大高城(愛知県)
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
愛知県のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
大高城の感想 『大高城』は現在の愛知県名古屋市緑区大高町にある比高約20mの丘陵上に立地する小高い丘にある平山城です。。。正確な築城年代は不明ですが、南北朝時代には尾張の守護も兼ねた土岐一族の池田頼忠が居城したという記述がある様に、大高城は古くから城(砦?)として機能していた可能性がありますね。当時、大高城は尾張国知多郡大高村にあった城(砦?)で、織田氏の家臣だった鳴海城の城主山口教継は織田信長に […]
鷲津砦の感想 鷲津(わしづ)砦は丸根(まるね)砦と同様、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間で今川軍の連絡網を断つために築かれた砦です!!!鷲津砦は西方へ舌状に延びた丘陵の頂部付近に位置し、大高城跡からは北東に約700mの場所に丸根砦跡からは北北西に約600mの距離あるため、大高城を抑えるため、また、鳴海城との連携を遮断するために築かれた砦で間違いないですね!(はっきり言えば丸根 […]
小牧山城の感想 小牧山城は織田信長のお城として1563年に築城されました。お城としては1567年に廃城となってしまうのでわずか4年ほどの間しか存在してなかったお城となります。でも、非常に有名な戦いがあり、知っている方も多いお城なのではないかと思います。その戦いが1584年に起こった「小牧・長久手の戦い」になります。この戦いは何が大きな特徴かというと、豊臣秀吉と徳川家康が敵同士になって戦った唯一の戦 […]
丸根砦の感想 丸根(まるね)砦と鷲津(わしづ)砦は今川軍の連絡網を断つために築かれた砦で、今川氏の尾張国侵攻にに伴い奪われた、鳴海城と大高城の間に両砦は楔の様に位置している砦です!!!丸根砦は、鷲津砦の東南400m、大高城からは東に約800mの場所に位置し、こんもりとした丘の上に築かれ、東西36m・南北28mの砦の周囲を幅3.6mの外堀が囲んでいる砦だった様で、佐久間盛重(別名:佐久間大学)を将と […]
鳴海城 / 根古屋城の感想 当初は足利義満の配下の安原宗範が命により築いた城だと云われています。当初は成海神社があり城(当時は砦だったのかもしれませんね)を築いたんだと思われます。その後、成海神社が北の乙子山に移された事と、安原宗範が亡くなってしまったため、鳴海城は一度廃城になったとされています。 戦国時代に入ると尾張国に勢力を広げる織田信秀が支配下を拡大すると、織田信秀の配下である山口教継に城主 […]
荒子城の感想 荒子城は1544年頃に織田家より2000貫を給され、前田利春(前田利家の父親)が蔵人利昌(利春)が尾張前田家発祥地である前田城(荒子城から約3km先)から移り築城したと云われています。 前田利家はこの荒子城で誕生しました。当初は嫡男の前田利久が当主となる予定だったが、主君の織田信長に『武者道少御無沙汰』とされ、前田利久でなく四男の前田利家に家督と荒子城を渡す様に命じられたとされていま […]
古渡城の感想 1534年に織田信秀(織田信長の父親)によって築かれた平城です。1532年に今川氏豊から那古野城を奪っていた織田信秀は、当時、一帯の経済の中心だった熱田神宮(古渡城から約3.8km)の経済支配を行うために築かれた城ではないかと考えています( `ー´)ノ これまでの居城だった那古野城は嫡男の嫡男吉法師(織田信長)に譲り、自ら古渡城を築城すると移ったとされています。1546年に古渡城に […]
名古屋城の感想 徳川御三家の一つである尾張徳川家のお城として有名なお城、名古屋城です。金のシャチホコのイメージが強い名古屋城ですが、現在天守閣に乗っている金鯱は2代目で初代は江戸時代から昭和まで現存していたのですが、太平洋戦争の空襲で焼けてしまい、戦後2代目金鯱が作られて現在に至ります。ちなみに天守閣も鉄筋コンクリートで作られた再現天守で江戸時代からあるものではありません。天守閣も戦後に再建された […]
三河亀山城 / 亀山城の感想 亀山城ですが、全国にたくさんあるのでここでは『三河亀山城』と云わせて頂きます。前回、三河川尻城でもアップしましたが、上野国甘楽郡奥平郷(現在の群馬県)から三河国作手に移り奥平貞俊が1394年~1423年ぐらいに三河川尻城を築城し、1424年(応永31年)に奥平貞俊によって築城されたと云われており、奥平貞俊は三河川尻城からこの三河亀山城に居城を移したと云われています。奥 […]
三河川尻城 / 川尻城の感想 三河川尻城(川尻城はたくさんあるのでここではあえて『三河川尻城』と云わせて頂きます)は、上野国甘楽郡奥平郷(現在の群馬県)から三河国作手に移り奥平貞俊により築城された城とされています。(因みに、上野国甘楽郡奥平郷が奥平氏発祥の地と云われており、その名も奥平城があるみたいなので後日行ってみたいと思います(^▽^))後に、奥平貞俊は勢力拡大と共に手狭になった三河川尻城から […]