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千葉県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

大多喜城(千葉県)

大多喜城の感想 大多喜城に行ってきました! 築城は真里谷(武田)信清が築城したお城で、里見氏が安房の統一を図るために苦心したお城で、私は正木時茂さんのお城だと思って期待していきましたが、地元は本多忠勝さんのお城として盛り上がっていました。その理由は・・・あとあと伝えるとして・・・ 大多喜城は元々『小多喜城』として築かれていたとされ、元々は『根古屋城/大多喜根古屋城』のひとつだった城(砦)が『小多喜 […]

大多喜根古屋城 / 小多喜城 / 根古屋城(千葉県)

大多喜根古屋城 / 小多喜城 / 根古屋城の感想 大多喜根古屋城は勢力を拡大し上総国を狙う里見氏の侵攻に対抗した、上総真里谷城主の武田信興が次男の武田信清に命じ築城させた城で支配力を強めたとされています。武田信清から武田朝信の二代に続き城主としていましたが、里見氏の重臣 正木時茂 に攻められ『上総苅谷原の戦い』であえなく大敗し武田朝信は自害してしまいます。 正木時茂はそのまま大多喜根古屋城に入城し […]

本佐倉城(千葉県)

本佐倉城の感想 本佐倉城と云えば、下総国(しもうさのくに)の雄!名門!千葉氏の城でめちゃくちゃ知られていますが、勘違いしていたのは私だけかもしれませんが、私は元々、下総国(かみうさのくに)の上総 (かずさ)広常(こやつが鎌倉殿の初期13人に入るぐらいの重要なやつ!)の流れかと思いきや!あんまり関係なかったりしていますね。 戦国時代(室町時代)の頃、千葉宗家を倒して家督を奪った『馬加(『ばか』ではあ […]

幡谷城(千葉県)

幡谷城の感想 幡谷城は助崎城を居城とした大須賀氏の大須賀胤秀の子、大須賀胤盛(民部とも呼ばれていたらしい)の居城だった様です。助崎城からの支城だったため規模はそんなに大きくも無く、真っすぐ本丸に続く道に2つぐらい堀切があって簡単な曲輪を築いており本丸に続いていたものだと思われます。東方方面2kmの上流部に、大須賀氏の本城であった助崎城が存在しており、助崎城の西側の防衛ラインの1つとして構築されたん […]

伊能城(千葉県)

伊能城の感想 伊能城は現在城山と云われる大きな曲輪と他ふたつの曲輪を有する、この地域でいえば結構大きな規模の平山城だと思われます。実際に行ったときはとにかく草が生えまくっててすごく、夏場の山城攻めはかなり厳しいもんだと感じました!苦笑城内は切通の道が築かれており、土塁も小口の曲輪も確認できるはずが何度も言いますが草ぼーぼーで全然よくわかりませんでした!?(´;ω;`)ウゥゥ 伊能城は伊能朝辰が築城 […]

大崎城 / 矢作城(千葉県)

大崎城 / 矢作城の感想 大崎城(現地ではそぉ書かれていので)は矢作城とも云われ、本矢作城の城主第4代目の国分胤長の次男、国分泰胤が城替えして拠ったと云われています。大崎城/矢作城は本矢作城よりはるかに大きな城で、佐原へ向かうための交通の要衝だったため城を築いたんだと思います。もともとこの大崎の地(大崎庄)は足利家の次男である斯波宗家が大崎庄を領有したが、斯波氏が奥州を本拠とするようになり移ってい […]

助崎城(千葉県)

助崎城の感想 助崎城は現在の千葉県成田市にある尾羽根川の北側にあるこんもりとした小山に築かれた城です!助崎城は千葉 常胤(ちば つねたね)の四男の大須賀 胤信(おおすが たねのぶ)が築いた城と云われており、大須賀 胤信が助崎城を築いた後、新たに松子城を築き本人は移り居城としたため、助崎城は代々大須賀 胤信の子孫が助崎城を守っていたみたいです。 1590年、小田原征伐による豊臣秀吉が進軍した際に、助 […]

時崎城(千葉県)

時崎城の感想 全く偶然見つけブラリと城攻めした城『時崎城』です。誰が城主で何の目的で築かれた城なのか全然わかりません!( ノД`)シクシク…しかし、時崎城の案内板を読むと、時崎城は佐倉市市民文化資産に指定されており、地域住民にとっては貴重な文化資産とされていました・・・Σ(・□・;) 城内は小ぶりですが土塁や曲輪(かなり小さめ)が確認され、確かに・・・城だよなぁ・・・っと納得できる築城状況です。大 […]

小竹城(千葉県)

小竹城の感想 小竹城も臼井城の支城として築かれた城の様で、案内板からすると、臼井氏同様千葉紙の流れを組む小竹氏の城だった様で、1390年頃、小竹五郎高胤が築いたとされています。簡単ではありますが土塁や空堀のある城だった様ですが、行ったときは草がボーボーで全然よくわからず、しかも立ち入り禁止の看板があったので、この案内板だけしか確認できませんでした!(´;ω;`)ウッ… 小竹城画像ギャラリー 小竹城 […]

師戸城(千葉県)

師戸城の感想 「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井氏の支城として師戸(もろと)城は支城として築城されていた様です。印旛沼(西印旛沼)を囲むように、臼井城の北側に支城として築かれ、西側には飯野城も築かれており印旛沼の水路の要としてあったんだと思われます。築城時期はよくわかっていないようですが、臼井氏四天王のひとり師戸四郎の居城としていた様です。その後、上杉謙信の侵攻にも奇跡的に防いだ臼井 […]

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