孤高の反逆児ポンタ

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備中高松城(岡山県)

備中高松城の感想 高松城とはありますが、現在の岡山県に存在する備中高松城(四国ではありません!)です。備中高松城は豊臣秀吉(若しくは黒田官兵衛)の代名詞にもなった『水攻め』で攻め滅ぼされた城で、その後、小田原征伐の時に秀吉の側近、石田三成が北条方の成田氏が守る忍城を備中高松城と同様に水攻めを行い大失敗し、小田原征伐で唯一北条方のお城を落とせなかった城として、石田三成の戦下手のレッテルが張られるぐら […]

新高山城(広島県)

新高山城の感想 新高山城です!新高山城は小早川隆景がもともと小早川(沼田小早川)の居城であった高山城から、新たに築城し居城を移した城です。因みに・・・皆さんは『しんたかやまじょう』とお読みと思いますが、正確には『にいたかやまじょう』が正しい城名の様ですね!名将、小早川隆景が高山城から沼田川を挟んで向かい側に堅固な山城を築いたのは、当時、瀬戸内海の海賊の力が凄かったので安全のために海から少し離したの […]

滝山城(東京都)

滝山城の感想 八王子城から約10㎞・・・北条氏照が拡張した滝山城です!拡張って・・・なぜかというと、滝山城はもともと山内上杉家の重臣、武蔵国守護代の大石定重が築いたとされています。1546年に北条氏康があの日本三大奇襲といわれる『河越城の夜戦』を仕掛け見事大勝利!!!扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏を武蔵から勢力を排除したため、大石定重は北条氏康の軍門に降ります。大石定重の後を継いだ大石定久は北条氏 […]

八王子城(東京都)

八王子城の感想 関東での屈指の山城である『八王子城』です。関東制覇を目論む北条(後北条)氏が小田原城の支城とした築いた城で、築城は北条氏照(北条氏康の三男)といわれており、そうとう思いを込めてこの壮大な山城を築城したと思われます。北条氏照は当初、有力豪族であった由井領主の大石氏の娘を娶り養子として入り、北条氏ではなく大石氏を名乗っていたこともあり、この地域は武田からの侵略を防ぐため重要な役割を氏康 […]

能島城(愛媛県)

能島城の感想 皆さんは勿論『村上水軍』はご存じですよねぇ~戦国時代、今のしまなみ海道沿いの島々を根城とし、能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家に別れ、中国側の因島村上、四国側の来島村上のちょうど中間となる能島村上は来島村上と関係が深く(義父)、能島村上の村上武吉は来島村上同様に伊予の国の河野氏とも関係が深かった。 その能島村上の当主村上武吉の居城といわれたのが、この『能島城』です!!!(城全体 […]

有岡城(兵庫県)

有岡城の感想 有岡城です!!!そぉ!あの有岡城です!(*`艸´)ウシシシ最近では伊丹城というのかもしれませんが、俺にとっては永遠に有岡城です! 有岡城といえば、下剋上の武将荒木村重が突如!織田信長に離反し立て籠もった城です。凄く有名な話は、離反した荒木村重を口説くために友人だった黒田官兵衛単身乗り込み交渉しますが、疑心暗鬼になっていた荒木村重は黒田官兵衛を捕らえ土牢にブチこんでしまいます。。。実に […]

花隈城(兵庫県)

花隈城の感想 都心にどしっと構えている『花隈城』です!神戸です!花隈城は別名『花熊城』や『鼻隅城』や『鼻熊城』と呼ばれていたみたいで、その名の通り、当時はこれは六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」、その稜線を「隅」で言い表したものだと言われております。荒木村重が織田信長に命じられて築城した城といわれていますが、和田惟政が織田信長に摂津の支配を任されたときに築いた城だともいわれています。どちら […]

二俣城(静岡県)

二俣城の感想 『二俣(ふたまた)城』です。二俣川と天竜川の合流地点にある両川を大きな堀とした天然の要害地です。『鳥羽山城』が付城として存在しており、今回はそれもひっくるめて『二俣城』としています。ここで徳川と武田が激しい争奪戦を展開する激戦区で、武田側から見れば信濃から攻め込むと遠州平野の入り口となり、南下して気賀まで行けば東海道の脇街道にあたる道が東西に延びており、さらに南下すれば浜名湖に到着す […]

佐賀城(佐賀県)

佐賀城の感想 『佐賀城』です!旧名は『佐嘉城』です。別名は『沈み城』『亀甲城』と呼ばれており、『沈み城』とは過激な城名だと思われますが、佐賀平野(?)にある平城で堀は石垣ではなく土塁で築かれており、当時は何重にも堀が廻らされていたようです。平城の弱点を補うために攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕掛けがしてあったため『沈み城』と言われていたとか!?一般的には鍋島氏の居城として有 […]

伊賀上野城(三重県)

伊賀上野城の感想 『伊賀上野城』です。伊賀上野城と言えば藤堂高虎(築城の名手)を思い出すと思いますが、元々は豊臣秀吉の命で大和国から国替えされた筒井定次が伊賀国に入国しこの地に築城を始めたとか?????今の石垣や縄張り石垣などは藤堂高虎の時代になって築かれたものなんでしょうね。 徳川家康の伊賀越えにあった通り、こきは機内と伊勢を抜ける最短ルートだったのでかなり重要な位置づけだったんでしょうね。豊臣 […]

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