幸谷城/幸谷城館(千葉県)
幸谷城/幸谷城館の感想 幸谷城(こうやじょう)は狐山という場所に築かれたお城で、現在は一般の方の土地になっている場所を開放してくれているところのようです。とてもありがたいです。そのため、特に案内も無く、地元の方でないと人の家に入るような場所が入り口となっており入って良い場所なのか躊躇する感じです。私はぐるりと一周して意を決して入ってみたら合ってました。幸谷城は発掘調査としては近世、戦国時代くらいの […]
幸谷城/幸谷城館の感想 幸谷城(こうやじょう)は狐山という場所に築かれたお城で、現在は一般の方の土地になっている場所を開放してくれているところのようです。とてもありがたいです。そのため、特に案内も無く、地元の方でないと人の家に入るような場所が入り口となっており入って良い場所なのか躊躇する感じです。私はぐるりと一周して意を決して入ってみたら合ってました。幸谷城は発掘調査としては近世、戦国時代くらいの […]
増尾城の感想 増尾城は小金城の城主、高城氏の家臣、平川若狭守が城主だったと言われているお城になります。平川若狭守がどんな人だったのかはよくわかりませんが、戦国時代後期で後北条氏滅亡まで使われていたお城なのではないかと推測されます。増尾城も他の柏市の城跡と同様公園として整備されており、土塁や曲輪、空堀などが残っています。柏市、松戸市、流山市の城跡は公園として整備されているところが多く、正直有名ではな […]
根木内城の感想 根木内城はよく国道6号線を走っているときにすぐ脇にある城跡の公園なので気にはなっていました。ただ、なかなか誰のお城か知らなかったので興味が湧かず何年も通り過ぎるだけになっており、今回は松戸、柏、流山などのお城を巡ろうと決めてやっと訪問してきました!結果としては良いお城でした!かつての関東平野の湿地帯を活かした沼城で今も城の周囲は湿地が残っています。また、公園として整備されながらも空 […]
小金城の感想 小金城は高城氏のお城で、高城氏は諸説ありますが、千葉氏の流れの家系で、原氏の家臣として活躍しこの小金城のある千葉の東葛地域を所領するようになります。高城氏は、原氏に支えた後に、後北条氏と豊臣秀吉の戦いで北条氏が滅亡すると同時に高城氏も滅亡し小金城は1593年に廃城となりました。高城胤則は小田原城でなくなりますが、子の高城胤重が関東を徳川が収めるようになると旗本として召し抱えられたとの […]
花輪城の感想 花輪城は平本定虎のお城と言われており、小金城の城主だった高城氏の家臣だったとのことです。平本定虎がどんな武将だったかはよくわからないですが、平本氏は高城氏の支流の家系になるようです。花輪城は小金城の支城だったと思われていて、小金城の高城氏の家柄出自など詳細はあまりわかっていないようですが、千葉氏の系譜で原氏が千葉氏宗家を倒してこの千葉県西部に進出する際に高城氏も従うようになったのでは […]
兎々呂城の感想 兎々呂城はこれで「とどろきじょう」と読んだり、「ととろじょう」と読んだりされるみたいで世田谷区のHPでは「ととろじょう」となってましたが、等々力の地名の読み方に合わせて個人的には「とどろきじょう」と呼ぶようにさせていただきます。 兎々呂城は現在は都立の園芸高校になってしまっていて標柱のみの案内で遺構などは確認できません。校内にも勝手に入れないですし、調べようがないですが仕方ないです […]
大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]
黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]
小幡陣屋の感想 群馬県甘楽町の小幡陣屋へ行ってきました。小幡藩は織田信長の次男、織田信雄が初代藩主でこの小幡陣屋は信勝から数えて三代目の織田信昌が建てたものになります。現在は楽山園として綺麗な日本庭園がある公園として観光名所になっています。また、この小幡陣屋の近くに織田信雄など「織田七代の墓」もありますのでついでに寄ってみても良いかと思います。織田信雄はこの小幡藩の祖ですが、実際には小幡の地に居住 […]
旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の感想 小幡藩の中老を務めた松浦氏の屋敷で1978年(昭和53年)まで住居、蚕室として利用されていたとのことで、建てられたのが18世紀中頃で江戸時代後期というのを考えると比較的最近まで使われていた屋敷と言えます。昭和53年に甘楽町に寄贈されて、現在松浦市屋敷は群馬県指定史跡となっており、建物が非常に綺麗に残っているとのことで学術的にも価値があるとのことです。実際に訪問し […]