市区町村指定史跡

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撫養城 / 岡崎城 / 林崎城(徳島県)

撫養城 / 岡崎城 / 林崎城の感想 『撫養城』は『むようじょう』ではなく『むやじょう』と呼びます!(o^―^o)ニコ 築城ははっきりとしませんが、三好長治の時代に三好家臣四宮氏が城主であったとされているみたいです。。。あれ???讃岐国大内郡の引田城にも、敵対する讃岐国の寒川氏の家臣である四宮氏(信濃国から入国されたとされています)が城主として入っていたとされるが、両者の関係は定かではないらしいで […]

遠江小山城(静岡県)

遠江小山城の感想 小山城へ行ってきました!小山城は他の地域にもあるためこのサイトでは遠江小山城とさせていただきます。遠江小山城は武田信玄が今川氏が滅びた後、三河の徳川家康と遠江の領有を争った際に天神山城と合わせて武田側の重要拠点となったお城です。現在は能満寺山公園となっており、お寺の一部となっております。遠くからでも天守閣が目立つお城ですが、当時天守閣のあったお城ではありません。天守閣は展望台とな […]

田中城(静岡県)

田中城の感想 田中城に行ってきました!田中城は元々、今川氏の城でしたが、今川氏が滅びると武田信玄が今川の領地に侵攻してきて、この田中城は落城しました。そして、武田家臣四天王の一人、馬場信春がこの田中城を改修します。そんな武田信玄が手に入れた田中城ですが、長篠・設楽原の戦いで馬場信春は討ち死にしてしまいます。田中城の城主として入ったこちらも四天王と言われる山県昌景も馬場信春同様に長篠・設楽原の戦いで […]

浜松城(静岡県)

浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]

大田原城 / 龍城 / 龍体城(栃木県)

大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]

黒羽城(栃木県)

黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]

下野 白旗城(栃木県)

下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]

羽生城(埼玉県)

羽生城の感想 羽生城の築城はいつだか誰だかわかっていませんが、1550年頃に広田直繁が築いたとも云われています。実は個人的に前々から来たかった城で、長尾景虎(上杉謙信)と北条氏康が幾度となく羽生城を奪い合っており、拠点とすれば重要な城だったんだと思うのですが、あまり詳しく知られていない城として何か心に引っ掛かっていました。羽生城は古河公方に従っていた広田直繁や木戸忠朝らが守っており、長尾景虎と共に […]

織田信雄/織田氏七代の墓(群馬県)

織田信雄/織田氏七代の墓の感想 織田信雄から始まり、七代目織田信富までの墓が群馬県の甘楽町にあるとのことで行ってきました!織田信雄といえば信長の次男として生まれ、ダメ息子として有名ですよね。もうダメな話が多くて武将じゃなくて愚将なんて呼ばれたりもしますが、この人の子孫しか信長の直系は江戸時代以降明治維新まで生き残っていないので貴重な存在でもあります。信雄ダメエピソードを少し紹介すると、信長の許可も […]

庭谷城(群馬県)

庭谷城の感想 庭谷城(にわやじょう)は鏑川が蛇行する天然の堀に囲まれた城で、西~南側は土塁(この地方は土居とも云うらしいですね)で守られた、2つの郭をもつ城だった様で、この一帯を支配していた国峰城主だった小幡氏の重臣の庭谷氏の城だったみたいですね。国峰城の支城の役割を果たしていたんだと思われます。元々は山内上杉氏に従っていたのですが、武田氏へ寝返り庭谷氏もそれに従ったとされています。が、武田氏が滅 […]

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