CATEGORY 関東甲信

関東甲信地域のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

源頼朝の墓(神奈川県)

源頼朝の墓の感想 源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。源頼朝は皆さん知っての通り初代『鎌倉殿』で貴族の世の中から武家の世の中に最初に導いた人です。源平の合戦や義経の追討など一番最初に知った武家社会の政治家のようなイメージがありますね。そんな源頼朝の最後(死に方)は、1198年の12月27日に相模川の橋供養からの帰路中の稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の1199年1月13日に亡くな […]

  • 2025.08.13

扇谷上杉菅領屋敷跡(神奈川県)

扇谷上杉菅領屋敷跡の感想 後に・・・山内上杉氏と勢力を二分し太田道灌と共に南関東、及び、駿河一帯まで勢力を拡大する扇谷上杉氏の館があった場所になります。その後、この地から河越に居城を移し河越城を築いたものと思われます。 上杉顕定という武将が上杉藤成の子として生まれ、後に上杉朝定の養子となります。南北朝時代に入ると上杉顕定は二代目の鎌倉公方となった足利氏満に仕え、扇ガ谷に屋敷を構えたことから扇谷上杉 […]

北条政子の墓(神奈川県)

北条政子はまたの名を平政子(たいらのまさこ)ともいい、平家の流れを組む一族だったと思わせますね。超!有名な人で日本で初の『尼将軍』と云ってもいい存在でしょうね。 源氏と平氏の争いが激化すると、平清盛に滅ぼされ伊豆に追放され流人だった源頼朝も出会うと、周囲の大反対を押し切って源頼朝の正妻となります!!! 強い意志を感じる女性ですね!源頼朝は女性にだらしないイメージなのですが、そのたびに源頼朝の浮気相 […]

源実朝の墓(神奈川県)

源実朝の墓の感想 源実朝の墓は寿福寺の奥の墓地にあります。 源実朝(みなもとのさねとも)は源頼朝と北条政子の次男として生まれました。(北条政子の墓も隣にあります。)源頼朝が亡くなると、長男の源頼家が鎌倉殿第二代目となり三年後に征夷大将軍となりますが、長男の頼家派である比企氏(ひきし)と次男の実朝を担ぐ北条氏との間で対立が始まり、北条氏が比企氏を滅亡させたため源頼家は伊豆の修善寺に送られ幽閉され暗殺 […]

玉縄北条氏供養塔(神奈川県)

玉縄北条氏供養塔の感想 玉縄城のすぐ近くにある龍寳寺(りゅうほうじ)に『玉縄北条氏供養塔』があります。もう少し奥に『北条家供養墓跡』があるのですが、チェーンがしてあったので今回は遠慮しておきました。。。また次回訪問してみようと思います。 北条氏とは別に玉縄北条氏として別枠を作っているのは、北条綱成(北条綱成は北条氏綱の子供ではありません。今川家の家臣、福島正成の子とされており、北条氏綱が北条綱成に […]

玉縄城 / 甘縄城(神奈川県)

玉縄城の感想 玉縄城はずっと行ってみたかった城です!残念ながら玉縄城全体は住宅地と本丸には中学校が建設されており全体を楽しむことはできません(´;ω;`)ウゥゥ しかし、相模国の支配を始めた北条早雲にとっては、この鎌倉の北に位置する玉縄城は鎌倉を管理をするためにも重要な役割を果たさせる城でなかったのではないかと思います( `ー´)ノ 玉縄城は北条早雲が1512年に築いた城だと云われていますが、もと […]

稲付城(東京都)

稲付城の感想 稲付城(いなつき・いねつき)城は、現在の赤羽駅南口から約5分ぐらいの所にあります。築城はあの太田道灌と云われているようですが定かではない様です。当時は豊島氏の支配地域だったことから、太田道灌が豊島氏から奪い取って居城にしたんではと思っています。稲付城は戦略上の位置づけとして、岩槻城と江戸城のちょうど中間あたりに位置し、両城を考えるとかなり戦略的には重要な城だったんじゃないかと思います […]

結城城(茨城県)

結城城の感想 結城城ははっきりしていませんが(古すぎて)結城朝光(ゆうきともみつ)が築いた城だと云われているようです。結城朝光は平安時代~鎌倉時代中期ごろまで活躍した武将で、勢力を持った有力な御家人として存在してました!!!下総結城氏の初代当主でもあったと思われます。(下総国は現在の千葉っぽいですがまんざら外れてもいなく、千葉の北部と茨城の南西部辺りを指すようです。。。けど今回は下野国(しもつけの […]

長島高城(東京都)

長島高城の感想 現在の東京都江戸川区東葛西に『長島高城』があります。かなり古いお城だったのかもしれません。今は『清光寺(せいこうじ)』となっています。お城がお寺になっていることはよくあることですね。案内板によると『小田原北条氏が関東一円を支配していた時代の記録『小田原衆所領役帳』には江戸川区内十六の郷村名が登場し、その中に『長島高城』という記載があります。』と書かれていました。調べてみますと、平安 […]

平賀氏城跡(長野県)

平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]

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