- 2024.06.30
- 入場料無料,
奥平氏発祥の地(群馬県)
奥平氏発祥の地の感想 奥平氏は徳川家康の重臣松平氏との関係が深いため三河の戦国武将と思いがちですが、実は奥平氏発祥は群馬県!?昔の上野国甘楽郡奥平郷が発祥で、しかも赤松則景が祖となり移り住み奥平氏を名乗ったようです。(個人的にはかなりの発見!(〃艸〃)ムフッ)鎌倉時代・・・1200年頃に赤松氏が甘楽郡司となり奥平氏を名乗ったようで、初代は奥平氏行と云うらしく、その後代々 吉行→継定→高定→満定→定 […]
奥平氏発祥の地の感想 奥平氏は徳川家康の重臣松平氏との関係が深いため三河の戦国武将と思いがちですが、実は奥平氏発祥は群馬県!?昔の上野国甘楽郡奥平郷が発祥で、しかも赤松則景が祖となり移り住み奥平氏を名乗ったようです。(個人的にはかなりの発見!(〃艸〃)ムフッ)鎌倉時代・・・1200年頃に赤松氏が甘楽郡司となり奥平氏を名乗ったようで、初代は奥平氏行と云うらしく、その後代々 吉行→継定→高定→満定→定 […]
奥平城の感想 先日の川尻城、亀山城(川尻城・亀山城は共に現在の愛知県新城市)、からの流れにより、いろんな方々から『奥平氏は群馬県の上野甘楽郡』の武将と聞き早速行ってみました~♪ 『奥平城』です!!! 奥平氏は赤松則景(この人が誰だか全然わかりませんが・・・( ノД`)シクシク…)を祖とし、上野甘楽郡で奥平城を築き奥平氏代々の居城となったようですが、奥平氏八代目の奥平貞俊のときに三河国作手の川尻城に […]
三河亀山城 / 亀山城の感想 亀山城ですが、全国にたくさんあるのでここでは『三河亀山城』と云わせて頂きます。前回、三河川尻城でもアップしましたが、上野国甘楽郡奥平郷(現在の群馬県)から三河国作手に移り奥平貞俊が1394年~1423年ぐらいに三河川尻城を築城し、1424年(応永31年)に奥平貞俊によって築城されたと云われており、奥平貞俊は三河川尻城からこの三河亀山城に居城を移したと云われています。奥 […]
三河川尻城 / 川尻城の感想 三河川尻城(川尻城はたくさんあるのでここではあえて『三河川尻城』と云わせて頂きます)は、上野国甘楽郡奥平郷(現在の群馬県)から三河国作手に移り奥平貞俊により築城された城とされています。(因みに、上野国甘楽郡奥平郷が奥平氏発祥の地と云われており、その名も奥平城があるみたいなので後日行ってみたいと思います(^▽^))後に、奥平貞俊は勢力拡大と共に手狭になった三河川尻城から […]
信玄公が撃たれた場所の感想 最強武田軍(武田信玄)が織田信奈が包囲網のひとつ『西上作戦』の最中、この徳川軍の野田城を攻めているときに、武田信玄が野田城の菅沼 定盈の家臣だった鳥居三左衛門に狙撃され、即死とはならなかったもの致命傷となり、後に武田信玄は没し・・・西上作戦が断念させられた伝説のある場所です。 野田城攻めの際に武田信玄は夜な夜な聞こえてくる笛の音に興味を持ったとされています。笛の音は村松 […]
野田城の感想 『野田城』は愛知県新城市にある山城で、武田信玄の大掛かりな西上作戦(せいじょうさくせん)の途中の城であったが、野田城を一躍有名にしたのは『武田信玄狙撃の地』でもあるからです!?武田信玄が野田城を攻めた時、野田城から聞こえる笛の音に聴き惚れていたら、野田城の城主、菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)の家臣だった、鳥居三左衛門に狙撃されたという言い伝えがあり、武田信玄はその鉄砲傷が原因で亡く […]
真田兄弟の墓 / 真田信綱・真田昌輝・禰津是広・常田春清・鎌原之綱の墓の感想 元々は・・・『真田兄弟の墓』を見つけ興味がわき、この『長篠・設楽原の古戦場』に来たんです!真田信綱・真田昌輝(真田兄弟)は、真田幸綱(俺が最も尊敬している)の長男が信綱・次男が昌輝、三男があの有名な昌幸(真田丸で有名な真田幸村、俺が超好きな幸村の兄貴の真田信之の父親)、四男が信尹(『のぶただ』と呼びます。この武将もまたあ […]
織田(北畠)信雄本陣跡の感想 最強武田(武田勝頼)軍を撃破した『長篠・設楽原の戦い』で、最前線の徳川家康本陣から徒歩で約30分/25分ぐらい後方、岡崎信康(家康の長男)本陣跡よりも更に後方・・・織田信忠本陣のすぐ隣に『織田(北畠)信雄本陣跡』があります(^▽^)/ 織田信雄は信長の次男とされ北畠氏に養嗣子とに出され伊勢の名門北畠氏を称していました。本能寺の変後、信長に取って代わった豊臣秀吉に徳川家 […]
織田信忠本陣跡/野辺神社の感想 岡崎信康本陣跡から徒歩で約10分ぐらい後方(しかも少しだけ小山を挟みます)の場所に、『織田信忠本陣跡』があります。織田信忠は織田信長の長男とされ、織田信長の後継者としてその後、最強軍団武田勝頼軍を滅ぼし、父の信長の希望に充分応えた武将ですね。。。それがビビッて(っと云えば言い過ぎですかねぇ~!?)初陣の岡崎信康よりもさらに後方に陣を張り、本陣は天神山の野辺神社境内に […]
岡崎信康本陣跡/松尾神社の感想 徳川家康の長男、徳川信康は当時岡崎城を守っていたため、『岡崎信康』と呼ばれていたのかもしれませんね。。。確かに、岡崎衆とか岡崎城を中心とする軍隊を岡崎衆と呼んでいたと思います。 岡崎信康は長篠・設楽原の合戦が初陣と云われており、父である徳川家康の本陣からは現在の状況で歩いて『20分』先!?直線距離で約10分の標高90m・比高15mの丘陵端に布陣させたと云われています […]