にんじゃ

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藤岡城/芦田城(群馬県)

藤岡城/芦田城の感想 藤岡城は方形の平城のお城だったようです。1590年に築城なので、戦国時代末期に建てられたお城ということになります。築城主は依田(芦田)康勝で1590年に小田原攻めで後北条氏が滅んだことによる、徳川家康の関東移封で家康から藤岡に3万石をもらったとのことです。しかし、康勝は1600年に大阪で囲碁で同僚の小栗三助と喧嘩になり小栗三助を殺害してしまいます。康勝はそのまま高野山に蟄居さ […]

倉賀野城(群馬県)

倉賀野城の感想 倉賀野城は武蔵七党の兒玉党(秩父氏)がこの倉賀野の地へ来て、秩父三郎高俊が倉賀野氏と名乗ったことで始まったとされています。この秩父氏ですが、名前的に武蔵七党の秩父党の秩父氏のイメージですが、兒玉党の秩父氏というのも面白いですね。 倉賀野氏は関東管領・山内上杉氏に支えていたので戦国時代には上杉氏と武田氏の戦いに巻き込まれていきます。というか、「倉賀野一六騎」と呼ばれ武田信玄の攻撃をな […]

山名城/前城/寺尾下城(群馬県)

山名城の感想 山名城は武田信玄の家臣、木部氏のお城ですが、1395年に尹良親王(ゆきよししんのう)が築城したとされています。山名城があるのは観音山丘陵と呼ばれる丘になるみたいですが、この丘陵には5つの城址があり、1、寺尾上(てらおかみ)城、2、寺尾中(てらおなか)城、3、茶臼山(ちゃうすやま)城、4、根小屋(ねごや)城、5、山名(やまな)城の5つになります。表現としてはあったという方が正しいのかも […]

新田義貞誕生地/台源氏館跡(群馬県)

新田義貞誕生地/台源氏館跡の感想 新田宗家の館があったところで4代目の新田政義が築城したと言われています。築城時期は不明ですが、新田義貞が8代目なので、平安末期から鎌倉時代初期ごろですかね?台源氏館と言われているのは、館の場所が「台(だい)」と言われていた場所で、そこから新田氏をこの土地の人たちが台源氏と読んだことで台源氏館というらしいです。 説明版にも書かれていますが、誕生地は諸説あるみたいでこ […]

祢津城 下の城/禰津城 下の城(長野県)

祢津城下の城/祢津城下の城の感想 禰津氏(ねずし/ねつし)は滋野一族の御三家の一つになります。 禰津氏は、東信濃の名族で古くは平安末期の保元の乱(1156年)や源平合戦の文献にも名前が登場している古くからの士族になります。三家の他の士族にも興味がある方は海野氏の海野氏発祥の郷や望月氏の望月城などが記事になっておりますので読んでいただければと思います。 祢津城についてですが、祢津城は「上の城(かみの […]

海野幸義公戦死の地(長野県)

海野幸義公戦死の地の感想 長野県上田市にある海野幸義公戦死の地へ行って来ました。国道18号線沿いの「蒼久保」という交差点の脇にあります。海野幸義は「海野平の戦い(神川合戦)」で亡くなった武将になります。海野氏の当主・海野棟綱の嫡男とも言われる人物ですが棟綱の弟と言う説もあります。海野平の戦いですが、1541年に甲斐の武田信虎(信玄の父)、北信濃の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍がこの場所を含む周辺 […]

海野氏発祥の郷(長野県)

海野氏発祥の郷の感想 真田氏のルーツとも言える海野氏発祥の地が木曽義仲挙兵の地と同じ白鳥神社にありました。というか、海野氏発祥の郷を見つけて訪問したら木曽義仲挙兵の地だったという方が正しいのですが。。 まずは、滋野氏から説明していこうと思います。滋野氏は平安時代初期に朝廷から「滋野」の姓を授かった氏族で、元々は宮廷で文官などとして活躍してたとされていいます。その後信濃国の国司や牧監(朝廷の馬を育て […]

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社(長野県)

木曽義仲挙兵の地/白鳥神社の感想 長野県東御市の白鳥神社の脇に大きく木曽義仲挙兵の地の案内がありました。この辺り一体として木曽義仲挙兵の地とされているので上田市など他の場所にも挙兵の地として案内がされているようです。 個人的にですが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で木曽義仲と言えば不器用ながらも平家を倒すために邁進し、最後は頼朝から敵視され源義経を送り込まれて、「粟津の戦い」で討たれた印象が強く残っ […]

望月城(長野県)

望月城の感想 望月城は平安時代から鎌倉時代ごろに滋野氏の支流にあたる望月氏によって築城されたようです。戦国時代に入り、武田信玄による信濃方面への侵攻により1543年に落城されたとのことです。その後、望月氏は武田家の家臣となり、望月城は武田氏の佐久支配の拠点として改修されたとのことです。武田氏滅亡後はこの記事の前に書いた伴野城と同様に1582年、天正壬午の乱の時に徳川方の依田信蕃(よだのぶしげ)に攻 […]

伴野城/野沢城(長野県)

伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]

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