鎌倉時代

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伝 大江広元の墓(神奈川県)

伝 大江広元の墓の感想 大江広元は毛利元就の祖として、私とかはとても重要な人物と考えていました。(毛利元就も一時、幕府側に出す書状に大江元就と記載していたことがあります) 大江広元は京都の儒学を専門とする京都で朝廷に務める下級貴族だった中原広季の養子となったとあります。大江広元もその時は中原広元と名乗っていたようですね。途中、1216年にあらためて大江広元と改めた様です。京都にいたころ、兄の中原親 […]

遠江 飯田古城(静岡県)

遠江 飯田古城 太田川東岸中飯田の段丘上に『曹洞宗崇信寺』があります。 山門前の寺名を刻んだ石柱には『飯田城主山内対馬守開基』と記載しています。 ここが『遠江飯田古城』があった場所だと思われます♪山内氏は鎌倉期に飯田荘の地頭となり、次第に勢力を拡大して室町期には天方本城を中心に勢力を拡大し、今度は約7km先に南下し新たに遠江飯田古城を山内対馬守道美が築いたとされています。その後、山内道美の孫となる […]

加古川城(兵庫県)

加古川城の感想 加古川城は羽柴秀吉(織田軍)が毛利氏討伐について話し合い(加古川評定)を行ったお城になります。この加古川評定に三木城の城主だった別所長治は参加せず、別所氏はその後、織田氏から離反していき三木合戦へと繋がっていきます。この加古川城の城主は粕屋武則という武将で、豊臣秀吉の賤ヶ岳の七本槍として活躍した武将の一人です。糟屋氏は源頼朝から平氏討伐の褒美として糟屋有季(かすやありより)がこの加 […]

向石毛城 / 平将門公本拠豊田館跡(茨城県)

向石毛城 / 平将門公本拠豊田館跡の感想 向石毛城は鬼怒川を挟んで石毛(本石毛)城の西側にあります。ここは 平良将(平将門の父)が豊田館をこの地に築き、平将門 もここで誕生したということが碑文には書かれていました(⌒∇⌒)  後に豊田氏が城を築いたとも云われています。(難しいのは、近くに模擬の豊田城があり、また、鬼怒川沿いにも豊田城跡https://jh.irukamo.com/post-3058 […]

源頼朝の墓(神奈川県)

源頼朝の墓の感想 源頼朝の墓は、鎌倉市の白旗神社の高台にあります。源頼朝は皆さん知っての通り初代『鎌倉殿』で貴族の世の中から武家の世の中に最初に導いた人です。源平の合戦や義経の追討など一番最初に知った武家社会の政治家のようなイメージがありますね。そんな源頼朝の最後(死に方)は、1198年の12月27日に相模川の橋供養からの帰路中の稲村ガ崎で落馬し、その落馬が原因で翌年の1199年1月13日に亡くな […]

英賀城(兵庫県)

英賀城の感想 英賀城と書いて「あがじょう」と読みます。別名、岩繋城(いわつぎじょう)とも呼ばれていたそうです。古くは鎌倉時代くらいから砦があったみたいです。その後、室町時代になり赤松 祐尚(あかまつ すけひさ)の頃にお城として築城されて、その後三木氏の居城となり改修されたみたいです。英賀城は別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と呼ばれていたみたいです。英賀城の特徴は播磨灘に面していて港を […]

北条政子の墓(神奈川県)

北条政子はまたの名を平政子(たいらのまさこ)ともいい、平家の流れを組む一族だったと思わせますね。超!有名な人で日本で初の『尼将軍』と云ってもいい存在でしょうね。 源氏と平氏の争いが激化すると、平清盛に滅ぼされ伊豆に追放され流人だった源頼朝も出会うと、周囲の大反対を押し切って源頼朝の正妻となります!!! 強い意志を感じる女性ですね!源頼朝は女性にだらしないイメージなのですが、そのたびに源頼朝の浮気相 […]

源実朝の墓(神奈川県)

源実朝の墓の感想 源実朝の墓は寿福寺の奥の墓地にあります。 源実朝(みなもとのさねとも)は源頼朝と北条政子の次男として生まれました。(北条政子の墓も隣にあります。)源頼朝が亡くなると、長男の源頼家が鎌倉殿第二代目となり三年後に征夷大将軍となりますが、長男の頼家派である比企氏(ひきし)と次男の実朝を担ぐ北条氏との間で対立が始まり、北条氏が比企氏を滅亡させたため源頼家は伊豆の修善寺に送られ幽閉され暗殺 […]

結城城(茨城県)

結城城の感想 結城城ははっきりしていませんが(古すぎて)結城朝光(ゆうきともみつ)が築いた城だと云われているようです。結城朝光は平安時代~鎌倉時代中期ごろまで活躍した武将で、勢力を持った有力な御家人として存在してました!!!下総結城氏の初代当主でもあったと思われます。(下総国は現在の千葉っぽいですがまんざら外れてもいなく、千葉の北部と茨城の南西部辺りを指すようです。。。けど今回は下野国(しもつけの […]

平賀氏城跡(長野県)

平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]

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