戦国時代(室町・安土桃山時代含む)

19/35ページ

三条城/三条島ノ城/三条嶋城(新潟県)

三条城の感想 三条城は平城だったと思われ、海城っていうのはよく聞きますが、ここは川(河)城だったのかもしれませんね・・・信濃川など大きな川が流れていますから、例えば川の中州にあった城とか・・・だからこんな感じで何も残らずに碑のようなものだけがあるのかも知れません。 まぁ~簡単に言えば全然わかりませーん( ノД`)シクシク… 碑は信濃川沿いにありますが、この辺は信濃川・五十嵐川・中ノ口川に挟まれた大 […]

蔵王堂城(新潟県)

蔵王堂城の感想 蔵王堂(ざおうどう)城は南北朝時代に北朝方だった中条氏が本陣を構えてから砦?城?になったとされています。元々は寺院か何かだったんでしょうかね?その後、長尾為重が本格的な縄張りを行い上杉家の家臣が代々入城し、上杉家が越後から会津移封するまで続いたようです。 上杉家が移封後、越後に新たに入国したのが堀秀治が一族で秀治の弟、堀親良がこの地に入り初代蔵王堂藩の初代藩主となり居城としていたよ […]

与板城(新潟県)

与板城の感想 本与板城から南に歩いて40分ほど、約3㎞の場所に与坂(よいた)城があります。行ってみるまで勘違いしていたのですが、与板城から新たに本与板城を築いて移ったのだと勝手に思っていましたが、実際は本与板城から新たに与板城を築いて直江一族は移ったんだそうです。だから(?)本与板(ほんよいた→もとよいた)城と呼ぶみたいですね~((´∀`*)) 与板城は直江景綱(お船の方の父親)が本与板城から移る […]

本与板城(新潟県)

本与板城の感想 本与板(もとよいた)城は直江兼続で有名な直江氏の居城です。もともとは新田氏が築城したと言われており、その後は越後国守上杉氏の重臣の飯沼氏入城する。1507年に越後守護上杉房能と越後守護代長尾為景が戦った『永正の乱』で長尾為景が飯沼氏を攻め滅ぼし、長尾氏の家臣であった直江実綱(景綱)が城主となった。 本与坂城は中央に実城(本丸?)があり、西側には二の郭や三の郭、南側には二重になる南郭 […]

狩野城(静岡県)

狩野城の感想 伊豆の内陸寄りにある城『狩野(かの)城』って言います。またの名前を『柿木ノ(かきぎの)城』とも言いますねぇ~狩野一族に興味を持ったのは、冨樫倫太郎さんが書いていた『北条早雲』っていう歴史小説を読んでから、伊豆公方『茶々丸』を支えながら徹底的に北条早雲に抵抗する姿が描かれてあり、勝手に『ガッツがあるじゃん!』って思って記憶に残っていました。 その時に描かれていた武将は『狩野道一』という […]

長浜城(静岡県)

長浜城の感想 長浜城は静岡県沼津市の伊豆方面にある長浜・重須(おもす)湊を含む西浦7カ村(重寺・三津・長浜・重須・木負・久連・平沢村)を守るために築かれた城の様であり、現在の海賊城になったのは当初伊豆を支配した北条早雲の時代ではなくて、三代目氏康・四代目氏政の時代に本格的な水軍強化のために築城された城ではないかと思います。二代目氏綱時代から本格的に戦うようになった里見氏(安房)にも対抗するように、 […]

葛山城(静岡県)

葛山城の感想 昔でいう駿東地域で戦国時代の激戦区だった場所で、駿東地域一帯で勢力を振るった葛山(かずらやま)氏の居城だった葛山城です葛山氏は鎌倉時代から続く名門中の名門として御家人・将軍家奉公衆として活躍していた一族で戦国時代初頭、今川氏の傘下に納まりながら国人衆(国衆)の有力武将として独自の領国経営を展開した駿東一の武将の一人だと思います。 私が読んでいた北条早雲の歴史小説に登場するのですが、北 […]

梅戸城(三重県)

梅戸城の感想 今回は三重県いなべ市にある梅戸城に訪問してきました。梅戸城は戦国時代に梅戸高実(うめどたかざね)が築城したお城です。梅戸高実は六角高頼(ろっかくたかより)の子で養子として梅戸家に入ります。六角氏は近江の守護などを勤めた由緒ある家系です。梅戸氏は北勢四十八家の一つで北勢四十八家は伊勢の有力な国人を指す言葉で実際には53家ありました。梅戸氏は高実の息子、梅戸実秀の時代に織田信長の北伊勢侵 […]

津幡城(石川県)

津幡城の感想 津幡城は津幡小学校旧校舎の敷地内にあったため現在遺構と言えるものはほとんど残っていませんでした。津幡城は倶利伽羅合戦の平維盛(たいらのこれもり)の配下の者がここに布陣して砦を作ったのが最初と言われております。その後、上杉謙信が七尾城攻略の砦としてこの地を使用し、1583年に前田秀継が越中への備えとして津幡城に入り、越中も前田利家の支配下となり必要がなくなったので廃城になったお城になり […]

松任城(石川県)

松任城の感想 今回は石川県白山市にある松任城(まっとうじょう)を訪問してきました。お城としては有名ではありませんが、一向一揆の時の一向宗松任組の旗本(武将)の城として歴史的にも重要なお城になります。松任城は現在はJR松任駅前の公園として残されています。残されている部分は城全体ではなく本丸跡になりますので公園としてもそれほど大きなものではありません。当時は手取川の扇状地をいかした水堀などがあるお城で […]

1 19 35