指定史跡

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筑前 大野城(福岡県)

筑前 大野城の感想 高橋紹運の岩屋城と同じ場所に築かれている壮大な山城『大野城』があります。今から約1360年(記載時は2024年12月)前の飛鳥時代だった665年に太宰府政庁の防衛のために築かれた 『古代山城(こだいさんじょう)』の一つだと云われています。飛鳥時代の大和朝廷は『白村江の戦い』で、唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が大宰府防衛を目的として築いた城だと考えられています。『 […]

秋月城 / 秋月陣屋(福岡県)

秋月城 / 秋月陣屋の感想 秋月城と云えば、紀伊国(和歌山)の秋月城や阿波国(徳島)の秋月城がありますが、私の中ではここ筑前国(福岡)の秋月城が『秋月城』です!!!(^▽^)/~♪(ごちゃごちゃしてすみません!) 行ってみて気が付いたのですが、秋月城はてっきり秋月氏が築いた城だと思っていたのですが、黒田長興(黒田長政と栄姫(家康の養女)との間に生まれた次男)が秋月城を築城し、秋月藩初代藩主となった […]

中津城 / 中津川城 / 扇城(大分県)

中津城 / 中津川城 / 扇城の感想 ついにやってきました!!!!中津城です!(^▽^)/~♪豊臣秀吉が九州討伐で制圧した後に、黒田官兵衛が豊前国6郡12万3000石(別の説では16万石とも云われているようですね)を与えられ入国。当初は馬ヶ岳城(現在の福岡ですが福岡と大分の県境ぐらいの場所にある山城です)を居城とするのですが、馬ヶ岳城を息子の長政に任せ、官兵衛自身は新にここ中津の地の中津川沿い(当 […]

馬ヶ岳城(福岡県)

馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]

黒田如水本陣跡(大分県)

黒田如水本陣跡の感想 東側に海があり西側の実相寺山に布陣して約2.2km下った石垣原古戦場へ殺到する中、北側に布陣していたのがこの『黒田如水本陣跡』だと思われます。『黒田如水本陣跡』とありますが、黒田官兵衛(如水)本人は赤根峠を越えて国東に進出し富来城の垣見一直を包囲し、続いて安岐城の熊谷直盛攻めて出てきた熊谷軍を撃退し、ここ石垣原に向かっていた様です。黒田如水本陣にいたのは井上九郎衛門と野村市右 […]

大友宗麟公の墓(大分県)

大友宗麟公の墓の感想 大友宗麟の墓です!!!大友宗麟はキリシタン大名の代表的な武将として有名で、大友宗麟が当主となってから武威を誇り、豊前豊後、筑前筑後、肥前肥後の6箇国と日向伊豫の各半分を領し、勢威九州を圧し大友の最盛期を築いた、戦国時代屈指の武将とされていますが・・・個人的にはあまり好きではありません~苦笑自分が抱いているイメージは女性漁りがひどくて家臣の嫁まで奪い取り、キリスト教に没頭し過ぎ […]

佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城(大分県)

佐伯城 / 鶴ヶ城 / 鶴屋城 / 鶴谷城の感想 大分県佐伯市にあり豊後水道を見下ろす山城として築かれた城、『佐伯城』です!!!『佐伯』と書けば『さえき』と読みそうですがこれは誤りで『さえき』ではなく『さいき』と読みます。。。よって、『佐伯城(さいきじょう)』です!!!\(◎o◎)/! 佐伯城の築城は意外と新しく1606年で関ケ原の戦いが終わった後に、1601年に豊後国海部郡佐伯に2万石で入国した […]

中村城 / 為松城(高知県)

中村城の感想 中村城は、公家一条氏の流れを組む前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が、土佐の国人衆だった大平氏の支援により土佐国幡多郡中村に下向し土着したのが発端し、初代の一条房家、房冬、房基、兼定、内政の五代に渡り土佐一条氏の居城となった城です。中村城は元々土佐国中村にいた国人の為松氏が築いた城で、一条氏がこの地に流れてくると為松城は一条氏の城となり、為松氏は一条氏の重臣として仕えることとなり […]

朝倉城 / 重松城(高知県)

朝倉城の感想 すげぇ~前々から行きたかった憧れの山城です( `ー´)ノ『朝倉城』です!!!めちゃくちゃ気合入れて朝倉城の城攻めに向かったのですが・・・・・・・・・・・・・・・ 築城はいつだか定かではありませんが(1521年〜1527年頃かな・・・?)、本山茂宗(清茂)によって築城されたと云われており、本山茂宗は勢力拡大を図り南下し当時岡豊城の城主だった長宗我部兼序(長宗我部国親の父親、元親の祖父) […]

吉良城 / 吉良峰城(高知県)

吉良城の感想 土佐国の戦国七守護のひとりである吉良(土佐吉良)氏によって築かれた城で築城の年は不明です!吉良氏は土佐国でも名門の一族です。吉良城は標高111mほどの平山城で南北両嶺の曲輪を有しているみたいです。北嶺は南北40m、東西20mの楕円形で南端には櫓台のような場所もあるそうです。 土佐国における吉良氏の全盛期を築いた吉良宣直が五千貫を領し土佐七雄のひとりとして覇を唱えていたが、勢力を急激に […]

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