岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城(宮城県)
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
名生館官衙遺跡の感想 7世紀末って云うのだから・・・飛鳥時代?~平安時代に営まれた律令期の役所(官衙)跡の様です。大崎平野の北西部にあり標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地しています。 遺跡の範囲は南北1,100m・東西700mの広さがであります。中世奥州探題大崎氏の名生城としても有名らしいですね。って云うか、名生城として組み込まれ使われていたんだと想像します(`・ω・´)ゞ 継続的 […]
名生城/御所館/義隆館の感想 名生(みょう)城の築城年代は定かではありませんが、南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われています(=゚ω゚)ノ足利氏の流れを組んでいる斯波高経の弟の斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向し大崎氏の祖となり、大崎家兼の二男の兼頼が出羽国に進出し山形で最上氏の祖となった様です。つまり・・・大崎氏と最上氏は元々同じ流れを組む斯波氏の出なんですね~(。◕ˇдˇ◕。)/けど・ […]
青塚城の感想 古川城から約500m~700mぐらい離れたところに青塚城があります( `ー´)ノ 青塚城は、大崎氏第6代目当主の大崎持詮の弟の大崎直兼が居城したことによって始まったと云われており、この大崎直兼が青塚氏の祖となったと思われますね(`・ω・´)ゞ その後、城主は古川弾正の弟青塚左衛門、また大崎家臣青塚左衛門吉春などと云われています。 青塚城は古川城の支城としてあったと思います。 元々は現 […]
古川城の感想 古川城の築城ははっきりしていませんが、室町時代中ごろに大崎氏第7代目当主の大崎教兼(のりかね)の6男(誰なんだかわかっていません)が居館として構えたことが始まりとなり、後子孫は古川氏を名乗ったと思われ1532年~1555年頃には古川刑部少輔持熈(もちひろ)が城主であったと云われています。また、古川刑部持慧(もちさと)と古川弾正忠隆(ただたか)が大崎氏の家臣だった記載もあり、古川氏を名 […]
高清水城の感想 1532年〜1555年頃に高清水(高泉)直堅によって築かれたと云われる。 高清水直堅は大崎家第9代目の大崎義兼の三男となります。また一方では大崎(高泉)持家が築城したとする伝えもある様で誰が築城したのかは不明みたいですね。奥羽山脈のから東へ延びる築館丘陵の末端部に位置し、沖積平野(ちゅうせきへいや)に面した標高20m程の緩やかで平坦な微高地に造られていた様ですね! 大崎氏(大崎一族 […]
前九年の役 阿久利川古戦場跡の感想 『前九年の役』とは陸奥国の大豪族安倍氏と朝廷側の源頼義父子の戦いで1051〜1062年に東北で起きた長期戦です。前九年の役後、安倍氏が滅び代わって清原氏と源氏の力が強まる結果となりました。 『前九年の役 阿久利川古戦場跡』はその『前九年の役』で行われた合戦そのものではなく『前九年の役』が泥沼の全面戦争へと再燃する直接の引き金となった『阿久利川事件』の舞台(事件発 […]
伊治城の感想 伊治城は『いじじょう』『これはりじょう』『これはるじょう』などの呼び方が複数あります(〃艸〃)ムフッ 日本語って本当にむずかしいなぁぁぁ~苦笑 長らく『いじじょう』と音読みされていたみたいですが、多賀城跡から発見された漆紙文書などにより、当時は『これじ』『これはり』または 『これはる』と呼ばれていた可能性が非常に高い様です。 伊治城は奈良時代(8世紀後半)に大和律令政府が東北地方(陸 […]
沢辺館/臥牛館の感想 沢辺(さわべ)館、若しくは、臥牛(がぎゅう)館とも云います。聞きなれない『臥牛』の意味は『伏せて横たわる牛』の姿・カタチを意味している様で、この沢辺館全体がこんもりとした小山に築かれており、その姿が『伏せて横たわる牛』に似ていたのでそのように呼ばれていたんでしょうねぇぇぇ~(`・ω・´)ゞ1199~1201年頃に、葛西氏の家臣だった二階堂常信が衣川より移り住み館を築いたのが始 […]
黒岩元館/岩崎塞の感想 基本的には黒岩城の中になるんだと思われますが、こちらは黒岩元館(くろいわもとだて)もしくは岩崎塞(いわさきのさい)と呼ばれ、和賀氏が最初に築城した古城だったのではないかと思われる場所になります。その後、室町時代、戦国時代と経過する中で城の範囲を拡張整備していき黒岩城の案内図にある城になったと思われます。 黒岩城では遺構を確認することはほとんどできませんでしたが、こちらは堀切 […]