- 2025.10.14
- 入場料無料, 山城(登頂難易度「中」), 堀,
弓木城(京都府)
弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]
主に戦国時代1400年代中頃以降から1600年ごろまでの江戸時代以前を戦国時代として表示しています。
弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]
鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]
吉田松尾城の感想 鹿児島市にある方の松尾城になります。鹿児島県内には他にも複数松尾城があるのでこちらは吉田松尾城と呼ばせていただきます。吉田松尾城は吉田氏が居城にしたことで吉田城とも呼ばれ、松尾山に築城されたので松尾城とも呼ばれるみたいです。案内板などはどれも松尾城で統一されていますが、わかりづらいですね。築城は吉田清正が応永年間の後半に築城したとされているので、1420年前後くらいかと思われます […]
蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]
羽衣石城の感想 羽衣石城は『はごろもいしじょう』ではなく『うえしじょう』と読みます。羽衣石城は東郷池(ぐるっと周辺は12kmの汽水湖です!)かな南の方角にあり、羽衣石川沿いの東にある羽衣山(標高372m)に築かれた巨大な山城です( `ー´)ノ!!! 1366年に南条貞宗(なんじょうさだむね)が羽衣石城を築いたと云われており、当初は今は十万寺城跡(太閤ヶ平)と呼ばれる羽衣石山の尾根沿いに南に行ったと […]
山名氏関係の墓石群の感想 打吹城(うつぶきじょう)から約2.2km、小鴨川を渡った鳥取県倉吉市巌城に境内を構えている曹洞宗の寺院である『山名寺』があります。スタートは伯耆国の守護大名だった山名時氏公が1357年により創建した光孝報恩禅寺にあります。戦国時代の末期になってくると、山名氏の滅亡により哀退した様ですが、1605年に中村伊豆守が再興して『清浄山山名寺』と称せさせ今に至っている様です。今は立 […]
別所長治公の首塚の感想 わずか26歳で織田信長(羽柴秀吉)に刃向かい三木城に籠城の末、お城を開城し切腹となった別所長治の首塚に行ってきました。ほぼ三木城と繋がっていると言っても間違いじゃないくらいの場所に雲龍寺というお寺がありそのお寺に別所長治公の首塚があります。一緒に妻、照子婦人も並んで首塚が建てられております。別所長治の辞世の句は「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへ […]
鷹尾山城の感想 鷹尾山城は三木城鷹尾山城とも言われており、三木城の南側を守る支城だったようです。別所長治の時代に鷹尾山城には別所長治の弟、別所友之が入っていましたが、1580年、秀吉軍により落城してしまいます。別所友之は兄の別所長治同様に自刃されたようです。現在の鷹尾山城のあたりは、市役所と勤労者体育センターができてしまっており、土塁や堀などが一部残っているのみとなっております。三木城で出会った地 […]
三木城の感想 三木城に訪問してきました!三木城は釜山城や別所城とも呼ばれていたみたいです。三木城といえば、別所長治(べっしょながはる)が羽柴秀吉から離反して起こした三木合戦が有名ですね。でも、その前に別所氏が東播磨で力を付けていくきっかけを作ったのが別所則治(べっしょ のりはる)です。この方がいたから別所氏は東播磨八郡の守護代にまでなり別所氏を名門にしたと言えます。三木城を築城したのも別所則治にな […]