武将・大名

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里見家墓所(鳥取県)

里見家墓所の感想 この伯耆国で『里見』の名を聞くのに意外な方がいらっしゃる(私自身もそうです)と思いますが、打吹城の麓の大岳院に安房国の館山城10代目の城主だった里見忠義の墓がありました。里見忠義は1614年に江戸幕府内の勢力争いに巻き込まれてしまい、大久保忠隣に連座し転封を命じられ伯耆国倉吉に国替えされてしまいます。しかも、倉吉3万石とされていたのですが実際は4千石しか与えられず打吹城にすら入城 […]

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓(鳥取県)

尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓の感想 法勝寺城の麓にお墓がありました。法勝寺城の城攻め前にふらっと寄ってみました。 『尾崎寺城主 毛利本紹主従の墓』です<(`^´)> すごく謎だなぁ~って困惑しています。 先ず、毛利本紹って誰なんでしょ?毛利元就の子供には存在しません。毛利輝元(毛利元就の孫)にもそんな子息は存在していません。毛利元就の長男 毛利隆元の妻が大内氏の重臣 内藤氏の娘で、その […]

伝 尼子晴久の墓(島根県)

伝 尼子晴久の墓の感想 尼子晴久の墓は月山富田城本丸の南側麓の森の中にありました。尼子晴久は尼子政久(尼子経久の長男)の次男として生まれ、政久が阿用城攻めの際に討死してしまったため、年少ではありますが尼子家を継ぐこととなります。勿論、尼子経久は健在で高齢になるまで尼子晴久を支え続けます。尼子晴久は当初 詮久(あきひさ)と名乗っていました。尼子詮久は尼子経久の命により、伯耆守護代として伯耆守護の山名 […]

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓(島根県)

伝 尼子義勝(尼子久幸)の墓の感想 尼子義勝は尼子経久の弟で義勝って云うよりは尼子久幸として知られているような気がします。尼子久幸は兄の尼子経久をめちゃくちゃ支え、晩年、尼子経久が自らの老いを悟ると久幸に自分が亡くなったら尼子家を継ぐように頼むと、久幸はそれを断り政久(経久の長男、阿用城攻め中に討死)の子、晴久に家督を継ぎ自分たちが全力で支える事を約束したと云われています。晴久が成人し勢力を拡大、 […]

塩冶掃部介の墓(島根県)

塩冶掃部介の墓の感想 あまり知られていない戦国武将だとは思われますが、私にとっては非常に興味深いキーマンとなる武将です。私が読んだ小説では若き頃の尼子経久と塩冶掃部介は切磋琢磨した間柄であり、応仁の乱など早くから京に在京し西軍の中心になっていた武将です。尼子経久とは旧知の中でよきライバルでもあったと想像していました。 塩冶氏は出雲国の有力な国人衆で出雲国の守護職京極氏の家臣でもありました。塩冶掃部 […]

尼子国久・誠久・敬久の墓 (島根県)

尼子国久・誠久・敬久の墓の感想 新宮党館跡の館内に『尼子国久・誠久・敬久の墓』があります。 尼子の精鋭、新宮党につきましては新宮党館跡に記載しました。尼子経久の次男 尼子国久と国久の息子 誠久・敬久 は本当に尼子軍の中心的戦力だった様で数々の武勇が残っています。 尼子経久の孫、尼子晴久に粛清され滅ぼされてしまいますが、一方で、その粛清は毛利元就の謀略だと云う話も残されています。 当時、西の最大勢力 […]

伝 毛利元秋の墓(島根県)

伝 毛利元秋の墓の感想 1552年、安芸国戦国大名の毛利元就の五男として生まれます。毛利元就の三兄弟(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)は有名ですが、四男の穂井田 元清(ほいだ もときよ)、五男の毛利元秋となり元秋は備後国(広島県北部)の有力国人の武将 三吉氏の出身の継室であるだった様です。 1566年に月山富田城で尼子義久が『降伏し落ちると、毛利元就の重臣の福原貞俊や口羽通良が在番しますが、どんど […]

尼子興久の墓(島根県)

尼子興久の墓の感想 1497年、尼子経久の三男として生まれます。尼子経久の長男 政久 は知力ち武力、統率力を兼ね備えており優秀な跡取りでしたが、桜井宗的(阿用城)攻めの時に不運にも討ち死にしてしまいます。次男の国久は泣く子も黙る尼子軍最強の党を率いる『新宮党』のトップとして猛将と称されます。そして三男の興久は当時勢力を拡大していた大内義興から偏諱(へんき)『興』の字を引き継ぎ『興久』と名付けられた […]

竹中半兵衛の墓(兵庫県)

竹中半兵衛の墓の感想 竹中半兵衛のお墓に行ってきました!竹中半兵衛と言えば、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の天下取りに貢献した軍師であり、また黒田官兵衛と仲が良かったと語られている人物でもあります。荒木村重が織田信長(羽柴秀吉)から離反して有岡城に立て籠もり黒田官兵衛が有岡城に幽閉された際に竹中半兵衛が黒田官兵衛の息子黒田長政を助けた逸話などがあります。大河ドラマ軍師官兵衛でもこの軍師二人の友情シーンを […]

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡(兵庫県)

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡の感想 黒田官兵衛(如水・黒田孝高)生誕地へ行ってきました。伝承としての黒田官兵衛生誕地ではありますが、官兵衛好きとしては外せない場所です。この前の投稿の黒田城の麓にあり、普段はこの屋敷で過ごしていて黒田城が戦の時の詰め城だった可能性もあるかと思います。もしくは、黒田城に宗家がいて同じ黒田家の中でも官兵衛の家系はこの場所を居館にしていた可能性もあるかもしれませ […]

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