- 2025.11.12
- 入場料無料,
日新公(島津忠良)の墓(鹿児島県)
日新公(島津忠良)の墓の感想 日新公(島津忠良)のお墓に行ってきました!戦国時代の島津家と言えばこの日新公から始まったと言われるくらい重要な人物です。日新公は1492年に伊作城(いざくじょう)で誕生しました。日新公が活躍した時代は島津宗家が弱体化していた頃で島津家としてお家の再興を求めていました。日新公は伊作島津家の生まれで宗家ではなかったのですが、宗家が弱体化していたため、伊作島津家10代目を継 […]
日新公(島津忠良)の墓の感想 日新公(島津忠良)のお墓に行ってきました!戦国時代の島津家と言えばこの日新公から始まったと言われるくらい重要な人物です。日新公は1492年に伊作城(いざくじょう)で誕生しました。日新公が活躍した時代は島津宗家が弱体化していた頃で島津家としてお家の再興を求めていました。日新公は伊作島津家の生まれで宗家ではなかったのですが、宗家が弱体化していたため、伊作島津家10代目を継 […]
尾辻佐左衛門の墓の感想 尾辻佐左衛門は島津尚久(しまづなおひさ)の家臣とされている人物で、島津尚久の墓の隣にお墓があります。尾辻佐左衛門がどのような活躍をした人物なのかは調べてもよくわかりませんでした。 島津尚久は、島津貴久の弟であり、兄、貴久の家臣として活躍します。(島津貴久は島津4兄弟の父親であり、貴久も尚久も日新公(島津忠良)の息子に当たる人物になります。)島津尚久は7歳で初陣を飾ったとされ […]
滝の城 / 本郷城の感想 滝の城は現在の所沢市(埼玉県)と清瀬市(東京都)の境(所沢市側)にあり柳瀬川の沿いの切り立った山?崖?の上にあった城だと思われます。築城者は太田氏とも大石氏とも云われており誰だがわかりませんが、八王子城の支城と云われており、当時は大石氏が城主であったんじゃないかと思います。大石氏は関東管領上杉氏の重臣で多摩地域に巨大な勢力を持った一族だった様ですが、北条氏が関東へ勢力を拡 […]
柏の城の感想 『柏の城』は現在の柏町3丁目の志木第三小学校辺りにあった中世の城跡です。柏の城は、室町時代中期に関東管領山内上杉家の重臣であった大石氏によって築かれた城の様ですね。その後、北条氏が関東の覇者になると大内氏は北条氏に従っています。因みに・・・当時の城主だった大石直久は駿河国にある獅子浜城の城代へと移されています。江戸時代中期に書かれた『舘村旧記(たてむらきゅうき)』には廃城後の柏の城近 […]
岡の城の感想 埼玉県朝霞市に名も無き城(全然有名でない城)の『岡の城』があります。調べてみると『浜崎陣屋』とか『峡の陣屋』とか呼ばれていた場所らしく、『岡の城』と言う名は、この地域に住む人達によって名付けられた呼び名であるみたいです(o^―^o)ニコこの城の近辺は縄文期や弥生期の集落跡も発掘されているため、経緯や自然地勢を推測すると天然発生型で築かれた山城なんじゃないかなって思います。よって明確な […]
中曽根城/淵江城の感想 中曽根城は現在の足立区の尾竹橋通り沿いの南側から行くと、荒川を渡った直ぐ左手の住宅地の中にひっそりと、しかし、しっかりと『中曽根城の碑』が建っています。今は中曽根神社となっているんですかね?(●^o^●)中曽根城は武蔵千葉氏の千葉勝胤によって築かれた城だと云われており、武蔵千葉氏の本拠地は赤塚城だったことから、中曽根城は赤塚城の支城として築かれたんでしょうねぇ~ 下総国内で […]
平塚城 / 豊島城感想 平塚城は武蔵国豊島郡にあった城で、名門の豊島氏との関係が深い城だったと思われます。平塚城は一般的には有名ですが、別名を『豊島城』と呼ぶそうです(; ・`д・´) 築城の時期は定かではありませんが、豊島近義が平塚城/豊島城を築城したと云われ、源義家(平安時代中期から後期にかけての武将で、源頼朝(鎌倉幕府)と足利尊氏(室町幕府)の祖先となり名将です!)と義光・義綱の三兄弟が平塚 […]
滝野川城の感想 滝野川城は関東(東京都内?)の名門!豊島氏の一族の滝野川氏が築いた城だと云われています。しかし築城して間もなく、1477年に太田道灌に攻められ、豊島氏とともに滅亡し廃城となったと云われているみたいですねぇ~(@_@)滝野川城を居城とした滝野川氏は、豊島氏の一族にだったと云われ滝野川氏がいつごろ豊島氏から分かれたのかは明らかではありませんが、宮城氏や志村氏や赤塚氏などの他の諸家が分か […]
伝 千葉一族の墓の感想 『伝 千葉一族の墓』は下総国ではなく『武蔵千葉氏』と云われる千葉一族の墓で、武蔵千葉氏の祖とされる千葉自胤(ちばよりたね)が1492年に寺領を寄進した松月院に一族の墓がありました。 武蔵千葉氏は元々は下総国の千葉氏で、一族などの争いで負けてしまい市川城(国府台城)が落城したため兄の千葉実胤と共に武蔵国に逃げ込み、千葉実胤は近くの赤塚城へ千葉自胤は石浜城へ移ったとされます。そ […]
江古田古戦場跡の感想 現在の哲学道公園から野方6丁目辺り(新青梅街道沿い一帯)では、太田道灌と豊島泰経らが激戦を繰り返した古戦場(江古田・沼袋の戦い)です!トリガーは関東で28年間断続的に続いた内乱の享徳の乱(きょうとくのらん)で、古河公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を暗殺したことから始まり、室町幕府足利将軍と組んだ山内上杉氏・扇谷上杉氏が鎌倉幕府側の公方足利成氏と関東一円を巻き込んだ争いで、そ […]