- 2026.06.01
- 入場料無料,
皿沼城(埼玉県)
皿沼城の感想 皿沼城跡は、唐沢川に架かる3号橋の東側の土手に説明板がポツンってある感じの城跡でした!(`・ω・´)ゞ皿沼城は深谷上杉氏の家臣の岡谷香丹が利根川を渡って攻めてくるかもしれない古河公方の軍に備えて、深谷城の北側の守りとして1491年に築城したとされたと云われています。その後、築城した岡谷香丹は新たに隠居先として曲田城を築き、この皿沼城を長男の岡谷清英に譲ります。岡谷清英は文武両道に長け […]
皿沼城の感想 皿沼城跡は、唐沢川に架かる3号橋の東側の土手に説明板がポツンってある感じの城跡でした!(`・ω・´)ゞ皿沼城は深谷上杉氏の家臣の岡谷香丹が利根川を渡って攻めてくるかもしれない古河公方の軍に備えて、深谷城の北側の守りとして1491年に築城したとされたと云われています。その後、築城した岡谷香丹は新たに隠居先として曲田城を築き、この皿沼城を長男の岡谷清英に譲ります。岡谷清英は文武両道に長け […]
秋元氏の墓(元誉寺)の感想 秋元氏館跡から約1㎞ほど離れた『元誉寺』に秋元氏の墓があります。秋元氏館跡にあった案内板から『元誉寺』を知りやって来ました。ここには秋元景朝・長朝のお墓があると記載されていたのでやって来ましたが・・・看板はありましたがよくわかりませんでした(´;ω;`)ウゥゥ 見つけたのもとても新しくなっており・・・んんんん???って感じです。その時も不完全燃焼でしたが、家に戻り調べて […]
秋元氏陣屋跡/秋元氏館跡の感想 案内板によると・・・秋元氏は上総国(千葉県)出身の武将らしく、1541年頃、秋元景朝の時に深谷城主の上杉憲賢・憲盛に仕え、深谷上杉氏三宿老のひとりとして活躍し、息子の秋元越中守長朝も深谷城最後の城主となる上杉氏憲に仕えたとされています。豊臣秀吉の小田原征伐の際に、主君の上杉氏憲は後北条氏の命に従い小田原城に籠城します。上杉氏憲の留守となった深谷城に入城し守備すること […]
曲田城/谷之城の感想 曲田城/谷之城は現在の皎心寺の場所であるとされています。到着するとさっそく案内板があり、それよ読んでいてすごく興味がわきました・・・んんんん???・・・『深谷上杉氏』って何???(@_@;)??? 曲田城/谷之城は上杉氏四天王のひとりと云われる岡谷香丹が築いた城らしく、岡谷香丹は当初 皿沼城を居城としていたが、子の岡谷清英に家督を譲り渡すと曲田城に隠居して城内に皎心寺を建立し […]
中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]
武田信玄公墓所の感想 武田信玄公の菩提寺である乾徳山 恵林寺(けんとくさんえりんじ)に『武田信玄公墓所』があります。この 恵林寺は1582年に織田信忠を総大将とする甲州征伐として甲斐武田家を滅ぼした時に、恵林寺を織田軍が焼き討ちすると燃え盛る恵林寺で快川和尚が織田軍に屈することなく『安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 = 心頭滅却すれば火も自ら涼し』の辞世を残し焼け死んだとされる寺です( `ー´)ノ […]
連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]
本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]
武田信廉(武田信綱)の墓の感想 どっちなんだろう・・・マップ上では『武田信綱(武田信廉)の墓』とあるのですが、個人的には信綱よりも信廉かと思いますので逆に表記しました。(入道した時には信綱なんで信綱が前に来ているんですかね???) 武田信廉は信虎の6男であり、兄の武田信玄が父の信虎を駿河国に追放後、諏訪国に侵攻し支配をするのですが、諏訪国統治を確立しつつあった頃、武田方に謀反を起こした諏訪西方衆( […]
川田館跡の感想 川田館跡は武田信玄の父、武田信虎が1519年に『つづじヶ埼』に館を移すまで、甲斐国統治の中心とした居館だったとされ、武田信虎の祖父の武田信昌が館を築いたとされています。幼年期に武田信虎は『川田五郎』と名乗っていたみたいなので、ここ川田館が守護館であった可能性が高いんじゃないかなぁ~って思います。今は畑になっていますが、当時は水源にも恵まれて広大な館であったんじゃないかと思います。周 […]