- 2025.03.04
- 入場料無料,
(宍戸氏家臣)三十人の墓(広島県)
(宍戸氏家臣)三十人の墓の感想 安芸国の毛利元就と周防国の陶晴賢との『厳島合戦』の前に、毛利氏の家臣に宍戸孫六と呼ばれる武将が海老山に城を築いたと云われております。陶氏は3万の軍勢で毛利氏との合戦に備え、海老山城にあった『宍戸氏館跡』を攻め、宍戸氏の家臣三十名の尊い命が犠牲になった様です。亡くなった家臣の遺骸は海老山に土葬され、埋葬された後に村民により墓石が建てられました。今でも桜の木の下には当時 […]
(宍戸氏家臣)三十人の墓の感想 安芸国の毛利元就と周防国の陶晴賢との『厳島合戦』の前に、毛利氏の家臣に宍戸孫六と呼ばれる武将が海老山に城を築いたと云われております。陶氏は3万の軍勢で毛利氏との合戦に備え、海老山城にあった『宍戸氏館跡』を攻め、宍戸氏の家臣三十名の尊い命が犠牲になった様です。亡くなった家臣の遺骸は海老山に土葬され、埋葬された後に村民により墓石が建てられました。今でも桜の木の下には当時 […]
宍戸氏館跡の感想 現在の広島市佐伯区にある海老(『えび』ではなく『かいろう』と呼びます)山城(現在は海老山公園)に、毛利氏の親族筋となる宍戸氏(宍戸隆家は毛利元就の長女と結婚)が厳島合戦の前に築かれたと云われています。『海老山城』は当時、陸から少し離れた比高50mほどの独立台地(小島)だった様で、『宍戸氏館跡』は海側ではなく陸側に築かれていた館だった様です。 宍戸氏館跡画像ギャラリー 最寄り駅はJ […]
甘崎城 / 天崎城の感想 甘崎城は愛媛県今治市上浦町甘崎の古城島にある島城であり、別名を古城・岸の城・荒神城と呼ばれており、築城の歴史はめちゃめちゃ古い可能性があり、古代には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の東方鎮護として機能した島らしく、古名は『アマノサキ』の意味で『アマ』は海人を、『サキ』は防人(さきもり / ぼうじん)の意を指し、鎌倉時代には海人(海武士)を取り締まるために城砦が築かれた( […]
川之江城 / 仏殿城の感想 以前、四国で働いていた頃があり、クルマで移動中によく見かけていた城が川之江城でした! 川之江の地は、伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ重要な交通の要衝であったため、南北朝時代に南朝方だった河野氏が川之江の鷲尾山山頂に砦を築き、1337年に土肥義昌が川之江城を築いたと云われています。 1342年 に細川頼春が7千の大軍を率い川之江城を攻撃し、川之江城主の土肥義昌破れ討死してしま […]