松坂城(三重県)
松坂城の感想 蒲生氏郷のお城、松坂城へ行ってきました。蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉の家臣として活躍した武将でこの松坂城のあとは会津若松城(黒川城)に92万石で加増転封となっています。蒲生氏は近江蒲生郡発祥の家系で氏郷は近江の日野城を居城として、浅井、浅倉征伐で信長の家臣として活躍。秀吉の時代には賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどに参戦しその功績で12万石でこの伊勢に移封となり、1588年にこの松 […]
松坂城の感想 蒲生氏郷のお城、松坂城へ行ってきました。蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉の家臣として活躍した武将でこの松坂城のあとは会津若松城(黒川城)に92万石で加増転封となっています。蒲生氏は近江蒲生郡発祥の家系で氏郷は近江の日野城を居城として、浅井、浅倉征伐で信長の家臣として活躍。秀吉の時代には賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどに参戦しその功績で12万石でこの伊勢に移封となり、1588年にこの松 […]
神戸城の感想 三重県鈴鹿市にある神戸城です。神戸城は元々、神戸氏の城で神戸氏は北畠氏に仕えていた家系と言われています。その後、織田信長の三男、織田信孝を養子にして神戸信孝と名乗り、信孝は8代当主に就きました。信孝の時代には天守閣もあったお城だったのですが、秀吉に自刃に追い込まれました。信孝が亡くなった後、天守閣は桑名城に移されました。江戸時代には城主は神戸氏ではなくなっていましたが、神戸藩のお城と […]
大垣城の感想 大垣城は関ヶ原の戦いで西軍の石田三成の本拠地になったお城で有名です。そんな大垣城に今回は行ってきました。大垣城の築城年、築城主は不明のようですが、お城の案内には1535年、宮川安定が築城したと書かれていました。個人的には、犬山城の城主でもあり、織田家というか信長を支えた池田恒興のイメージもあるお城です。恒興は清洲会議にも秀吉、柴田勝家、丹羽長秀と共に参加した武将です。 そんな大垣城で […]
郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]
筒井城の感想 筒井城です。筒井氏は大上神社の神官・大神氏の一族と言われ、大和国添下郡筒井の有力国人として勢力を持っていた一族で、筒井順興の時代には当時大和国の守護職だった興福寺を背景に勢力を拡大していた。その子、筒井順昭の時代に大和国を統一し全盛期を迎える。しかし、順昭は病になっており急ぎ比叡山に入り生まれたばかりの嫡男・藤勝(順慶)へと家督を譲り(当時2歳ぐらい?)、家督を譲った20日後、順昭は […]
和歌山城の感想 和歌山を代表する城、和歌山城です!!!!元々は虎伏山(とらふすやま)に築かれた平山城だったため『虎伏城』とも呼ばれていたようですね。 和歌山城のきっかけ?は、豊臣秀吉時代に弟の豊臣秀長が大和一国の国主となり入国したことからスタートするみたいです。豊臣秀長は当時、大和郡山城を本城としていたため、和歌山城には重臣の桑山重晴を城番として置いたことがスタートみたいですねぇ~(o^―^o) […]
田辺城/田辺城水門の感想 田辺城はすでに残っていませんでした。田辺城が無い代わりに当時を感じさせる『田辺城水門』が残されており石垣や城内への用途など当時を思わせる水門跡です。 田辺城は関ケ原の合戦後、紀伊国に浅野幸長(よしなが)が入国し、その浅野氏の重臣である浅野氏重が『湊城』を築いたとされています。その後、1619年(元和5年)に福島正則が改易されると、浅野氏は安芸広島42万石に加増移封となり安 […]
伏見城/伏見桃山城の感想 元々は豊臣秀吉の隠居先として築かれた城で、伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)辺りを築城したことから、『指月伏見城』と呼ばれていたらしく、その後、2~3回新設。改築されながらいろんな呼び名で呼ばれ、共通していたのが『伏見』だったからまとめて伏見城って云うのかもしれないって俺は思っています!大爆笑 伏見城が有名になったのは、豊臣秀吉・徳川家康がこの伏見城を居城と […]
白井城の感想 白井城は群馬県渋川にある城で、山内上杉氏の家宰であった長尾景仲が築いた城と言われ、この長尾景仲は「関東不双の案者(知恵者)」と称され、孫には北条早雲と同じく下剋上の雄のひとり長尾景春や、外孫には名将太田道灌がいるなど、なかなかの人物であったようです。 白井城は利根川と吾妻川の合流地点に突き出すような台地に築かれた城で、東西800m・南北1200mの規模の城で、中央に本丸を構え、二の丸 […]
沼田城の感想 戦国時代に越後の上杉、相模の後北条、そして甲斐の武田が争った要衝の地であり、軍事上の重要拠点として『関東平野への入口』とされていたため、多くのドラマが生まれた城です。 築城は鎌倉時代からこの地で有力な国人であった沼田氏であった、第12代当主 沼田万鬼斎顕泰が築いたとされており、当時は沼田の倉内の地に城を築いたことから『倉内城』とも呼ばれていた様です。 沼田城が激戦の舞台に躍り出るのは […]