室町時代(主に南北朝時代)

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一宮城(徳島県)

一宮城の感想 長宗我部元親ファンの俺には『一宮城』は念願のお城です!(〃艸〃)ムフッ 一宮城は南北朝時代に築かれた山城で、本丸部分は標高約144mとなり本丸以外にも明神丸・小倉丸・才蔵丸・稚丸・水ノ手丸など山全体に多くの丸を築いています。北側には鮎喰川・東側には船戸川と園瀬川が天然の濠となった、なかなか堅固で大規模な山城では徳島県内で最大級の山城であることは間違いないですね!!!!(*`艸´)ウシ […]

高天神城(静岡県)

高天神城の感想 高天神城へ行ってきました!静岡県で行きたかったお城の一つです。高天神城は武田信玄・勝頼親子の徳川・織田との戦いの中心になったお城。元々は今川氏の支城であったが、今川氏が滅亡し取り合いになり、徳川が援軍を送れずに武田に攻められて高天神城の城主であった小笠原氏が城を開城し武田側のお城となりました。この時に難攻不落の高天神城を開城させたのは武田信玄ではなく息子の勝頼でした。武田を滅ぼした […]

勝瑞城(徳島県)

勝瑞城の感想 勝瑞(しょうずい)城は政治・経済・文化の中心だった勝瑞館から、現在は県道松茂吉野線を挟んで北東の位置に存在する城で、当時は勝瑞館と隣接(一緒)していた城だったと思います。阿波国で中世城郭の中では珍しい平城で細川氏9代・三好氏3代の約240年の根拠地だとされており、いかにこの国が大きな動乱が無く平和に発展していたかがわかりますね。細川氏も機内との関係も深く、この勝瑞館・勝瑞城から大軍を […]

勝瑞館(徳島県)

勝瑞館の感想 南北朝時代まで行きますが・・・笑 足利尊氏の命により阿波国に入国した細川氏は最初は『秋月城(現在の阿波市)』に城を築きますが、その後、守護所を勝瑞に移したことから始まります。 勝瑞(しょうずい)館です!!!!(⌒∇⌒)~♪勝瑞城の向かいにあります。 平和な時代が続いたんでしょうね・・・室町時代後半まで阿波国守護の細川氏が守護所を置いた地で、阿波国の政治・経済・文化の中心地として栄えた […]

撫養城 / 岡崎城 / 林崎城(徳島県)

撫養城 / 岡崎城 / 林崎城の感想 『撫養城』は『むようじょう』ではなく『むやじょう』と呼びます!(o^―^o)ニコ 築城ははっきりとしませんが、三好長治の時代に三好家臣四宮氏が城主であったとされているみたいです。。。あれ???讃岐国大内郡の引田城にも、敵対する讃岐国の寒川氏の家臣である四宮氏(信濃国から入国されたとされています)が城主として入っていたとされるが、両者の関係は定かではないらしいで […]

引田城(香川県)

引田城の感想 引田城の築城は定かではありませんが、1504年〜1521年頃に昼寝城主の寒川元政の家臣で信濃国から入国した四宮右近が城主となった城らしく、阿波(徳島県)との国境を守備し阿波の三好氏との防衛ラインとしての最前線の城だったと思われます。西側が播磨灘に面し淡路島を望める事が出来、標高82mの城山の山頂に築かれた「山城」でありながらも、北側と南側も海に面し三方を海に囲まれた「海城」でもありま […]

浜松城(静岡県)

浜松城の感想 徳川家康の城といえば浜松城を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。1570年から1586年の駿府城へ移るまでの居城で、この前の記事でも書きましたが、武田信玄との戦いに備えるためのお城でもあり、三方原の戦いなどはこの浜松城の近くになります。浜松城は元々、曳馬城と呼ばれていて、家康が移ってきた時に浜松と名前を変えた経緯があります。家康が先ほど書いた武田信玄に対する城にするために改修を […]

下野 白旗城(栃木県)

下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]

大関城(栃木県)

大関城の感想 関東に住んでいてイロイロ歴史の事を調べていると『大関氏』と云う一族の名を知ることが出来ます。大関氏を調べてみると、大関氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・西党・丹党の七党)の丹党の末裔と云われており本姓は『丹治(たじひ)』氏と云われているみたいです。しかしそれはイロイロあって大関高増が大田原氏から養子に入った時に大関氏の系図を書き直し(虚偽)て丹治氏を名乗った疑いが […]

下野 壬生城 / 馬蹄城(栃木県)

下野 壬生城 / 馬蹄城の感想 広島(安芸)にも壬生城が存在(有名か有名じゃないかは別として!苦笑)するため、あえてタイトルは『下野 壬生城』にさせて頂きます!(^▽^)/ 壬生城は壬生 胤業(たねなり)とも壬生 綱重(胤業の息子)とも云われており、胤業が壬生城の近くに今でいう古城を築き綱重が現在の壬生城を築いたらしく、古城も併せ壬生城であったのではないかと思います。これはこの土地に来てみないと感 […]

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