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豊田城(茨城県)

豊田城の感想 豊田城と云えば、凄い巨大な模造の城『豊田城:常総市地域交流センター』だと思われますが、私はなんだかモヤモヤ感があって写真すら写していません!(# ゚Д゚) 今回は鬼怒川沿いにある豊田城跡をご紹介させて頂きます!(`・ω・´)ゞが・・・何にもない!何にも残っていない! 鬼怒川の底にでも沈んでしまったのかもしれません~ 豊田氏はその昔、平将門とも流れが濃いぃ関係じゃなかったのかとも思われ […]

石毛城 / 本石毛城(茨城県)

石毛城 / 本石毛城の感想 石毛城(本石毛城)は向石毛城(豊田館)から鬼怒川を挟んで東側に約1.5km離れた場所にあった城で、当時、この辺一帯を治めていた豊田城の城主 豊田氏が近隣勢力の多賀谷氏侵攻の防衛ラインとして石毛城を築かせ、次男の政重を豊田氏から石毛氏を名乗らせ石毛城に入れたとされています。石毛政重は猛将として知られており、兄の豊田治親と共に多賀谷氏の侵攻をよく防いでいた様です。しかし、不 […]

向石毛城 / 平将門公本拠豊田館跡(茨城県)

向石毛城 / 平将門公本拠豊田館跡の感想 向石毛城は鬼怒川を挟んで石毛(本石毛)城の西側にあります。ここは 平良将(平将門の父)が豊田館をこの地に築き、平将門 もここで誕生したということが碑文には書かれていました(⌒∇⌒)  後に豊田氏が城を築いたとも云われています。(難しいのは、近くに模擬の豊田城があり、また、鬼怒川沿いにも豊田城跡https://jh.irukamo.com/post-3058 […]

久野城 / 座王城 / 蔵王城 / 鷲之巣城(静岡県)

久野城 / 座王城 / 蔵王城 / 鷲之巣城の感想 久野城は遠江国(現在の静岡県袋井市鷲巣)にある城で、標高は34mをピークとする本丸があり山城と云うよりは平山城で、後で調べてみると周りの田んぼは廃城後に開拓されたみたいで池というか沼っていうかに取り囲まれた沼城の様な城だった様です。1492年~1501年頃に駿河国今川氏が遠江国へ侵攻する際に、今川家旗本の久野宗隆が築城したと伝えられています。今川 […]

福岡城(福岡県)

福岡城の感想 最も有名な城のひとつですよね! 九州を代表する城と云ってもいいでしょう~♪福岡城です(`・ω・´)ゞ 別名は舞鶴城・石城(今でも舞鶴公園・大濠公園(おおほりこうえん)と呼ばれています)ともいいますが、ここは福岡城一本で進めたいと思います。(o^―^o)福岡城はよく黒田官兵衛の城と云われますが築城は黒田官兵衛の息子、黒田長政が築城した城で長政渾身の名城だと思います。 黒田長政が関ケ原の […]

神吉城(兵庫県)

神吉城の感想 神吉城(かんきじょう)と読みます。別名、真名井城(まないじょう)、奈幸子城(なこしじょう)とも呼ばれるみたいです。神吉城は神吉氏のお城で赤松氏の支流に当たる家系のようですね。ちなみに赤松氏は置塩城という山城好きには絶対に行って欲しいお城を居城にしていた播磨では有力な武将になります。別で置塩城も投稿する予定です。お楽しみに!神吉氏の話に戻りますが、神吉氏は別所長治が織田信長(豊臣秀吉) […]

源頼朝の墓(神奈川県)

源頼朝の墓の感想 源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。源頼朝は皆さん知っての通り初代『鎌倉殿』で貴族の世の中から武家の世の中に最初に導いた人です。源平の合戦や義経の追討など一番最初に知った武家社会の政治家のようなイメージがありますね。そんな源頼朝の最後(死に方)は、1198年の12月27日に相模川の橋供養からの帰路中の稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の1199年1月13日に亡くな […]

  • 2025.08.13

扇谷上杉菅領屋敷跡(神奈川県)

扇谷上杉菅領屋敷跡の感想 後に・・・山内上杉氏と勢力を二分し太田道灌と共に南関東、及び、駿河一帯まで勢力を拡大する扇谷上杉氏の館があった場所になります。その後、この地から河越に居城を移し河越城を築いたものと思われます。 上杉顕定という武将が上杉藤成の子として生まれ、後に上杉朝定の養子となります。南北朝時代に入ると上杉顕定は二代目の鎌倉公方となった足利氏満に仕え、扇ガ谷に屋敷を構えたことから扇谷上杉 […]

志方城(兵庫県)

志方城の感想 志方城は黒田官兵衛の正妻、光(てる)の実家になります。志方城は櫛橋氏のお城で光は櫛橋伊定(くしはし これさだ)の娘として生まれますが、その後小寺政職(こでら まさもと)の養女になり黒田官兵衛の元に嫁ぎます。光と官兵衛の子が黒田長政(くろだ ながまさ)で初代福岡藩の藩主になります。志方城は、1578年の別所長治が織田信長(豊臣秀吉)に反旗を翻したときに小寺政職(こでら まさもと)などと […]

英賀城(兵庫県)

英賀城の感想 英賀城と書いて「あがじょう」と読みます。別名、岩繋城(いわつぎじょう)とも呼ばれていたそうです。古くは鎌倉時代くらいから砦があったみたいです。その後、室町時代になり赤松 祐尚(あかまつ すけひさ)の頃にお城として築城されて、その後三木氏の居城となり改修されたみたいです。英賀城は別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と呼ばれていたみたいです。英賀城の特徴は播磨灘に面していて港を […]

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