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塩冶掃部介の墓(島根県)

塩冶掃部介の墓の感想 あまり知られていない戦国武将だとは思われますが、私にとっては非常に興味深いキーマンとなる武将です。私が読んだ小説では若き頃の尼子経久と塩冶掃部介は切磋琢磨した間柄であり、応仁の乱など早くから京に在京し西軍の中心になっていた武将です。尼子経久とは旧知の中でよきライバルでもあったと想像していました。 塩冶氏は出雲国の有力な国人衆で出雲国の守護職京極氏の家臣でもありました。塩冶掃部 […]

尼子国久・誠久・敬久の墓 (島根県)

尼子国久・誠久・敬久の墓の感想 新宮党館跡の館内に『尼子国久・誠久・敬久の墓』があります。 尼子の精鋭、新宮党につきましては新宮党館跡に記載しました。尼子経久の次男 尼子国久と国久の息子 誠久・敬久 は本当に尼子軍の中心的戦力だった様で数々の武勇が残っています。 尼子経久の孫、尼子晴久に粛清され滅ぼされてしまいますが、一方で、その粛清は毛利元就の謀略だと云う話も残されています。 当時、西の最大勢力 […]

新宮党館跡(島根県)

新宮党館跡の感想 新宮党は尼子経久の 次男 国久 が、尼子氏一門による親衛隊的な役割を持つ精鋭集団が組織化されたことが始まりとなり、尼子国久が引き継いだとされています。(初期は尼子経久の弟、尼子久幸だったのかな???)尼子経久の指揮の下、出雲国・安芸国・備後国を転戦し尼子家の勢力拡大に貢献した最強軍団として知られています。尼子久幸が吉田郡山城の戦いで討死し、尼子経久が寿命で亡くなると尼子家は孫の尼 […]

伝 毛利元秋の墓(島根県)

伝 毛利元秋の墓の感想 1552年、安芸国戦国大名の毛利元就の五男として生まれます。毛利元就の三兄弟(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)は有名ですが、四男の穂井田 元清(ほいだ もときよ)、五男の毛利元秋となり元秋は備後国(広島県北部)の有力国人の武将 三吉氏の出身の継室であるだった様です。 1566年に月山富田城で尼子義久が『降伏し落ちると、毛利元就の重臣の福原貞俊や口羽通良が在番しますが、どんど […]

尼子興久の墓(島根県)

尼子興久の墓の感想 1497年、尼子経久の三男として生まれます。尼子経久の長男 政久 は知力ち武力、統率力を兼ね備えており優秀な跡取りでしたが、桜井宗的(阿用城)攻めの時に不運にも討ち死にしてしまいます。次男の国久は泣く子も黙る尼子軍最強の党を率いる『新宮党』のトップとして猛将と称されます。そして三男の興久は当時勢力を拡大していた大内義興から偏諱(へんき)『興』の字を引き継ぎ『興久』と名付けられた […]

(羽柴)秀吉本陣跡/平井山ノ上付城跡(兵庫県)

(羽柴)秀吉本陣跡の感想 三木合戦の際に秀吉が本陣として使用した陣跡になります。平井山ノ上付城跡(ひらいやまのうえつけじろあと)とも呼ばれているそうです。三木合戦は秀吉を離反した三木城城主の別所長治を討伐するための戦いになります。案内板には「天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされている。8月に羽柴秀吉が入ると、1 […]

竹中半兵衛陣所跡(兵庫県)

竹中半兵衛陣所跡の感想 三木合戦の竹中半兵衛の陣所跡と言われている場所へ行ってきました。竹中半兵衛はこの三木合戦の最中に病気のため亡くなり、この陣所跡の近くに竹中半兵衛のお墓が残っています。 この陣所跡は秀吉本陣跡の北側に位置する平井山という場所にあります。一応案内はありますが、見落としやすいので訪問される際は注意してください。竹中半兵衛(竹中重治)は1544年に美濃(岐阜県)で生まれます。家系と […]

竹中半兵衛の墓(兵庫県)

竹中半兵衛の墓の感想 竹中半兵衛のお墓に行ってきました!竹中半兵衛と言えば、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の天下取りに貢献した軍師であり、また黒田官兵衛と仲が良かったと語られている人物でもあります。黒田官兵衛が荒木村重が織田信長(羽柴秀吉)から離反して有岡城に立て籠もり官兵衛が有岡城に幽閉された際に竹中半兵衛が黒田官兵衛の息子黒田長政を助けた逸話などがあります。大河ドラマ軍師官兵衛でもこの軍師二人の友情 […]

多田城跡/多田構居跡(兵庫県)

多田城跡/多田構居跡の感想 多田城跡/多田構居跡この読みは「ただじょうあと/ただこうきょあと)と読みます。ただ昔は「構居」とかいて「かまえ・かまい」と読んでいたとのことで、この辺りを「構江」と書いて「かまい」と呼ぶそうです。この居館は普段生活をする館跡で黒田城とは詰め城(戦の際に使用するお城)の関係だったとのことです。これが事実とすれば黒田家が使用していた居館跡なのではないかと思われますが、「播磨 […]

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡(兵庫県)

黒田官兵衛生誕地/姥が懐/黒田家屋敷跡の感想 黒田官兵衛(如水・黒田孝高)生誕地へ行ってきました。伝承としての黒田官兵衛生誕地ではありますが、官兵衛好きとしては外せない場所です。この前の投稿の黒田城の麓にあり、普段はこの屋敷で過ごしていて黒田城が戦の時の詰め城だった可能性もあるかと思います。もしくは、黒田城に宗家がいて同じ黒田家の中でも官兵衛の家系はこの場所を居館にしていた可能性もあるかもしれませ […]

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