2024年

14/15ページ

甘利信康の墓(愛知県)

甘利信康の墓の感想 長篠・設楽原古戦場のすぐ目の前に『甘利信康の墓(碑)』があります。 甘利って名前にピン!ってくる方もいらっしゃると思いますが、甘利信康は甘利虎泰の子であります、甘利虎泰のは『武田四天王』のひとりとして有名で、武田信玄を国主にするためにクーデターを企てたひとりで、その後も数多くの武功を上げていきます。残念なことに天文17年(1548年)には村上義清(むらかみ よしきよ)との間で起 […]

五味与三兵衛貞氏の墓(愛知県)

五味与三兵衛貞氏の墓の感想 武田勝頼が長篠・設楽原の合戦の際に布陣した場所を探していたら偶然発見できました。 『五味与三兵衛貞氏の墓』です!誰ですか?五味貞氏って???全く知らない武将のお墓を発見しちゃいました。案内板にある通り・・・『謎?』(。´・ω・)? 五味氏はもともと越後国の武将だったみたいで、浪人となり兄である五味長遠と共に五味与三兵衛(貞氏?若しくは、貞成、それとも高重???)は武田信 […]

土屋昌続(昌次)討死の地(愛知県)

土屋昌続(昌次)討死の地の感想 土屋昌続(昌次)は武田二十四将のひとりとされ、金丸寅義の次男として生まれ平八郎と名乗っていたが、成長とともに武田信玄から『昌』の文字を貰い『金丸昌続(昌次)と名乗り、後に真田昌幸・三枝昌貞・曽根昌世・甘利昌忠・長坂昌国らと『奥近習六人衆』とされる信玄直属の若手側近として活躍する。初陣は真田昌幸と同じ第四次川中島の合戦であったため(一番激しい戦い)真田昌幸と共に武田信 […]

長篠・設楽原古戦場(愛知県)

長篠・設楽原古戦場の感想 『長篠の戦い』や『長篠・設楽原の戦い』と言われる歴史を変えた合戦と云われる古戦場です。 歴史的には鉄砲を本格的に活用した初の合戦になっていて、織田・徳川連合3万8千と最強武田軍1万5千がぶつかり合った合戦で、武田軍は最強と言われた騎馬軍団を活用した戦術に対し、織田・徳川連合軍は長篠城の手前の設楽原の地に布陣することとなり、小川や沢に沿って丘陵地が南北にいくつも連なる設楽原 […]

鳥居強右衛門の墓(愛知県)

鳥居強右衛門の墓の感想 鳥居強右衛門の磔地から徒歩で10分の新昌寺に磔にされ殺された『鳥居強右衛門の墓』があります。駅名も鳥居駅が近くにあり、この鳥居強右衛門は三河武士として地元の人には誇られているような気がします。鳥居氏は当初は奥平家の直臣ではなく陪臣だったらしく、鳥居強右衛門が長篠城に参戦したのは36歳であったと云われています。この長篠城の戦いの際に援軍で駆けつけた織田信長も、長篠城の味方全員 […]

鳥居強右衛門の磔地(愛知県)

鳥居強右衛門の磔地の感想 武田信玄が亡くなって3年後、喪に伏せていた武田軍が三河に侵攻し東三河の重要拠点であった長篠城(500人が籠城)を1万5千の大軍で囲い込んでしまう。当初は長期の籠城戦に備えていた長篠城側ではあったが、武田軍が放った火矢が食糧倉庫に引火し火事となり食料を焼き尽くしてしまう。慌てた長篠城側は徳川家康に援軍を急ぐように使者を立てるが、その時に使者として自ら志願したのが『鳥居強右衛 […]

長篠城(愛知県)

長篠城の感想 とても有名な城ですね!歴史のターニングポイント!トリガーとなる時代の重要な城です。 『長篠城』です!!!!! 長篠城は菅沼氏が築城したといわれ、主に松平氏の居城としていました。長篠城は豊川と宇連川が合流する天然の要害を要し、信濃国・遠江国・三河国への街道に繋がる交通の要所でもある重要な城だったことがわかります。武田信玄が西上作戦を実施、長篠城もその勢いに呑まれていき当時城主であった菅 […]

新羅三郎義光公御菩堤所・源義光(山梨県)

新羅三郎義光公御菩堤所の感想 『新羅三郎義光公御菩堤所』は1127年、甲斐源氏の始祖である新羅三郎義光(源義光公)の菩提を弔うためにその子義清によって創立された菩提寺です。当初は天台宗のお寺で高根町にあったようですが、1430年に現在地に移転し曹洞宗に改宗したようです。現在の場所を説明すると中央自動車道須玉バイパスから国道141号を清里方面に上ってすぐ左側に見えます。甲斐武田氏のスタートとなった […]

小山城(山梨県)

小山城の感想 山梨県笛吹市八代町にある小城の小山城です。一応、笛吹市指定史跡に指定されていますが・・・草ボーボーですわ!(´;ω;`)ウゥゥ 小山城の築城ははっきりしていないようですが、1459年(宝徳2年)ごろには河内領を有する穴山氏の穴山伊豆守がこの城に入城していたらしく、同族の武田信重と敵対していたとされています。甲斐盆地の南東に位置する小山城は若彦路と鎌倉街道に隣接する交通の要衝で、小山城 […]

  • 2024.01.02

替佐城(長野県)

替佐城の感想 替佐城はこの前に投稿した壁田城と千曲川を挟んで対岸にある城で、替佐城は武田氏の前線の城として使用されていたとのことです。壁田城が高梨氏の城で上杉方に付いた武将であることから、千曲川を挟んで武田と上杉で睨み合っていた場所だったのだろうなどと思いながら訪問すると、面白いですね!実際の訪問したお城の印象は各曲輪が複雑に置かれていて、また堀切など高さも意外とあるので迫力があり攻めづらそうであ […]

1 14 15