指定史跡

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小山城 / 祇園城(栃木県)

小山城 / 祇園城の感想 『小山城』は小山市城山町の思川沿いにある城で、別名は『祇園城(ぎおんじょう)』と呼んでおり、地元の方々は主に『祇園城』と呼んでいるようです。『小山城跡』は『小山氏城跡』と呼ばれる『鷲城』・『祇園城』・『中久喜城跡』をひとつにまとめ『祇園城』とされ国の史跡とされているみたいですねぇ。。。(ややこしぃ~苦笑) 『祇園城』にするのが一番なのかもしれませんが、『関ケ原の戦い』の前 […]

栃木城(栃木県)

栃木城の感想 栃木駅の近くにああります・・・『栃木城』です!!!(〃艸〃)ムフッ なかなか行けない城は勢いで行っちゃってから、後で調べてみて驚き(楽しみ)があるのですがぁぁぁ~♪♪♪『皆川城』の皆川広照の時代に、山城から平山城に移すべく築かれたのが『栃木城」らしいです! 栃木城は、1591年に、皆川広照の居城だった皆川城にかわって築かれたとされ、本丸や東二ノ丸とか、蔵屋敷や東三之丸、南三之丸からな […]

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城(埼玉県)

騎西城 / 私市城 / 根古屋城 / 山根城の感想 騎西城です!(^▽^)/~♪歴史(特に北条氏や佐竹氏)の本を読んでいると、よく獲った獲られたって城で騎西城が出てきます。 騎西城の築城は・・・よくわかっていません! 上杉氏の配下の太田氏(確かに近所だからね~)って話もありますが、自分自身もどんな感じだったのか?を妄想しながら楽しんでいます。でも現地にに行ってみて、『忍城』や『羽生城』にある様に、 […]

甘崎城 / 天崎城(愛媛県)

甘崎城 / 天崎城の感想 甘崎城は愛媛県今治市上浦町甘崎の古城島にある島城であり、別名を古城・岸の城・荒神城と呼ばれており、築城の歴史はめちゃめちゃ古い可能性があり、古代には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の東方鎮護として機能した島らしく、古名は『アマノサキ』の意味で『アマ』は海人を、『サキ』は防人(さきもり / ぼうじん)の意を指し、鎌倉時代には海人(海武士)を取り締まるために城砦が築かれた( […]

天霧城 / 尼斬城(香川県)

天霧城の感想 最初に言っておきます!!! 天霧城!!!断念!!!(´;ω;`)ウゥゥ 極寒の中、辿り着くまでに結構四苦八苦し、辿り着くと天候が悪化!?写真ではわからないのですが、霙っぽいのと強風がガタガタし始め、先の長そうな戦いにシッポを巻いて逃げ帰っていました~(´;ω;`)ウッ… 本当に申し訳ございません!!!! 天霧城は本当に行きたかった念願の城で!天霧城は香川信景の居城で、香川信景は長宗我 […]

丸亀城 / 蓬莱城(香川県)

丸亀城の感想 すごく有名なお城ですね!現存12天守(現存天守)の一つ丸亀城です♪♪♪またの名を蓬莱城(ほうらいじょう)と云うみたいですね!? 現在の丸亀城は(個人的に)『魅せるお城』っぽく感じます。調べてみると丸亀城の改修は豊臣政権が四国を支配し、入国した生駒氏や、その後、山崎氏が行ったようで、丸亀城の築城は奈良元安なる人物らしく『奈良氏って誰???』的に思う人も多いでしょうが、奈良氏はあの『忍城 […]

屋嶋城(香川県)

屋嶋城の感想 屋嶋城は『やしまじょう』『やしまのき』と呼ばれる城で、私もよくは知らなかったですが、『白村江の戦い』で唐・新羅連合軍と滅ぼされた百済を復興しようとする日本・百済遺民の連合軍がぶつかった合戦で日本・百済遺民の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗し、大敗した大和朝廷が日本の防衛ラインとして対馬~畿内一帯に築いたのが『古代山城』と呼ばれ、福岡の『筑前大野城』もそのひとつらしく、対馬~畿内一帯で30 […]

鞆城(広島県)

鞆城の感想 『鞆城(ともじょう)』は現在の広島県福山市にある『鞆の浦』と云うめちゃくちゃ雰囲気のいい港町の面影を残した場所にあります。私は広島出身なのですが『鞆の浦』と云えば昔から古き良き港町のイメージがあり、今でも是非皆様に行って欲しいスポットのひとつです!!!(^▽^)/ 『鞆城』を私が知ったのは、戦国時代、織田信長に京を追い出され足利義昭が毛利氏を頼って辿り着いた場所がここ鞆の浦と云われてい […]

木村城(広島県)

木村城の感想 『木村城』は、相模国を本拠地としていた桓武平氏の土肥氏であった土肥実平が源頼朝に支え、源平の合戦後土肥実平の子遠平が安芸国沼田(ぬた)荘の地頭職となり拝領し、これを譲られた養子の影平が安芸国に移住した事から始まります。土肥氏は出身の相模国早河荘から名をとって土肥氏から小早川氏と名を変えたらしく、当初は沼田川が流れる場所に『高山城』を築き本城としたが、1258年に本城だった本郷沼田庄の […]

高山城(広島県)

高山城の感想 高山城は相模国早河荘に所領を持っていた土肥実平が、安芸国沼田荘に地頭として入部したことに始まるり、早河荘からの地名から『小早川』と名乗ったのが始まりとされたと云われています。1206年に小早川茂平が高山城を築き居城としたとされ、後に茂平の三男、小早川雅平が沼田荘を引き継ぎ本家筋とし、四男の小早川政景が都宇竹原荘へ移り住み分家として木村城を築いたとされています。のちに本家の『沼田小早川 […]

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