平城・平山城

5/23ページ

伊勢大木城(三重県)

伊勢大木城の感想 大木城は員弁三郎行綱(いなべさぶろうゆきつな)が1206年居城したと言われ、その後、大木舎人(おおきとねり)が永禄年間(1558~1569年)に居城したといわれているようです。大木舎人がどのような人物だったのかよくわかりませんが、織田信長に降伏し落城は免れたものの、織田信長の家臣である滝川一益に不信をかって城を終われ大木城は廃城になったようです。 伊勢大木城画像ギャラリー 説明板 […]

伊勢大井田城(三重県)

伊勢大井田城の感想 案内板によると栗田左衛門左の居城だったと書かれていて1473年に美濃の斎藤氏と1ヶ月にわたって戦ったと書かれているので、戦った相手は斎藤妙椿(さいとうみょうちん)もしくは斎藤妙純(さいとうみょうじゅん)ではないかと思います。大井田城の近くにある梅戸城を1473年に落城したとなっているのでこのどちらかもしくは二人ともを相手にしていただのではないかと思います。あとで冷静に案内板を読 […]

野田城(愛知県)

野田城の感想 『野田城』は愛知県新城市にある山城で、武田信玄の大掛かりな西上作戦(せいじょうさくせん)の途中の城であったが、野田城を一躍有名にしたのは『武田信玄狙撃の地』でもあるからです!?武田信玄が野田城を攻めた時、野田城から聞こえる笛の音に聴き惚れていたら、野田城の城主、菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)の家臣だった、鳥居三左衛門に狙撃されたという言い伝えがあり、武田信玄はその鉄砲傷が原因で亡く […]

臼井城(千葉県)

臼井城の感想 臼井城は千葉氏の家臣臼井氏の居城だったところです。あまり人が来るお城ではありませんが、上杉謙信が唯一負けた戦いと言われているのがこの「臼井城の戦い」とあと「生野山の戦い」の2つと言われています。臼井城の戦いは、1565年に後北条氏の北条氏康と関東管領だった上杉謙信の関東を巡る領有権争いの戦いの一つです。実際に戦っていたのは北条氏側が原氏で上杉謙信側が里見氏と謙信自身になります。臼井城 […]

牛込城(東京都)

牛込城の感想 大胡氏のお城と言われている牛込城へ行ってきました。実際には大胡氏から牛込氏へ改姓した牛込氏のお城で牛込城と呼ばれているそうです。大胡氏といえば、群馬の大胡城が発祥で大胡氏が江戸に来た理由などについては大胡城の記事を読んでください。現在お城としては遺構などはほぼ何も残っていないですが、大江戸線の駅名で「牛込神楽坂」など牛込氏や牛込城の面影を感じるものは地名などに残っています。ちなみに、 […]

足利氏宅跡/鑁阿寺(栃木県)

足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]

真田城 / 眞田城(神奈川県)

真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]

土屋城(神奈川県)

土屋城の感想 神奈川県って意外と面白いですね~(^▽^)/♪鎌倉幕府が設立され、全国に鎌倉(相模国や駿河国)から全国に代官で移り住んで各地を支配していったんだなって思います。。。 土屋城です!!!(o^―^o)ニコ 土屋って聞いてあれ?って思う人が多いと思います。そうです!武田氏の家臣で有名な『土屋氏』です。ここは『土屋城』とも『土屋三郎宗遠館』とも云われ、周りの状況から見れば小高い丘の上に築かれ […]

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

木崎城(茨城県)

木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

1 5 23