清水冠者源義高終焉の地(埼玉県)
清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]
関東甲信地域のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
清水冠者源義高終焉の地の感想 国道16号線沿い狭山市入間川の側に『清水冠者源義高終焉の地』があります。源義高 って誰かって云うと、以仁王(もちひとおう)の号令により平家討伐のために挙兵し、平家の大軍を破って源頼朝軍よりも早く入京した、木曽(源)義仲の子です!!!木曽(源)義仲(信濃)は源頼朝(鎌倉)と関係が徐々に悪化し武力衝突寸前となりますが、一旦は和解し木曽(源)義仲は和解のしるしに息子の源義高 […]
武蔵 天神山城の感想 『天神山』って名前の城って結構あるなぁ~(*`艸´)ウシシシ ここではあえて『武蔵 天神山城』ってことにしてみます(o^―^o)ニコ武蔵天神山城は近くに深大寺城があり、武蔵天神山城はこの深大寺城の支城であったと思われます。その昔は、後北条氏の砦も築かれていたとか!?!?!?!? 現地に案内板がありそれを確認してみると、築城時期や築城主は不明ですが武蔵七党のひとつである村山党の […]
曽我城 / 曽我氏館跡の感想 曽我城/曽我氏館跡は、曽我祐信の居城で鎌倉時代初期にかけて武士・御家人で相模国曽我荘の領主であり、曽我祐信はあの有名な『曽我兄弟』の養父としても有名ですよねぇ~(o^―^o)曽我兄弟と云えば『曽我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)』であり、これは源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曽我祐成と曽我時致の兄弟が父親である河津 祐泰(かわづ すけやす)の仇である工藤佑経を […]
飛山城の感想 飛山城は勝山城同様に鬼怒川沿いにある平山城で、鎌倉時代の後期に宇都宮氏の家臣だった芳賀氏の居城で、1293年~1299年頃、宇都宮景綱の家臣 芳賀高俊にって築かれた城だと云われています。芳賀氏は益子氏(益子城)と同様に『紀清両党(きせいりょうとう)』と呼ばれた、宇都宮氏の家臣団の中で精鋭武士団の両氏とされていた様で、『紀』→益子氏の本姓『紀氏』から『清』→芳賀氏の本姓『清原氏』からそ […]
勝山城 / 氏家城の感想 勝山城は1190年~1199年頃(かなり幅がありますねぇ~笑)に氏家公頼(うじいえきみより)が築いたとされています。 氏家氏は元々宇都宮氏の一族と云われており、宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の子、公頼が芳賀郡(はがぐん)氏家郷に移り土着して氏家氏の名を名乗り始めたのがスタートみたいです( `ー´)ノ なぜ私がこの勝山城に行ってみたかっと云えば、氏家氏っと云えば『氏家ト […]
岩原城の感想 小田原城主の大森氏頼は城を嫡男 実頼に譲り、自らは岩原城へ移ったとされており、岩原城はこのときに築かれたんじゃないのかと思われます!関東管領扇谷上杉氏の重鎮であった大森氏頼は自らこの岩原城に移り晩年この城で没したと伝わっています。北条早雲の半生を描いた司馬遼太郎の作品『箱根の坂』にも『岩原の館』として登場しています。これはたぶん『岩原城』の事だと思われます。現在での遺構は2つの郭と堀 […]
相模沼田城 / 沼田城の感想 あえてここでは、上野国(こうずけのくに)の沼田城との勘違いを防ぎたくて、ここでは『相模沼田城』としてレポートしたいと思います( `ー´)ノ(って云っても・・・そんなにレポートすることもあんまりないのかもしれませんが!苦笑) 『新編相模国風土記稿』ってやつに記載されているみたいなのですが、波多野氏の一族がこの地に土着して沼田氏を名乗り相模沼田城を築城したみたいです。さら […]
大多喜城の感想 大多喜城に行ってきました! 築城は真里谷(武田)信清が築城したお城で、里見氏が安房の統一を図るために苦心したお城で、私は正木時茂さんのお城だと思って期待していきましたが、地元は本多忠勝さんのお城として盛り上がっていました。その理由は・・・あとあと伝えるとして・・・ 大多喜城は元々『小多喜城』として築かれていたとされ、元々は『根古屋城/大多喜根古屋城』のひとつだった城(砦)が『小多喜 […]
大多喜根古屋城 / 小多喜城 / 根古屋城の感想 大多喜根古屋城は勢力を拡大し上総国を狙う里見氏の侵攻に対抗した、上総真里谷城主の武田信興が次男の武田信清に命じ築城させた城で支配力を強めたとされています。武田信清から武田朝信の二代に続き城主としていましたが、里見氏の重臣 正木時茂 に攻められ『上総苅谷原の戦い』であえなく大敗し武田朝信は自害してしまいます。 正木時茂はそのまま大多喜根古屋城に入城し […]
茂木城 / 桔梗城の感想 茂木城は八田知家(鎌倉幕府有力御家人のひとりで鎌倉幕府十三人の合議制のメンバー)が源頼朝に下野国茂木郷の地頭職を承り、八田知家の三男であった八田知基(とももと)が現地へ遣わされ、そこで土着し八田氏→茂木氏に名を変えたと云われ、1192年頃、茂木城を築城したと云われています。茂木氏の勢力はなかなかで、この地では宇都宮氏・那須氏・佐竹氏、そしてこの茂木氏が覇権を奪い合っていま […]