- 2024.02.11
馬場信春(信房)討死の地(愛知県)
馬場信春(信房)討死の地の感想 『馬場信春(信房)と馬場勝行の墓』から約450m先に『馬場信春(信房)討死の地』があります。討死と云っても、たぶんですが私なりの解釈では武田勝頼を逃がした後に戦える余力がありながらも、潔しとせずに敵に囲まれ場がらもこの場所で『自害』した場所なんだろうなぁ~って思っています。 馬場信春(信房)は約800人ほどの軍団を引き連れ長篠・設楽原の合戦の参戦したようですね。織田 […]
馬場信春(信房)討死の地の感想 『馬場信春(信房)と馬場勝行の墓』から約450m先に『馬場信春(信房)討死の地』があります。討死と云っても、たぶんですが私なりの解釈では武田勝頼を逃がした後に戦える余力がありながらも、潔しとせずに敵に囲まれ場がらもこの場所で『自害』した場所なんだろうなぁ~って思っています。 馬場信春(信房)は約800人ほどの軍団を引き連れ長篠・設楽原の合戦の参戦したようですね。織田 […]
馬場信春(信房)・勝行の墓の感想 豊川沿いの国道257号線を北上し三差路を左路線の豊川新城線を進むと左手側(道沿い)に、『馬場信春(信房)・馬場勝行』の墓があります。(馬場信春の墓(首を埋葬したと伝えられている)場所はこちら)馬場信春(信房)は武田信虎→武田信玄→武田勝頼の三代にわたって仕えた重臣で、武田二十四将、及び、武田四天王のひとりとされた名将っていいでしょうね!馬場信春(信房)は武田信虎の […]
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地の感想 山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓から約4㎞豊川沿いの愛知県新城市大海字下林まで北上したところに、『山本信供/勘助(二代目)/勘蔵 討死の地』があります。脇道にそれた住宅地の中にひっそりとありましたが、この豊川沿いを更に北上したところに、馬場信春の討死した場所があることから、私個人的には長篠・設楽原の合戦に負けた武田勝頼が撤退したルートではないかと思 […]
山本信供/勘助(二代目)/勘蔵の墓 高坂昌澄の墓から約1.5km離れた見渡す限り畑の中に山本信供の墓がありました。山本信供はあの有名な武田信玄の軍師山本勘助の息子とされ、山本勘助(二代目)や、山本勘蔵と名乗っていたとも言われています。山本勘助が第四次川中島の合戦で討死すると、山本信供は山本十左衛門尉(妻が山本勘助の娘)に後見され育てられた様です。元服後、山本家を継ぎ山本勘助(二代目)も継いだようで […]
原昌胤の墓の感想 山縣昌景の墓たちから少し進み、途中、小道を登り小幡信貞・小幡一族の墓を通り過ぎで丘の頂上付近の畑の中に『原昌胤の墓』がありました!(^▽^)/ 原昌胤は武田二十四将のひとりでもあり、しかも武田二十四将にはもう一人原虎胤が存在しています。両名とも『原』であり『胤』が付くため同一族の様に思われますが、原昌胤は美濃国出身で美濃土岐氏の流れを組む一族と云われ、もう一人の原虎胤は下総(しも […]
小幡信貞(信真)の墓 / 小幡一族の墓の感想 山縣昌景たちの墓の近く、黒畑阿弥陀堂がある道を小高い丘方面に上がっていくと斜面に平地があり、そこに『小幡(おばた)信貞(のぶさだ)(信真(のぶざね))の墓』及び『小幡一族の墓』があります。小幡氏といえば武田二十四将のひとりとして存在していますが、武田二十四将の小幡昌盛は当時、高坂(香坂)昌信(春日虎綱)とともに海津城(現在の松代城)に籠り、上杉謙信の川 […]
高坂昌澄の墓の感想 長篠・設楽原の合戦の前の長篠城の戦いの際に、酒井忠次軍に鳶ヶ巣山の守備隊が壊滅させられ、高坂昌澄が守る有海村駐屯軍へも襲い掛かられたため、高坂昌澄は討ち死にしたと云われています。因みに・・・父親は高坂虎綱で虎綱の長男だと云われています。高坂虎綱は上杉軍の南下に備え、長野市にある海津城(現在の松代城 )にいたため、父親の代理として長篠・設楽原の合戦に参戦していたようですね。。。 […]
山縣昌景 / 山縣昌次・名取道忠 / 高坂助宣 の墓の感想 長篠・設楽原古戦場のほぼ正面、たぶん武田軍が陣を引いてあっただろうと思われる小さな丘に、山縣昌景の墓があり、山縣昌景と共に、山縣昌次・高坂助宣の墓もありました。古戦場沿いの農道になるのかな?その道沿いに『山形(縣)の地名』の案内板があり、その横の細道40mに山縣塚としてあります。 山縣昌景 / 山縣昌次・名取道忠 / 高坂助宣 の墓画像ギ […]
甘利信康の墓の感想 長篠・設楽原古戦場のすぐ目の前に『甘利信康の墓(碑)』があります。 甘利って名前にピン!ってくる方もいらっしゃると思いますが、甘利信康は甘利虎泰の子であります、甘利虎泰のは『武田四天王』のひとりとして有名で、武田信玄を国主にするためにクーデターを企てたひとりで、その後も数多くの武功を上げていきます。残念なことに天文17年(1548年)には村上義清(むらかみ よしきよ)との間で起 […]
五味与三兵衛貞氏の墓の感想 武田勝頼が長篠・設楽原の合戦の際に布陣した場所を探していたら偶然発見できました。 『五味与三兵衛貞氏の墓』です!誰ですか?五味貞氏って???全く知らない武将のお墓を発見しちゃいました。案内板にある通り・・・『謎?』(。´・ω・)? 五味氏はもともと越後国の武将だったみたいで、浪人となり兄である五味長遠と共に五味与三兵衛(貞氏?若しくは、貞成、それとも高重???)は武田信 […]