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千葉県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

臼井城(千葉県)

臼井城の感想 臼井城は千葉氏の家臣臼井氏の居城だったところです。あまり人が来るお城ではありませんが、上杉謙信が唯一負けた戦いと言われているのがこの「臼井城の戦い」とあと「生野山の戦い」の2つと言われています。臼井城の戦いは、1565年に後北条氏の北条氏康と関東管領だった上杉謙信の関東を巡る領有権争いの戦いの一つです。実際に戦っていたのは北条氏側が原氏で上杉謙信側が里見氏と謙信自身になります。臼井城 […]

小弓城(千葉県)

小弓城の感想 『こゆみ』と書いて『小弓(おゆみ)城』と呼びます。俺は初めてだったのですが、地元の方は普通に『小弓=おゆみ』と呼んでいました。小弓城は下総国・上総国に勢力を広げた千葉氏の流れを組む。亥鼻城(千葉城)の支城として築かれたお城らしく、千葉兼胤の弟・原四郎胤高が居城して以来、原氏累代の城となったようです。 俺は歴史小説で足利高基の弟『足利義明』の居城として知りました。足利義明は原胤清を追っ […]

真里谷城(千葉県)

真里谷城の感想 真里谷(まりやつ)城は千葉県木更津市にあるお城ですが海側ではなく山側に築城されており、下総国と上総国のちょうど間に位置する標高162mの山に築かれた大規模な山城です。真里谷城は、真里谷武田氏(上総武田氏・真里谷氏)の居城であり、当初は上総国に進出するための重要拠点として真里谷武田信長(なんだかややこしいですねぇ~苦笑)が築城したのが始まりとなっており、真里谷城を拠点として上総国一帯 […]

佐貫城(千葉県)

佐貫城の感想 千葉県富津市にある『佐貫(さぬき)城』です。富津市と聞くと内房海岸を思い出しますが、佐貫城は富津市の内陸側にあるお城で、室町時代後期から明治時代初頭まで城主が入れ替わりながらわりと長く存在した城だと初めて知りました。小説などから里見氏の居城だと認識していたのですが、調べてみると真里谷(まりやつ)武田氏(甲斐武田氏の流れ)が最初(1507年)に佐貫城を築いたみたいで、真里谷武田氏との争 […]

滝田城(千葉県)

滝田城の感想 最初は寄るつもりもなかったのですが、一緒に城攻めしていた相棒が行きたいというのでシブシブ寄ってみましたが・・・・・・・・最高でした!(〃艸〃)ムフッ マジ!最高でした!!!!(*`艸´)ウシシシ 滝田城は安房・房総を支配した里見の城で、里見義実が築いたともいわれていますが里見5代目の里見義豊が築いたのか整備したのかで滝田城を築いたものと思われます。里見氏の本拠地は稲村城なので里見義豊 […]

宮本城(千葉県)

宮本城の感想 宮本城は安房里見氏2代目の里見成義が稲村城の支城として築いたお城らしく、安房里見氏4代目の里美実堯が、5代目義豊が幼かったため里見の実権を里見氏の本拠地である稲村城で握り、里見義豊は支城であるこの宮本城に入城していました。成人した里見義豊は宮本城で挙兵し稲村城の里見実堯を攻め落とし稲村城を占領しました。しかし!!!!!!!!里見実堯の息子である里見義堯に攻め込まれて里見義豊は享年21 […]

安房岡本城(千葉県)

安房岡本城の感想 当時、安房国にあった『岡本城』を城攻めしてみました!((´∀`))岡本城は他にあるので、ここではあえて『安房岡本城』と呼ばせて頂きますね! 安房岡本城は現在の南房総市にある海沿いのお城です。房総半島南部(上総国・安房国)に勢力を拡大した里見氏のお城として知っていましたが、実際に城攻めしてみると里見義尭の息子である義弘の時にしっかりと安房岡本城を築き直したみたいで、元々は里見氏家臣 […]

国府台城(千葉県)

国府台城の感想 今回は千葉県市川市にある国府台城に行ってきました。国府台城は江戸川沿いの丘陵地にあったお城で、後北条氏VS里見氏・足利氏の国府台合戦のあった場所です。1538年、足利義明と里見氏は国府台城で北条氏綱と戦いました。第一回国府台合戦。これは北条氏が勝利し足利義明は戦死しました。1564年、里見義弘が国府台城で再び北条氏と対戦しました。第二回国府台合戦。この合戦も北条氏が大勝し、里見氏は […]

亥鼻城/千葉城(千葉県)

亥鼻城の感想 千葉県千葉市にある亥鼻城(千葉城)に行ってきました。千葉県庁の近くにある亥鼻城は千葉市のシンボルでもあるお城です。天守閣のような建物が立っておりますが、これは千葉市立郷土博物館で天守閣ではありません。そもそも亥鼻城に天守閣は元々あったわけではないのであくまでも観光的な意味合いが強い建物ですね。ただ、郷土資料館もお城のある亥鼻公園も無料で入れるので気軽に行けて良い場所だと思います。亥鼻 […]

関宿城(千葉県)

関宿城(せきやどじょう)の感想 関宿城は関東以外もしくは千葉、茨城あたりの境に住んでいない方には聞いたことも無いお城かも知れません。でも、このお城、とても重要な位置に築城されており、築城は簗田氏(やなだし)と言われてますが、その後、北条氏の城となっても重要なお城とされ、小田原征伐以降は徳川家系の城となりますが、家康も重要と判断し家康の弟、松平康元を城主として送り込みます。そして明治の廃城令まで使用 […]