小浜城 / 雲浜城(福井県)
小浜城 / 雲浜城の感想 小浜城は『こはまじょう』ではなく『おばまじょう』って読みます!やっぱ日本語は難しいぃぃぃぃぃ~(´;ω;`)ウゥゥ また、別の名を『雲浜城』と云い『うんぴじょう』って呼びます! やっぱり難しいぃぃぃぃぃぃぃ(;゚Д゚) 関ケ原合戦後、1601年に若狭国に入国した京極高次が小浜城を築城し始めました。その後、新たに入った酒井忠勝が小浜城の完成に着手!縄張りも拡大しながら現在の […]
小浜城 / 雲浜城の感想 小浜城は『こはまじょう』ではなく『おばまじょう』って読みます!やっぱ日本語は難しいぃぃぃぃぃ~(´;ω;`)ウゥゥ また、別の名を『雲浜城』と云い『うんぴじょう』って呼びます! やっぱり難しいぃぃぃぃぃぃぃ(;゚Д゚) 関ケ原合戦後、1601年に若狭国に入国した京極高次が小浜城を築城し始めました。その後、新たに入った酒井忠勝が小浜城の完成に着手!縄張りも拡大しながら現在の […]
建昌城/瓜生野城の感想 建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい& […]
羽衣石城の感想 羽衣石城は『はごろもいしじょう』ではなく『うえしじょう』と読みます。羽衣石城は東郷池(ぐるっと周辺は12kmの汽水湖です!)かな南の方角にあり、羽衣石川沿いの東にある羽衣山(標高372m)に築かれた巨大な山城です( `ー´)ノ!!! 1366年に南条貞宗(なんじょうさだむね)が羽衣石城を築いたと云われており、当初は今は十万寺城跡(太閤ヶ平)と呼ばれる羽衣石山の尾根沿いに南に行ったと […]
白巣城の感想 白巣城は安宅氏(あたぎし)のお城で安宅八家衆のお城のうちの一つです。戦国時代に安宅氏は淡路島の細川氏を三好之長が征伐し守護が不在となった淡路島で力をつけてきた国人衆になります。安宅氏が国人衆の中で勝ち抜いた理由として淡路水軍という水軍を持っていたためとも言われています。1581年になると織田信長(羽柴秀吉)がそれまでの方針を転換して四国攻めを開始すると淡路島も洲本城を仙石久秀に明け渡 […]
三刀屋城の感想 三刀屋城は山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝にあり、三刀屋氏は出雲国において有力な国人衆として存在しています。三刀屋氏は清和源氏満快の流れを組む伊那氏の一族らしく、その子孫が出雲国飯石郡三刀屋荘の地頭職となり、その地名から三刀屋氏を名乗ったのが始まりらしいですね。約20㎞離れた場所にある三沢城の三沢氏もそうですが、出雲国には信濃国から移ってきた人が多いんだなぁ~って感 […]
三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城の感想 1305年、三沢為仲(木曽義仲の孫)によって鴨倉山に築かれ、鴨倉城・亀嶽城と呼ばれていたようですね。三沢氏は上記に記載した通り、木曽義仲の流れを組む一族ととも云われたり、信濃国の源氏の流れを組む飯島氏の飯島城の城主だった飯島為光が1221年の承久の乱で武功を挙げ、出雲国三沢荘を与えられたため移り住んだとされてもいます。この三沢荘は良質な砂鉄を採ることが出来たた […]
稲付城の感想 稲付城(いなつき・いねつき)城は、現在の赤羽駅南口から約5分ぐらいの所にあります。築城はあの太田道灌と云われているようですが定かではない様です。当時は豊島氏の支配地域だったことから、太田道灌が豊島氏から奪い取って居城にしたんではと思っています。稲付城は戦略上の位置づけとして、岩槻城と江戸城のちょうど中間あたりに位置し、両城を考えるとかなり戦略的には重要な城だったんじゃないかと思います […]
平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]
高見城 / 四ツ山城 / 四津山城の感想 高見城 / 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に『高見』『高見在番衆』というのがあったらしく、その名が登場することからこの年頃には築かれていたんじゃないかなぁ~!?!?って云われています(〃艸〃)ムフッ現在の小川町駅(東武東上線?)から約3.5km北方面、比企丘陵(ひききゅうりょう)最北部の丘陵部・四津山(標高197m […]
腰越城の感想 青山城 / 割谷城から約5.4km先に、扇谷上杉氏の家臣だった武蔵松山城の城主、上田氏が青山城と同様に支城として築いたとされているのが『腰越城』です( `ー´)ノ上田直朝の重臣である山田直定が城主をつとめた城で、代々山田氏の居城となっていた様です。目立った戦闘の記録はないものの、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に武蔵松山城と共に落城したんじゃないかと思われます。その後は・・・その […]