吉良家供養塔/吉良政忠公墓所(神奈川県)
吉良家供養塔の感想 吉良家が世田谷城から追い出されたのちに入城したのが横浜市にある蒔田城(蒔田館、蒔田御所)になります。世田谷城は招き猫で有名な豪徳寺の周辺一帯にあり、豪徳寺も吉良政忠が建立したお寺になります。その後、彦根藩の井伊家が世田谷区周辺をもらいこの地に入り、お寺を再考して井伊家の菩提寺となっています。吉良家の墓も豪徳寺の近く、同じ世田谷区内にありますが、勝光院というお寺になります。吉良氏 […]
主に戦国時代1400年代中頃以降から1600年ごろまでの江戸時代以前を戦国時代として表示しています。
吉良家供養塔の感想 吉良家が世田谷城から追い出されたのちに入城したのが横浜市にある蒔田城(蒔田館、蒔田御所)になります。世田谷城は招き猫で有名な豪徳寺の周辺一帯にあり、豪徳寺も吉良政忠が建立したお寺になります。その後、彦根藩の井伊家が世田谷区周辺をもらいこの地に入り、お寺を再考して井伊家の菩提寺となっています。吉良家の墓も豪徳寺の近く、同じ世田谷区内にありますが、勝光院というお寺になります。吉良氏 […]
長尾砦跡の感想 先日の長尾氏居館跡の記事に続いて長尾氏砦跡になります。長尾氏砦は小田原北条氏の時代に作られたもののようですので、戦国時代に作られた場所になるようです。ただ、すぐ隣に長尾氏居館跡があり、そちらは長尾氏発祥の地と言っても良い場所かと思われます。長尾氏は鎌倉時代に鎌倉氏だった鎌倉景広がこの地をもらい長尾の姓を名乗るようになり、長尾景広となります。その後、戦国時代になり、小田原北条氏がこの […]
長尾氏居館跡の感想 長尾氏居館跡は神奈川県横浜市栄区長尾台にあります。鎌倉市と隣接する場所で、相模国鎌倉郡長尾郷(長尾荘)を鎌倉景広がもらったことで「長尾」を名乗るようになり長尾氏が始まります。鎌倉氏は坂東八平氏の一つで桓武平氏の流れの氏族になります。この二代目に当たる長尾定景一族の墓が久成寺というお寺にあるので長尾氏居館跡(長尾砦)と一緒に巡ってみるのをお勧めします。この長尾氏ですが、上杉氏の家 […]
村岡城/高谷砦の感想 村岡城は現在村岡城址公園になっており、住宅街にある普通の子供が遊んだりできる公園になっています。遺構らしきものはほとんどなく村岡城の説明板などで城跡だったのがわかる程度です。公園内にある説明を読むと、10世紀に桓武平氏の平良文(村岡五郎良文)がこの辺りに荘園を開いたと書かれていてこの城跡だったかまではわからないですが、この辺りに館などが築かれていたものと推測されるみたいです。 […]
青山佐渡守(吉次)/(青山豊後守)長正の墓の感想 青山吉次(あおやまよしつぐ)と青山長正(あおやまながまさ)親子の墓になります。お墓があるのは、以前に投稿した天神山城(富山県)の登山道途中にあります。越中青山氏の詳細なルーツはよくわかりませんが、ざっくり、青山吉次の父、青山信昌(あおやまのぶまさ)が織田信長に支えていたので吉次も織田家臣となり、武功を上げて、賤ヶ岳の戦いや八王子合戦に参加し、織田信 […]
守山城の感想 松倉城、増山城、とこの守山城が越中三大山城と呼ばれているそうです。守山城は「もりやまじょう」と読みます。頂上まで舗装されていて車で登れてしまうので訪問するのは非常に簡単な山城なので登山が苦手な方にもおすすめです。守山城はこの前に書いた放生津城の詰城だったとされているお城で、放生津城の神保氏と長尾為景が戦った際には神保氏はこの守山城を拠点に戦ったとされているようです。ちなみに長尾為景は […]
放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]
松倉城の感想 松倉城への訪問です。松倉城は、岐阜県や愛知県にも同名のお城があるので越中松倉城(えっちゅうまつくらじょう)とも呼んだりします。だいぶ上の方まで道が整備されているので山城ですが、本丸に行くのはとても楽な山城です。松倉城は普門(井上)俊清(ふもん(いのうえ)としきよ)が14世紀前半に築城したとされています。普門氏がどうなったのかはよくわかっていないようですが、南北朝以降は椎名氏のお城とな […]
願海寺城の感想 願海寺城は上杉謙信の家臣、寺崎盛永の城とされています。元々は上杉氏の神保氏や椎名氏に対する城として築城されたのではないかと思われます。その後、1581年の織田軍(佐々成政)と上杉氏の戦いの時に寺崎氏が守っていたお城でしたが、落城。その後詳しくはどうなったのかわからないですがしばらくして廃城になったのではないかと思われます。この願海寺城の城主だった寺崎森永ですが、ころころと主君を変え […]
升方城/舛方城の感想 升方城は椎名氏が松倉城の支城として築城したお城とされています。椎名氏は越中の守護代として室町時代あたりに来たと思われます。同じ時代に守護代として神保氏も越中に来ており、戦国時代にもなると両者の間で越中の領国支配で争いが加熱して行きます。武田や一向宗を味方につけた神保氏と上杉を味方に付けた椎名氏で争いますが、神保氏の勢力が弱まると椎名氏は武田氏を味方につけて上杉に反旗を翻します […]