中牧城/浄古寺城(山梨県)
中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]
中牧城/浄古寺城の感想 武田信玄の時代この地を北国防備強化をするために、1548年に地元の豪族大村氏に命じて中牧城/浄古寺城を築城させたと云われており、大村加賀守・大村伊賀守が城主となっています。1582年に武田勝頼が討たれ甲斐武田家が滅亡すると中牧城はそれでも徹底抗戦を行います。しかし、徳川家康に反抗して敗れ落城・・・徳川家康入国後は家臣の内藤三左衛門が城代となり1589年今の規模へ修築したみた […]
武田信玄公墓所の感想 武田信玄公の菩提寺である乾徳山 恵林寺(けんとくさんえりんじ)に『武田信玄公墓所』があります。この 恵林寺は1582年に織田信忠を総大将とする甲州征伐として甲斐武田家を滅ぼした時に、恵林寺を織田軍が焼き討ちすると燃え盛る恵林寺で快川和尚が織田軍に屈することなく『安禅不必須山水 滅却心頭火自涼 = 心頭滅却すれば火も自ら涼し』の辞世を残し焼け死んだとされる寺です( `ー´)ノ […]
連方屋敷跡(古屋氏館跡)の感想 どこのどいつか築いた館跡なのかわかりませんが、案内板の説明と後でモロモロ調べてみたら、戦国時代の時に甲斐武田氏の蔵前衆(甲斐武田家でいう蔵前衆は『金・銀』『米穀』などの重要な蔵を管理する役職)だった古屋(ふるや)氏の館であったと思われ、私はあえて連方屋敷跡の後に(古屋氏館跡)と記載させて頂きました(。-_-。) 連方屋敷跡はきれいに当時を教えてくれるメチャクチャ素敵 […]
本庄城の感想 本庄城は武蔵七党のひとつ児玉党の本庄氏が築いた城と云われています( `ー´)ノ本庄城は本庄実忠が古河公方を迎え討つために築いた平山城で1556年に築城したみたいですね。1567年には後北条氏に攻められ落城し本庄氏は後北条氏の傘下に入ります。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐が始まると本庄氏は後北条氏の要請に応え小田原城に入ります。小田原城が豊臣秀吉に降伏し開城させられると、本庄氏は自害 […]
武田信廉(武田信綱)の墓の感想 どっちなんだろう・・・マップ上では『武田信綱(武田信廉)の墓』とあるのですが、個人的には信綱よりも信廉かと思いますので逆に表記しました。(入道した時には信綱なんで信綱が前に来ているんですかね???) 武田信廉は信虎の6男であり、兄の武田信玄が父の信虎を駿河国に追放後、諏訪国に侵攻し支配をするのですが、諏訪国統治を確立しつつあった頃、武田方に謀反を起こした諏訪西方衆( […]
川田館跡の感想 川田館跡は武田信玄の父、武田信虎が1519年に『つづじヶ埼』に館を移すまで、甲斐国統治の中心とした居館だったとされ、武田信虎の祖父の武田信昌が館を築いたとされています。幼年期に武田信虎は『川田五郎』と名乗っていたみたいなので、ここ川田館が守護館であった可能性が高いんじゃないかなぁ~って思います。今は畑になっていますが、当時は水源にも恵まれて広大な館であったんじゃないかと思います。周 […]
金窪城の感想 金窪城は1177年~1181年頃に武蔵七党と呼ばれる武士集団のひとつ丹党の加治家季が築いた城と云われておりますが、案内板を読んだら新田義貞が金窪城を築き家臣の畑時能が金窪城を居城とさせたとも書いてありますねぇ~(‘◇’)ゞ武蔵七党の加治氏はもっと南の入間・飯能の地域が勢力下なのでここまで離れた場所に金窪城を築くのは何かしらの理由があったのか不思議な感じがします […]
雉岡城/八幡山城の感想 雉岡(きじおか)城は山内上杉氏が八幡山の独立丘陵に築かれた平山城です( `ー´)ノ元々は山内上杉氏の居城として築かれるものの、地形が狭かったゆえに山内上杉氏は上州の平井城を築き移っていったとされています!!! 鎌倉街道沿いの交通要衝を押さえた雉岡城は関東菅領上杉氏の最前線地として築かれており、今は雉岡城の方が大きくなっていますが、上杉氏の五十子陣(いかっこじん/いかっこのじ […]
勝山城 / 甲斐勝山城の感想 勝山城は山梨県だけでも全国的に見ても城・館も含め複数ありますね。『勝』とつけて何かと縁起のいい名称なんでしょうか?(●^o^●) 山梨県では県指定史跡となっている勝山城(山梨県都留市)有名で、こっちの勝山城(甲府市)は・・・あえて『勝山城/甲斐勝山城』とさせて頂きました( `ー´)ノ こっちの勝山城は甲斐国では名門氏族の油川氏の居城であったと云われています。古い平山城 […]
一条氏館跡/一条氏塁跡の感想 上野城/甲斐上野城から直ぐ目と鼻の先に『一条氏館跡/一条氏塁跡』があります。(`・ω・´)ゞ 一条信龍の居館址であり一条信龍は武田二十四将のひとりとされています。 一条家は武田氏の有力分家であったようですが鎌倉時代に途絶えていたため、武田信玄が信龍に名家の一条家を継がせ復活させたようです。因みに・・・一条信龍は武田信虎(武田信玄の父親)の末子みたいですね!(^◇^)信 […]