- 2024.12.27
- 入場料無料,
高橋紹運公の墓(福岡県)
高橋紹運公の墓の感想 前回の『岩屋城』のレポートにも記載しましたが、岩屋城で壮絶な討死をした高橋紹運と家臣団のお墓が、岩屋城の二の丸付近にあります(`・ω・´)ゞ 高橋紹運の大体の流れは前回にも記載しましたが、武将・人物としてもとても優れており、個人的には本当に大好きな戦国武将です。(そんなに有名ではありませんが知る人ぞ知るって感じです)高橋紹運が、高橋家を継いだのは22歳の時だと云われています。 […]
高橋紹運公の墓の感想 前回の『岩屋城』のレポートにも記載しましたが、岩屋城で壮絶な討死をした高橋紹運と家臣団のお墓が、岩屋城の二の丸付近にあります(`・ω・´)ゞ 高橋紹運の大体の流れは前回にも記載しましたが、武将・人物としてもとても優れており、個人的には本当に大好きな戦国武将です。(そんなに有名ではありませんが知る人ぞ知るって感じです)高橋紹運が、高橋家を継いだのは22歳の時だと云われています。 […]
筑前 岩屋城の感想 平城だった高橋城から約20㎞離れた場所にある『岩屋城』です!!!念願です(´;ω;`)ウゥゥ念願の山城!!!岩屋城です!!!♡。゚.(♡´‿人´‿ ♡)゚♡ °・岩屋城は大友宗麟の重臣 立花道雪と共に筑前国(大宰府一帯)を守っていた忠臣 高橋紹運(たかはし じょううん)が、九州統一を目前とする島津軍2万に対し高橋紹運は手勢約700名で岩屋城に籠り壮絶な戦いを行い全員が討死した『 […]
筑後 高橋城 / 下高橋城の感想 ここも地味に訪れたかった城です(???城なのか?苦笑)筑後にある『高橋城』です(^▽^)/~♪ 高橋城は私の大好きな武将!『高橋 紹運(たかはし じょううん)』が名門の高橋家に養子に入って継いだ名家の城でした!(高橋 紹運の息子が立花道雪の立花氏に養子に入り立花家を継ぎ、立花宗茂となります(o^―^o)ニコ) 高橋氏の祖は大蔵春実で、筑後国朝倉の秋月氏や山門の田尻 […]
中津城 / 中津川城 / 扇城の感想 ついにやってきました!!!!中津城です!(^▽^)/~♪豊臣秀吉が九州討伐で制圧した後に、黒田官兵衛が豊前国6郡12万3000石(別の説では16万石とも云われているようですね)を与えられ入国。当初は馬ヶ岳城(現在の福岡ですが福岡と大分の県境ぐらいの場所にある山城です)を居城とするのですが、馬ヶ岳城を息子の長政に任せ、官兵衛自身は新にここ中津の地の中津川沿い(当 […]
城井ノ上城 / 城井谷城 / 萱切城 / 城井郷城の感想 この城もめちゃくちゃ城攻めしたかった山城です!『城井ノ上城』です(」’ω’)」オォオォオ!!!ウウゥゥアアォオ!!!!!! これが意外とめちゃくちゃ難しくて・・・(混乱)当初は私は『城井谷城(きいだにじょう)』だと思い辿り着いてみたら、『城井ノ上城(きいのこじょう)』だったり、何かしらの違いはあるのかもしれませんが、よくわからないのでいっし […]
馬ヶ岳城の感想 個人的に・・・絶対に攻め落としたかった山城です( `ー´)ノ『馬ヶ岳城(うまがたけじょう)』ですわ!!!!何故かと云えば、俺の大好きな黒田官兵衛が九州征伐後、豊臣秀吉から豊前国八郡のうち六郡(ただし宇佐郡の一部を除く)12万5000石を領地として与えられ入国した際に、豊後国最初に入城したのがこの馬ヶ岳城でした!!!(⌒∇⌒)黒田官兵衛は、当初、馬ヶ岳城を拠点としましたが短期間だった […]
黒田如水本陣跡の感想 東側に海があり西側の実相寺山に布陣して約2.2km下った石垣原古戦場へ殺到する中、北側に布陣していたのがこの『黒田如水本陣跡』だと思われます。『黒田如水本陣跡』とありますが、黒田官兵衛(如水)本人は赤根峠を越えて国東に進出し富来城の垣見一直を包囲し、続いて安岐城の熊谷直盛攻めて出てきた熊谷軍を撃退し、ここ石垣原に向かっていた様です。黒田如水本陣にいたのは井上九郎衛門と野村市右 […]
石垣原古戦場跡の感想 『西の関ケ原(言っているのは私だけ?笑 『九州の関ケ原』かな?笑)』と云われている戦い、『石垣原の戦い』が行られた『石垣原古戦場跡』を訪れてみました(^▽^)/石垣原は『いしがきはら』ではなく『いしがきばる』と読みます♪なんかこの辺が九州ぽくてめちゃめちゃいいですねぇ~♪(⌒∇⌒) 『石垣原の戦い』は関ケ原の戦いをきっかけに、黒田官兵衛(如水)軍(東軍側)と復活を目指す大友義 […]
吉弘嘉兵衛統幸陣所跡の感想 『大友義統本陣跡』から約1㎞山を下った場所に『吉弘嘉兵衛統幸陣所跡(よしひろかひょうえむねゆき)』があります!石垣原の戦いの際に大友義統の右腕として前線に陣を張ったのが吉弘統幸です!( `ー´)ノ!!! 吉弘統幸は大友氏を最後まで支える忠臣で、豊臣軍が大失態(大敗)した戸次川の戦いの際は、主君、大友義統や長宗我部軍、仙石軍らを逃がすために祇園川原の戦いで三百の手勢を分け […]
大友義統本陣跡の感想 1600年に関ケ原の合戦が始まると、『西の関ケ原の戦い』と云われる戦いが発生します。『石垣原の戦い(いしがきばるのたたかい)』です! 豊臣秀吉に改易されていた大友義統は、西軍の総大将毛利輝元の支援を受けて西軍に味方をすることに決め、広島城から西軍の将として出陣して豊後国に侵攻していっきに勢力を拡大した。関ケ原の戦いで混乱していた九州を暴れまくっていた黒田官兵衛は、西軍方の大友 […]