- 2025.12.14
- 入場料無料,
伊達稙宗公の墓(福島県)
伊達稙宗公の墓の感想 はっきり云って、ここでこんなことを云うと批判されるのは重々わかってはいるのですが、私は人気のある伊達政宗よりもこの伊達稙宗の方がめちゃくちゃ興味があり好きかもしれません!( ̄▽ ̄)伊達稙宗は伊達家13代当主の伊達尚宗の嫡男として生まれ、伊達稙宗の亡き後、14代当主を継ぎ、継いだその年に羽州探題(うしゅうたんだい)の最上義定を破り自分の妹を最上義定の室として送り込み、実質的に最 […]
武将や大名などにまつわる場所を表示しています。
伊達稙宗公の墓の感想 はっきり云って、ここでこんなことを云うと批判されるのは重々わかってはいるのですが、私は人気のある伊達政宗よりもこの伊達稙宗の方がめちゃくちゃ興味があり好きかもしれません!( ̄▽ ̄)伊達稙宗は伊達家13代当主の伊達尚宗の嫡男として生まれ、伊達稙宗の亡き後、14代当主を継ぎ、継いだその年に羽州探題(うしゅうたんだい)の最上義定を破り自分の妹を最上義定の室として送り込み、実質的に最 […]
宇喜田秀家潜居跡平野屋敷の感想 宇喜田秀家は宇喜田直家の嫡男で関ヶ原の戦いで西軍側として戦った武将になります。宇喜田秀家の正室は豪姫(ごうひめ)で映画にもなったので知っている方もいらっしゃるのではないかと思います。ちなみに宇喜田秀家の居城は岡山城になります。豪姫は加賀藩(石川県)の大名前田利家の四女になります。 宇喜田秀家は西軍の副大将として参戦し、西軍が敗れたので関ヶ原から伊吹山に逃走します。そ […]
北郷久秀・忠道の墓の感想 梶山城の麓に北郷久秀・忠道のお墓があります。ここには大昌寺というお寺があった所で二人が戦死した後に二人の父、「北郷義久」が建立したとされております。現在はお寺もなくなり、大昌寺跡にひっそりと二人のお墓があります。 北郷久秀・忠道ですが、二人は北郷義久の三男と四男にあたる兄弟になります。また北郷家は島津家の支流にあたる家系で、都城島津家とも言われます。南北朝時代末期(厳密に […]
奥州探題 畠山家墓所の感想 南北朝時代に1340年北朝方より欧州探題として入国した畠山高国が初代とし、十一代目当主畠山義継が伊達政宗と戦い討ち死にするまでの約240年間この地を支配し、畠山義継の次男義孝が畠山氏から二本松氏を名乗ったとされてると案内板には書いてありますが、もっと前から二本松氏と名乗っていたのかもしれませんね!(●^o^●) まぁ~二本松氏よりも畠山氏の方が名が通ているのでごちゃごち […]
丹羽家御廟・陰墓の感想 二本松藩主丹羽家のお墓がある『丹羽家御廟・陰墓』が曹洞宗巨邦山大隣寺にありました。『陰墓』とは奥様方の意味がある様です。丹羽氏は織田信長に仕え織田四天王のひとり、丹羽長秀が有名なのではないでしょうか?織田信長の下で数々の武功を挙げた丹羽長秀は若狭一国を与えられ、織田家臣団の中では一番最初に国持大名となった武将としても有名ですよね!武功も政治も長けていたんでしょうな~(*´ω […]
伝 真田幸村のお墓の感想 いやっ!まさか。そんな真田幸村のお墓が鹿児島県にあるなんて😱あくまでも言い伝えレベルの確証のないものではありますが、なんかもしかしたらとか考えてしまいますよね。 そして事前に断っておきますが、お墓まで行けておりません。。入り口で引き返しました。🙇写真ではわかりづらいと思いますが、かなりあたりが暗くなっている時間で山の中なので何かあったらと思 […]
島津貴久の灰塚の感想 島津貴久公は加世田のこの地で父親の日新公同様に亡くなり荼毘に伏されたとのことです。貴久のお墓としては福昌寺跡の島津家墓所にあります。この灰塚がどうなのかはよくわかりませんでしたが、一般的に灰塚は荼毘に伏した時の棺など一緒に燃やしたものを塚として埋葬したものになります。なので遺骨などはこの場所には埋葬されていないと思われます。島津貴久の灰塚ですが、貴久の息子、島津義久が釈迦院を […]
日新公(島津忠良)の墓の感想 日新公(島津忠良)のお墓に行ってきました!戦国時代の島津家と言えばこの日新公から始まったと言われるくらい重要な人物です。日新公は1492年に伊作城(いざくじょう)で誕生します。日新公が活躍した時代は島津宗家が弱体化していた頃で島津家としてお家の再興を求めていた時代背景があります。日新公は伊作島津家の生まれで宗家ではなかったのですが、宗家が弱体化していたため、伊作島津家 […]
伝 千葉一族の墓の感想 『伝 千葉一族の墓』は下総国ではなく『武蔵千葉氏』と云われる千葉一族の墓で、武蔵千葉氏の祖とされる千葉自胤(ちばよりたね)が1492年に寺領を寄進した松月院に一族の墓がありました。 武蔵千葉氏は元々は下総国の千葉氏で、一族などの争いで負けてしまい市川城(国府台城)が落城したため兄の千葉実胤と共に武蔵国に逃げ込み、千葉実胤は近くの赤塚城へ千葉自胤は石浜城へ移ったとされます。そ […]
島津尚久の墓の感想 島津尚久は島津忠良(日新公)の三男になります。長男の島津貴久とお供し、7歳で初陣を飾ったと言われています。その後も次男の島津忠将(しまづただまさ)と祁答院氏(けどういんし)を破ったりと活躍を見せます。ちなみに祁答院氏は現在も薩摩川内市に地名が残っております。祁答院氏は「相模国渋谷氏」(神奈川県)が発祥で、現在の「高座渋谷駅(小田急線)」あたりが発祥の地とされています。この相模国 […]