- 2025.08.25
- 入場料無料,
遠江 飯田古城(静岡県)
遠江 飯田古城 太田川東岸中飯田の段丘上に『曹洞宗崇信寺』があります。 山門前の寺名を刻んだ石柱には『飯田城主山内対馬守開基』と記載しています。 ここが『遠江飯田古城』があった場所だと思われます♪山内氏は鎌倉期に飯田荘の地頭となり、次第に勢力を拡大して室町期には天方本城を中心に勢力を拡大し、今度は約7km先に南下し新たに遠江飯田古城を山内対馬守道美が築いたとされています。その後、山内道美の孫となる […]
東海エリアのお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
遠江 飯田古城 太田川東岸中飯田の段丘上に『曹洞宗崇信寺』があります。 山門前の寺名を刻んだ石柱には『飯田城主山内対馬守開基』と記載しています。 ここが『遠江飯田古城』があった場所だと思われます♪山内氏は鎌倉期に飯田荘の地頭となり、次第に勢力を拡大して室町期には天方本城を中心に勢力を拡大し、今度は約7km先に南下し新たに遠江飯田古城を山内対馬守道美が築いたとされています。その後、山内道美の孫となる […]
遠江 飯田城の感想 遠江(遠州)飯田城は山内道美の孫(三代目)である山内大和守通泰によって築かれた城みたいです。元々は山内道美が築いた飯田古城(当時はそんな呼び名ではなかっでしょうね)があったようですが、そこから新たに築き移り住んだとされています。時代は戦国時代真っ只中ですからね~!?!?!? 1569年に徳川家康の家臣である榊原康政と大須賀康高らに攻められ落城し、山内通泰は討死してしまいます!1 […]
刈谷城の感想 三河と知多半島のちょうど中間にある刈谷城です。『刈谷』は『刈屋』と呼ばれており、またの名を『亀城』と呼ばれていたようですね。刈谷城は衣ヶ浦(ころもがうら)の北端東岸に面して築かれ、西側から東側にかけて順に、本丸→帯曲輪→内堀→二ノ丸→三ノ丸→大手門→城下町となっており、刈谷城が西側(織田氏)に備えた東側(今川氏)の城を意識して築かれたように感じます。1533年に築城したのは水野忠政と […]
久野城 / 座王城 / 蔵王城 / 鷲之巣城の感想 久野城は遠江国(現在の静岡県袋井市鷲巣)にある城で、標高は34mをピークとする本丸があり山城と云うよりは平山城で、後で調べてみると周りの田んぼは廃城後に開拓されたみたいで池というか沼っていうかに取り囲まれた沼城の様な城だった様です。1492年~1501年頃に駿河国今川氏が遠江国へ侵攻する際に、今川家旗本の久野宗隆が築城したと伝えられています。今川 […]
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
鷲津砦の感想 鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根 […]
小牧山城の感想 小牧山城は織田信長のお城として1563年に築城されました。お城としては1567年に廃城となってしまうのでわずか4年ほどの間しか存在してなかったお城となります。でも、非常に有名な戦いがあり、知っている方も多いお城なのではないかと思います。その戦いが1584年に起こった「小牧・長久手の戦い」になります。この戦いは何が大きな特徴かというと、豊臣秀吉と徳川家康が敵同士になって戦った唯一の戦 […]
丸根砦の感想 丸根(まるね)砦と鷲津(わしづ)砦は今川軍の連絡網を断つために築かれた砦で、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間に両砦は楔の様に位置している砦です!!!丸根砦は、鷲津砦の東南400m、大高城からは東に約800mの場所に位置し、こんもりとした丘の上に築かれ、東西36m・南北28mの砦の周囲を幅3.6mの外堀が囲んでいる砦だった様で、佐久間盛重(別名:佐久間大学)を将と […]
鳴海城 / 根古屋城の感想 当初は足利義満の配下の安原宗範が命により築いた城だと云われています。当初は成海神社があり城(当時は砦だったのかもしれませんね)を築いたんだと思われます。その後、成海神社が北の乙子山に移された事と、安原宗範が亡くなってしまったため、鳴海城は一度廃城になったとされています。 戦国時代に入ると尾張国に勢力を広げる織田信秀が支配下を拡大すると、織田信秀の配下である山口教継に城主 […]
荒子城の感想 荒子城は1544年頃に織田家より2000貫を給され、前田利春(前田利家の父親)が蔵人利昌(利春)が尾張前田家発祥地である前田城(荒子城から約3km先)から移り築城したと云われています。 前田利家はこの荒子城で誕生しました。当初は嫡男の前田利久が当主となる予定だったが、主君の織田信長に『武者道少御無沙汰』とされ、前田利久でなく四男の前田利家に家督と荒子城を渡す様に命じられたとされていま […]