家累代の墓(群馬県)

徳川義季累代の墓/新田家累代の墓の感想 世良田東照宮と同じ敷地内に徳川義季累代の墓と新田家累代の墓があります。徳川義季累代の墓は「文殊山」と呼ばれる前方後円墳の上に、造られていて国の重要文化財に指定されている宝塔があり、徳川義季をはじめとする累代の墓とされています。前方後円墳の上にお墓があるって、お墓の上にお墓を作っているということで罰当たりなんじゃない?と思うのは私だけでしょうか。 徳川義季につ […]

徳川氏発祥の地/世良田東照宮(群馬県)

徳川氏発祥の地/世良田東照宮の感想 この辺りを回っている時に調べたら徳川氏発祥の地と出てきたので訪問してみました。徳川氏発祥の地と看板は出ていたのですが、石標的なシンボルみたいなものは見当たりませんでした。 この世良田東照宮ですが、三代将軍 徳川家光が1644年に日光東照宮から一部の社殿などを移築して創建されたとのことです。詳しくはわかりませんが、南光坊天海が家光に助言して造らせたとも言われている […]

別府氏の墓(埼玉県)

別府氏の墓の感想 東別府氏館と西別府館のちょうど中間地点に『別府氏墓』があります。別府氏に付いては東別府氏館と西別府氏館のコンテンツに記載していますので合わせてご覧いただければ幸いです(o^―^o)ニコそんな別府氏の墓は『安楽寺』にあります。別府氏は館を分けてからか?それとも和田義盛の乱に関わった東別府氏館の別府氏(その際に討死)がいたため源頼朝の怒りを恐れたのか?この頃は別府氏ではなく西別府氏と […]

徳川館跡の新田義重の宝塔(群馬県)

徳川館跡の新田義重の宝塔の感想 徳川館跡にある新田義重の宝塔ということですね。ということはここは徳川館の敷地内に当たる場所ということになるんだと思いますが、周りは畑で住宅もありますが、城跡らしい痕跡はこの場所では感じ取れませんでした。この宝塔の麓から2つの遺骨が出たとのことなので、新田義重とその妻では無いかと考えられているようです。新田義重(源義重)は新田氏の祖でこの新田の荘をもらったことで新田氏 […]

上杉憲英公の墓/上杉氏歴代墓(埼玉県)

上杉憲英公の墓/上杉氏歴代墓の感想 庁鼻和(こばなわ)城内に建てられたとされる『国済寺』に『上杉氏憲英公の墓/上杉歴代墓』があります。 上杉憲英は南北朝時代から室町時代に掛けて活躍した武将で、関東管領山内上杉氏の有力な一門で上杉 憲顕(うえすぎ のりあき)の六男として誕生し、庁鼻和(こばなわ)城を築城し『庁鼻和(こばなわ)上杉氏』を名乗っていた様です。上杉憲英は上野国守護や蔵人大夫、奥州管領などを […]

庁鼻和城(埼玉県)

庁鼻和城の感想 庁鼻和(こばなわ)城の築城は定かではありませんが、関東管領山内上杉憲顕の六男 上杉憲英によって築かれたことから始まったとされ、庁鼻和(こばなわ)上杉氏と名乗り山内上杉氏の有力な分家のひとつとされました( `ー´)ノ その後になりますが、上杉憲英の曾孫にあたる上杉憲房が庁鼻和城を出て新たに深谷城を築き深谷上杉氏を称し一族で勢力を拡大していきます。その流れから庁鼻和上杉氏は深谷上杉氏と […]

由良成繁公の墓(群馬県)

由良成繁公の墓の感想 由良成繁は小野氏の流れを組む横瀬氏の家系で、横瀬氏は新田岩松氏の家臣をしていた家系になります。最初は横瀬成繁と名乗っていましたが、1528年、主君である新田岩松氏、岩松昌純を殺害し新田金山城を落城させた後に由良氏を名乗るようになります。 由良成繁はこの新田金山城を居城にしますが、1573年には嫡男の国繁に譲り、自分は桐生氏から奪った柄杓山城(桐生城)に移ります。そして1578 […]

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