亀山城(三重県)
亀山城の感想 亀山城へ行ってきました。亀山城と名のつくお城が多いため、伊勢亀山城とでも呼んでおきます。別名としては粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれているそうですが、わかる人が少なさそうなので伊勢亀谷城です。元々は関氏のお城で1265年に関実忠によって築かれたと言われています。1590年、豊臣秀吉の名により岡本良勝が亀山城城主となりますが、岡本良勝は関ヶ原で西軍に付いたために桑名城で自害します。以 […]
亀山城の感想 亀山城へ行ってきました。亀山城と名のつくお城が多いため、伊勢亀山城とでも呼んでおきます。別名としては粉蝶城(こちょうじょう)とも呼ばれているそうですが、わかる人が少なさそうなので伊勢亀谷城です。元々は関氏のお城で1265年に関実忠によって築かれたと言われています。1590年、豊臣秀吉の名により岡本良勝が亀山城城主となりますが、岡本良勝は関ヶ原で西軍に付いたために桑名城で自害します。以 […]
竹中氏陣屋跡の感想 ここは竹中半兵衛の息子竹中重門が築いた陣屋ですが、岩手城とも呼ばれ現在は門だけですが、水堀などで囲われてお城のような作りになっていたようです。城ではなく陣屋の理由は5000石で旗本だったため、大名(1万石以上)ではないので陣屋と呼ばれているとのことです。現在見学できるところは櫓門のみで中に入れますが、門の周囲のみ。理由は陣屋跡は現在小学校になっているためです。しかも現在はこの門 […]
神戸城の感想 三重県鈴鹿市にある神戸城です。神戸城は元々、神戸氏の城で神戸氏は北畠氏に仕えていた家系と言われています。その後、織田信長の三男、織田信孝を養子にして神戸信孝と名乗り、信孝は8代当主に就きました。信孝の時代には天守閣もあったお城だったのですが、秀吉に自刃に追い込まれました。信孝が亡くなった後、天守閣は桑名城に移されました。江戸時代には城主は神戸氏ではなくなっていましたが、神戸藩のお城と […]
天神山城の感想 浦上宗景の居城『天神山城』に城攻めを掛けましたが、一言でいえば壮大!巨大な石垣と山頂の尾根を上手く利用した防衛ラインを備えた壮大な巨大山城だったため、私は一発でやられました!? 浦上氏は下剋上でのし上がった一族で、浦上宗景の父浦上村宗が播磨国の守護大名であった赤松義村を赤松氏の重臣でありながら騙し討ちし生け捕りにして播磨国の室津城に幽閉、その後暗殺して成り上がってゆき、その息子が備 […]
郡山城/大和郡山城の感想 藤堂高虎が縄張りしただけあって、なかなかの石垣を有する城です。 郡山城は郡山衆と云われる国人たちが築いた城だった様で、筒井順慶が筒井城から郡山城に移ってから(筒井城から郡山城まで約4㎞ぐらいかぁ)改築されていったんだと思います。筒井順慶が亡くなると秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次が家督を相続し郡山城の城主となります。長年、秀吉のもとに人質に出されていた筒井定次は順慶 […]
長井坂上の感想 何の期待もせずに・・・ただ、今の自分の中で『長井』と言うキーワードが気になってて、たまたまWebのマップで見つけたので行ってみました。 長井坂城です!群馬県の沼田市と渋川市(長井坂城はたぶん渋川にあるんだと思いますがぁ・・・)の間ぐらいにある山城です(”◇”)ゞ 誰が築城したかは不明なのですが、上杉謙信が関東に進出した際にこの長井坂城に布陣し、北条軍と沼田の […]
早川城の感想 早川城は現在の神奈川県綾瀬市にある城です。 早川城は鎌倉時代に活躍した渋谷氏が築城したといわれており、渋谷重国の時に源頼朝の家臣である御家人となり早川城一帯の地域を統率していたと思われます。その後、息子の高重が跡を継ぎますが1213年(建暦3年)に和田義盛が起こした反乱『和田合戦』の際に、渋谷高重は和田義盛に組したため討たれてしまいます。 他の渋谷一族は許され宝治合戦の際には多くの軍 […]
鳥羽城の感想 めっちゃ豪雨の中、心を折られながら行ってきました♪ 鳥羽城です!((´∀`*))ヶラヶラ 鳥羽城は織田信長の配下で活躍し、その後、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築いた城とされ、海に面した標高40mの城山に築城されれ海側に大手門を設けられた珍しい城だったみたいです。築城主の九鬼嘉隆は織田信長配下の水軍となり3万5000石を領した武将で、本願寺との戦の際に一度毛利水軍に惨敗したものの、 […]
相馬中村城の感想 相馬中村城です。戦国時代から江戸時代にかけて相馬氏の居城として長く続き、中村藩の中心的役割を果たしていました。その頃は馬陵城(ばりょうじょう)と呼ばれており、その頃から馬を連想させるお城だったんですね。 南北朝時代に中村氏によって築かれた(当時は館かな?)とされており、小高城の相馬盛胤が勢力を拡大させると、次男の隆胤が相馬中村城に入城した様です。伊達氏や田村氏との南陸奥での戦いが […]
七戸城の感想 七戸(しちのへ)城って読みます(⌒∇⌒)七戸城はその昔は柏葉城と呼ばれており、七戸川近くの標高40mぐらいの小高い丘に築かれた平山城です。七戸城は南部政行の子、根城を築いた南部師行の弟の南部政長が築いたとされておりますが、最近の研究では三戸南部家の流れを組む南部政光が築城した城ではないかと云われているみたいですねぇ~のちに七戸南部家といわれるようになり、南部信直(田子→三戸当主)時代 […]