建昌城/瓜生野城(鹿児島県)
建昌城/瓜生野城の感想 建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい& […]
建昌城/瓜生野城の感想 建昌城(けんしょうじょう)もしくは瓜生野城(うりうのじょう)と読みます。歴史的には最初、瓜生野城が築城されてその後、江戸時代に建昌城という名前で現れたため「建昌城」と呼ばれているみたいです。画像の方で説明しますが、さらに建昌城の曲輪の一部は「胡麻ヶ城(ごまがじょう)」と呼ばれておりこの胡麻ヶ城と呼ばれる場所が「瓜生野城」があった場所とされているようです。うーん。解りづらい& […]
島津家墓所の感想 島津家墓所へ行ってきました!現在は国の指定史跡にも指定されている島津家のお墓になります。島津家のお墓は福昌寺というお寺にあり、現在はお寺は廃寺となっております。お寺の一部は鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校になっており、高校の裏にお墓がある感じです。この福昌寺というお寺は、1394年に島津家第7代当主「島津元久」によって建てられたお寺で、1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に来た […]
加世田麓の感想 加世田麓(かせだふもと)と呼びます。別府城/加世田城の麓にある場所で、簡単に言うと、城下の武家屋敷街だったところをこのように麓と呼んでいるみたいです。麓についての詳細な説明がなかったのでこのように理解しています。 加世田麓以外にも十二の麓があるみたいで幟旗が立てられていました。無料で武家の住宅が見学できるとのことで「旧鯵坂家住宅」に入らせていただきました。ただ、門があていたので入ら […]
別府城/加世田城の感想 お城の名前だけ見ると間違えてしまうかと思いますが、こちらは鹿児島県南さつま市にある別府城になります。別名「加世田城(かせだじょう)」とも言います。別府城は1177年に別府忠明によって築城されたお城になります。この別府氏は桓武平氏の流れをもつ家系で、平貞時を祖とする平氏一族とされているようです。別府氏は1177年から1420年まで別府城の城主としてこの地を治めますが、島津家第 […]
内城の感想 内城は戦国時代のお城としては珍しく平城であまり戦闘のことは考えていなかったお城と思われます。しかも島津家として50年間も居城にしていたお城と考えると違う意味で島津家の凄さがわかる気がします。内城は島津家の第十五代当主「島津貴久」によって1550年に築城されたお城になります。島津貴久は有名な島津4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父親になります。この4兄弟があるのも貴久の活躍があってこそで […]
帖佐地頭仮屋跡の感想 帖佐地頭仮屋とは、江戸時代に地頭という藩から役人が派遣されてきてその人たちが政務を行なった場所を「地頭仮屋」と呼ぶみたいです。帖佐地頭仮屋においては島津藩としての派遣というよりは越前島津藩の領主もしくは家臣が地頭として政務を行なっていたようです。現在の帖佐地頭仮屋は帖佐小学校になっており、遺構らしきものは残っていないようです。 この地頭仮屋(帖佐小学校)の横の道を進んでいくと […]
平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]
吉田松尾城の感想 鹿児島市にある方の松尾城になります。鹿児島県内には他にも複数松尾城があるのでこちらは吉田松尾城と呼ばせていただきます。吉田松尾城は吉田氏が居城にしたことで吉田城とも呼ばれ、松尾山に築城されたので松尾城とも呼ばれるみたいです。案内板などはどれも松尾城で統一されていますが、わかりづらいですね。築城は吉田清正が応永年間の後半に築城したとされているので、1420年前後くらいかと思われます […]
蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]