剣吉城(青森県)
剣吉城の感想 クルマで移動中に偶然見つけました! 『剣吉城』です♪♪♪((´∀`))ケラケラ めちゃくちゃラッキー♪♪♪ 剣吉城は北信愛(きたのぶちか)の居城であり、主君、南部(三戸)晴政の居城である三戸城から約14㎞(クルマで20分ぐらい)ぐらいの所にあります。三戸城内にある家臣屋敷にも北信愛の屋敷も構えられており、三戸南部家では重臣中の重臣であったことがわかります。1571年頃から始まった南部 […]
剣吉城の感想 クルマで移動中に偶然見つけました! 『剣吉城』です♪♪♪((´∀`))ケラケラ めちゃくちゃラッキー♪♪♪ 剣吉城は北信愛(きたのぶちか)の居城であり、主君、南部(三戸)晴政の居城である三戸城から約14㎞(クルマで20分ぐらい)ぐらいの所にあります。三戸城内にある家臣屋敷にも北信愛の屋敷も構えられており、三戸南部家では重臣中の重臣であったことがわかります。1571年頃から始まった南部 […]
田子城の感想 田子城って書いて『たっこじょう』って呼びます♪南部家(南部一族)を追いかけていると、先ずはここからスタートします!(あくまでも陸奥?青森?)でして、超~ルーツの甲斐(めちゃくちゃ静岡寄り富士市の近く)から来た南部氏を語るのならば、また今度にします!((´∀`))ケラケラ 南部信直は岩手の一方井(いっかたい)城で誕生したのですが、父親が鹿角の抑えとして家族全員で移ってきたんじゃないかと […]
三条城の感想 三条城は平城だったと思われ、海城っていうのはよく聞きますが、ここは川(河)城だったのかもしれませんね・・・信濃川など大きな川が流れていますから、例えば川の中州にあった城とか・・・だからこんな感じで何も残らずに碑のようなものだけがあるのかも知れません。 まぁ~簡単に言えば全然わかりませーん( ノД`)シクシク… 碑は信濃川沿いにありますが、この辺は信濃川・五十嵐川・中ノ口川に挟まれた大 […]
蔵王堂城の感想 蔵王堂(ざおうどう)城は南北朝時代に北朝方だった中条氏が本陣を構えてから砦?城?になったとされています。元々は寺院か何かだったんでしょうかね?その後、長尾為重が本格的な縄張りを行い上杉家の家臣が代々入城し、上杉家が越後から会津移封するまで続いたようです。 上杉家が移封後、越後に新たに入国したのが堀秀治が一族で秀治の弟、堀親良がこの地に入り初代蔵王堂藩の初代藩主となり居城としていたよ […]
長岡城の感想 長岡城は江戸時代初期の1616年に堀直寄によって築かれ、後に越後長岡藩7万4千石の牧野氏の居城として明治維新を迎えます。いろんなことを期待して長岡城に行きましたが・・・ 城がない・・・(# ゚Д゚) 戦後、当時日本二大石油会社だった宝田石油の本社が長岡城の二の丸にあったようで、その頃から長岡市の都市開発が進み、今は長岡城が長岡駅になっちゃって跡形もありません!(´;ω;`)ウゥゥ 悲 […]
梅戸城の感想 今回は三重県いなべ市にある梅戸城に訪問してきました。梅戸城は戦国時代に梅戸高実(うめどたかざね)が築城したお城です。梅戸高実は六角高頼(ろっかくたかより)の子で養子として梅戸家に入ります。六角氏は近江の守護などを勤めた由緒ある家系です。梅戸氏は北勢四十八家の一つで北勢四十八家は伊勢の有力な国人を指す言葉で実際には53家ありました。梅戸氏は高実の息子、梅戸実秀の時代に織田信長の北伊勢侵 […]
津幡城の感想 津幡城は津幡小学校旧校舎の敷地内にあったため現在遺構と言えるものはほとんど残っていませんでした。津幡城は倶利伽羅合戦の平維盛(たいらのこれもり)の配下の者がここに布陣して砦を作ったのが最初と言われております。その後、上杉謙信が七尾城攻略の砦としてこの地を使用し、1583年に前田秀継が越中への備えとして津幡城に入り、越中も前田利家の支配下となり必要がなくなったので廃城になったお城になり […]
松任城の感想 今回は石川県白山市にある松任城(まっとうじょう)を訪問してきました。お城としては有名ではありませんが、一向一揆の時の一向宗松任組の旗本(武将)の城として歴史的にも重要なお城になります。松任城は現在はJR松任駅前の公園として残されています。残されている部分は城全体ではなく本丸跡になりますので公園としてもそれほど大きなものではありません。当時は手取川の扇状地をいかした水堀などがあるお城で […]
桑名城の感想 三重県桑名市の城跡、桑名城へ行ってきました。現在は九華公園となっております。桑名城といえば徳川四天王の一人である本多忠勝のお城のイメージが強いお城です。そんな桑名城ですが、現在桑名城がある場所は元々、東城というお城があった場所と言われており、この東城を築城したのは伊藤武左衛門実房(いとうぶざえもんさねふさ)と言われております。実房は関東からこの地に来て1513年に城館を建てたのが桑名 […]
蜂須賀城の感想 今回は蜂須賀城を訪問してきました。遺構などはほとんど残っておらず、説明板や蜂須賀小六正勝公顕彰碑などがあるのみとなります。現在は蓮華寺の一部にこのような標柱などがあるだけですが、当時は現在の蜂須賀グラウンドあたりに200m四方の城(館だとおもいます。)があったようです。 1526年、蜂須賀小六はこの蜂須賀城で生まれ、斎藤道三、織田信賢、織田信清と仕え戦国時代の覇者である織田信長に仕 […]