中曽根城/淵江城(東京都)
中曽根城/淵江城の感想 中曽根城は現在の足立区の尾竹橋通り沿いの南側から行くと、荒川を渡った直ぐ左手の住宅地の中にひっそりと、しかし、しっかりと『中曽根城の碑』が建っています。今は中曽根神社となっているんですかね?(●^o^●)中曽根城は武蔵千葉氏の千葉勝胤によって築かれた城だと云われており、武蔵千葉氏の本拠地は赤塚城だったことから、中曽根城は赤塚城の支城として築かれたんでしょうねぇ~ 下総国内で […]
中曽根城/淵江城の感想 中曽根城は現在の足立区の尾竹橋通り沿いの南側から行くと、荒川を渡った直ぐ左手の住宅地の中にひっそりと、しかし、しっかりと『中曽根城の碑』が建っています。今は中曽根神社となっているんですかね?(●^o^●)中曽根城は武蔵千葉氏の千葉勝胤によって築かれた城だと云われており、武蔵千葉氏の本拠地は赤塚城だったことから、中曽根城は赤塚城の支城として築かれたんでしょうねぇ~ 下総国内で […]
平塚城 / 豊島城感想 平塚城は武蔵国豊島郡にあった城で、名門の豊島氏との関係が深い城だったと思われます。平塚城は一般的には有名ですが、別名を『豊島城』と呼ぶそうです(; ・`д・´) 築城の時期は定かではありませんが、豊島近義が平塚城/豊島城を築城したと云われ、源義家(平安時代中期から後期にかけての武将で、源頼朝(鎌倉幕府)と足利尊氏(室町幕府)の祖先となり名将です!)と義光・義綱の三兄弟が平塚 […]
滝野川城の感想 滝野川城は関東(東京都内?)の名門!豊島氏の一族の滝野川氏が築いた城だと云われています。しかし築城して間もなく、1477年に太田道灌に攻められ、豊島氏とともに滅亡し廃城となったと云われているみたいですねぇ~(@_@)滝野川城を居城とした滝野川氏は、豊島氏の一族にだったと云われ滝野川氏がいつごろ豊島氏から分かれたのかは明らかではありませんが、宮城氏や志村氏や赤塚氏などの他の諸家が分か […]
伝 千葉一族の墓の感想 『伝 千葉一族の墓』は下総国ではなく『武蔵千葉氏』と云われる千葉一族の墓で、武蔵千葉氏の祖とされる千葉自胤(ちばよりたね)が1492年に寺領を寄進した松月院に一族の墓がありました。 武蔵千葉氏は元々は下総国の千葉氏で、一族などの争いで負けてしまい市川城(国府台城)が落城したため兄の千葉実胤と共に武蔵国に逃げ込み、千葉実胤は近くの赤塚城へ千葉自胤は石浜城へ移ったとされます。そ […]
江古田古戦場跡の感想 現在の哲学道公園から野方6丁目辺り(新青梅街道沿い一帯)では、太田道灌と豊島泰経らが激戦を繰り返した古戦場(江古田・沼袋の戦い)です!トリガーは関東で28年間断続的に続いた内乱の享徳の乱(きょうとくのらん)で、古河公方の足利成氏が関東管領の上杉憲忠を暗殺したことから始まり、室町幕府足利将軍と組んだ山内上杉氏・扇谷上杉氏が鎌倉幕府側の公方足利成氏と関東一円を巻き込んだ争いで、そ […]
赤塚城の感想 赤塚城は1456年に市川城(国府台城)から千葉自胤(ちばよりたね)この地に移った際に築いた城だと云われています。千葉氏は下総国にいたが古河公方足利成氏と手を結んだ原胤房と馬加康胤(まくわりやすたね)に伯父の千葉胤直や父親の千葉胤賢ら一族を殺されたため(市川合戦)、兄の千葉実胤と共に市川城に逃れますが、市川城も落城したため武蔵国に逃れ赤塚城を築いたようですね。扇谷上杉氏の家宰である太田 […]
志村城の感想 志村城は豊島氏の一族の流れを組む地元の豪族志村氏の城で、武蔵千葉氏に従っていた様で武蔵千葉氏の赤塚城の支城・前線基地として機能していた様です。その時には千葉信胤が入城していたとも云われているようです。後北条氏である北条氏綱(後北条二代目)に攻められると落城し、その後は後北条氏の傘下に入ることとなります。(武蔵千葉氏とその一党) その後、後北条氏の配下に組み込まれていましたが、豊臣秀吉 […]
宮城氏館跡の感想 宮城氏は舎人氏と共に岩槻太田氏の家臣だった様です。武蔵千葉氏は相模国の後北条氏に従っており、岩槻太田氏は後北条氏に付いたり裏切ったりを繰り返していたので、足立の武将だった宮城氏や舎人氏も四苦八苦だったでしょうねぇ。宮城氏は詳しくわかりませんが、元々は豊島氏の流れを組む一族だった様で、太田道灌が豊島氏を滅ぼすと太田氏の家臣になったようです。太田資正の時に第二次国府台合戦で大敗すると […]
島津尚久の墓の感想 島津尚久は島津忠良(日新公)の三男になります。長男の島津貴久とお供し、7歳で初陣を飾ったと言われています。その後も次男の島津忠将(しまづただまさ)と祁答院氏(けどういんし)を破ったりと活躍を見せます。ちなみに祁答院氏は現在も薩摩川内市に地名が残っております。祁答院氏は「相模国渋谷氏」(神奈川県)が発祥で、現在の「高座渋谷駅(小田急線)」あたりが発祥の地とされています。この相模国 […]
金ヶ崎城の感想 金ヶ崎城と云えば!!!戦国時代に織田信長が越前国の朝倉義景を攻めの際に近江国の浅井長政に裏切られます。織田信長の妹のお市の方は浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため両方を紐で結んだ袋に小豆(織田家の家紋)を入れ陣中に届けます。受け取った織田信長はこの様子が袋の鼠の意を表しているということに気付き、一目散に軍をすてて撤退し(近江国朽木越え)京まで戻り着きます。殿(しんが […]