牛尾城 / 三笠城 / 三笠山城の感想 もしかしたら三笠城が正しいのかも知れませんが、あえて私は牛尾城と記載させて頂きます!( `ー´)ノ牛尾氏は出雲国の有力な国人衆の一族だったらしく、尼子経久が月山富田城を奪還し出雲国に勢力を拡大し始めると、牛尾氏は尼子経久の家老(出雲国の国人衆なのに!!!凄い!!!)となりその剛腕を発揮して出雲国制覇に貢献したようです。牛尾氏は元々信濃国の諏訪神社神主家&nb […]
阿用城 / 阿与城 / 磨石城の感想 阿用城は行ってみたかった城のひとつです。尼子経久の本を読んでいると、京極氏の守護大名を支える家臣として、桜井宗的という武将が出てきます。この武将は秩序を重んじる知見者であり弓矢の名手だとも記載されていました。尼子経久が出雲国を席巻し周りの状況もどんどん変わる中、古き良き武家社会を想う桜井宗的は京極氏への想いと尼子経久への憎悪を膨らましていきます。一時は尼子経久 […]
高瀬城の感想 俺の城攻め1日をぶち壊してくれた城です!高瀬城です!!!!本当に壮絶で高瀬城攻めをした後は足がガクガクになり午後の戦いに苦戦をしいられました!(´;ω;`)ウゥゥ 本当にすごい規模の山城でした!!!! 高瀬城は米原氏が築いたと云われています。米原氏は佐々木六角氏の流れを組み、六角氏14代当主六角定頼の甥である六角治綱が養子となり近江国米原荘を領したことから米原氏を名乗り始めたと云わ […]
三刀屋城の感想 三刀屋城は山陰と山陽とを結ぶ街道沿いに位置する交通上の要衝にあり、三刀屋氏は出雲国において有力な国人衆として存在しています。三刀屋氏は清和源氏満快の流れを組む伊那氏の一族らしく、その子孫が出雲国飯石郡三刀屋荘の地頭職となり、その地名から三刀屋氏を名乗ったのが始まりらしいですね。約20㎞離れた場所にある三沢城の三沢氏もそうですが、出雲国には信濃国から移ってきた人が多いんだなぁ~って感 […]
三沢城 / 鴨倉城 / 亀嶽城の感想 1305年、三沢為仲(木曽義仲の孫)によって鴨倉山に築かれ、鴨倉城・亀嶽城と呼ばれていたようですね。三沢氏は上記に記載した通り、木曽義仲の流れを組む一族ととも云われたり、信濃国の源氏の流れを組む飯島氏の飯島城の城主だった飯島為光が1221年の承久の乱で武功を挙げ、出雲国三沢荘を与えられたため移り住んだとされてもいます。この三沢荘は良質な砂鉄を採ることが出来たた […]
馬木城 / 馬来城 /夕景城の感想 尼子十旗のひとつ馬木城 / 馬来城 / 夕景城です!行きたかった山城のひとつなのですが・・・結論から言えば城攻め失敗です!(´;ω;`)ウゥゥ朝6時頃に馬木城に着いたことと日にちが近い時に熊の目撃情報が2件あったこと、そして城に入っていくと何か土石流じゃないけど何かすごい勢いで流れていった跡があり、入口まで行ったのですが撤退してしまいました~( ノД`)シクシク […]
置塩城の感想 置塩城と書いて「おしおじょう」もしくは「おじおじょう」と読みます。置塩城は赤松氏が居城としたお城で、赤松 政則(あかまつ まさのり)が1469年に築城したお城になります。その後、100年、5代が居城にしたとのことです。赤松氏はもともと名門なのですが、1441年に赤松満祐が室町幕府の第6代将軍・足利義教を暗殺(嘉吉の乱)。ここで踏ん張れれば幕府を討ち、事実上の天下統一?くらいで教科書に […]
龍野城の感想 龍野城は1499年に赤松村秀(あかまつむらひで)が鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築城して始まります(こちらは龍野古城とも言われています。)が、1577年に赤松氏が羽柴(豊臣)秀吉にお城を明け渡します。ただ、秀吉は姫路城に入ったので、蜂須賀正勝が龍野城に入りました。1658年に龍野城に入っていた京極氏が丸亀城へ移封となり一旦龍野城は廃城となります。今回はその後、第2期目として1677年 […]
妻鹿城/国府山城の感想 妻鹿城(めがじょう)もしくは国府山城(こうざんじょう)と読みます。妻鹿城は妻鹿長宗によって1330年ごろに築城されたと言われております。その後、詳細な経緯は不明ですが、1573年に黒田官兵衛の父、黒田職隆(くろだもとたか)が居城として入ります。黒田官兵衛も羽柴(豊臣)秀吉に姫路城を譲った後、この妻鹿城に短い間ですが入ります。1585年、父の黒田職隆が亡くなるとこの妻鹿城も廃 […]
大江広元邸址の感想 『大江広元邸址』屋敷は、大江広元のお墓がある山の下にある明王院の向かい側、『明石橋』の交差点の所に滑川が流れていますが、その滑川沿いに屋敷があったものと思われます。 『大江広元邸址碑』にはこぉ書かれていました・・・(=゚ω゚)ノ『大江氏 奕世(えきせい:累代)学匠として顕(あらわ)る 嘗(かっ)て匡房(まさふさ) 兵法を以て義家に授く 広元は其の匡房の曽孫(ひまご)なり 頼朝に […]