平城・平山城

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西宮城(奈良県)

西宮城の感想 西宮城は『西宮古墳』を利用した城だったと思われ、ちょうど嶋氏の居城だった椿井城と松永久秀の信貴山城の間の盆地に築かれた城です。椿井城もそうなのですが筒井氏の家臣だった嶋氏の城だったとされ、松永久秀が椿井城を奪った際にこの西宮城も奪われ支配されていたんじゃないかと思います。また、北側には下垣内(しもがいと)城が築かれており、西宮城と下垣内城の間には大きな谷間(人工なのだろうかぁぁぁ?) […]

岡崎土橋城(和歌山県)

岡崎土橋城の感想 詳しくはわかっていませんが、雑賀衆に土橋(つちはし)氏という武将がおり、土橋氏が築いた城なんじゃないかと云われているようです。 よって、岡崎土橋城は『おかざきつちはしじょう』って読むんだと思います( `ー´)ノ 行ってみましたが、『本願寺別院岡崎坊』が岡崎土橋城跡の可能性が高く、今では城らしい構造は残っていません。雑賀衆だし当時は『寺=城=居城』であったんではないかと思われます。 […]

太田城(和歌山県)

太田城の感想 実は・・・紀伊国で行きたかった城のひとつがこの『太田城』です!(`・ω・´)ゞあまり知られてはいませんが、日本三大水攻め(備中高松城・忍城・そしてこの太田城)のひとつとされています。太田城は紀氏が1489年~1492年頃に紀伊国造(『きのくにのみやつこ』『きいこくそう』と云われる紀伊国を支配した国造の神別)の紀氏第64代 紀俊連 が神領保護を目的として『秋月城(近くにありましたがスー […]

入山城(和歌山県)

入山城の感想 紀伊国にある入川城は、西側に西川が流れ堀として東側には亀山城を備える両城で連携した山城だと思われます。丘陵中央部は標高76mの『城山』部分と南端の標高は34mの『本丸』部分の二か所を備えた山城です。築城は定かではありませんが、三好義長が1522年に阿波国から紀伊国に侵攻した際に畠山氏と戦った際に築かれた山城だと云われているみたいですね。その後は、一度敗れた畠山氏が地元の豪族湯川(湯河 […]

長尾砦跡/長尾城/長尾台城(神奈川県)

長尾砦跡の感想 先日の長尾氏居館跡の記事に続いて長尾氏砦跡になります。長尾氏砦は小田原北条氏の時代に作られたもののようですので、戦国時代に作られた場所になるようです。ただ、すぐ隣に長尾氏居館跡があり、そちらは長尾氏発祥の地と言っても良い場所かと思われます。長尾氏は鎌倉時代に鎌倉氏だった鎌倉景広がこの地をもらい長尾の姓を名乗るようになり、長尾景広となります。その後、戦国時代になり、小田原北条氏がこの […]

長尾氏居館跡

長尾氏居館跡の感想 長尾氏居館跡は神奈川県横浜市栄区長尾台にあります。鎌倉市と隣接する場所で、相模国鎌倉郡長尾郷(長尾荘)を鎌倉景広がもらったことで「長尾」を名乗るようになり長尾氏が始まります。鎌倉氏は坂東八平氏の一つで桓武平氏の流れの氏族になります。この二代目に当たる長尾定景一族の墓が久成寺というお寺にあるので長尾氏居館跡(長尾砦)と一緒に巡ってみるのをお勧めします。この長尾氏ですが、上杉氏の家 […]

放生津城(富山県)

放生津城の感想 放生津城(ほうじょうづじょう)と読みます。放生津城は神保氏の居城として有名でもありますが、個人的には足利義稙(あしかがよしたね)/義材(よしき)の逃げてきたお城。身を寄せていた場所としての方が面白く興味がある人です。ここの説明版では義材(よしき)と書かれていますが、この記事では義稙(よしたね)で書かせていただきます。義稙は室町幕府の第10代将軍ですが、幼少期に家督争いの都合で父と共 […]

願海寺城(富山県)

願海寺城の感想 願海寺城は上杉謙信の家臣、寺崎盛永の城とされています。元々は上杉氏の神保氏や椎名氏に対する城として築城されたのではないかと思われます。その後、1581年の織田軍(佐々成政)と上杉氏の戦いの時に寺崎氏が守っていたお城でしたが、落城。その後詳しくはどうなったのかわからないですがしばらくして廃城になったのではないかと思われます。この願海寺城の城主だった寺崎森永ですが、ころころと主君を変え […]

大峪城/伊賀城/大掛城/大懸城(富山県)

大峪城の感想 大峪城はおおがけじょうと読みます。現在は「富山市五福芝生スポーツ広場」になっています。その前は五福小学校がここにあったみたいですね。どのように入っていいのか分からず外から撮影させていただきました。 なんとなく土を持ったような地形になっていて城跡のようにも見えますが、学校を建てる際に造成したり、現在の公演を作る際にも造成してそうなので当時のものとは言えない感じですかね。 お城の歴史とし […]

太田本郷城(富山県)

太田本郷城の感想 太田本郷城は今泉城の付城として河田長親が築城したとされているお城とのことです。織田軍に備えてかと思いましたが、1573年に一向一揆勢に対する向城として築城と書かれているので、この近くに一向一揆の城か砦のようなものがあったのではないかと思われますが、具体的にどこに対しての向城なのかはよくわからないみたいですね。 現在の太田本郷城ですがm、遺構らしきものは見ることはできず石碑と説明板 […]

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