信虎誕生屋敷/岩下氏館跡(山梨県)
信虎誕生屋敷/岩下氏館跡の感想 武田信虎の誕生屋敷の跡になります。今は果物園みたいになっており史跡は確認できませんでしたが、案内板からだとこの一帯に館跡があったらしく館林には水路が巡り西側は2mほど高くなっているようです。確かに案内板の前には水路があり堀と云うかそんなものを連想させる構造でした。 岩下氏も知らなかったので少し調べてみると、甲斐伴氏流宮原氏の庶流に岩下氏がありその岩下氏ではないかとさ […]
信虎誕生屋敷/岩下氏館跡の感想 武田信虎の誕生屋敷の跡になります。今は果物園みたいになっており史跡は確認できませんでしたが、案内板からだとこの一帯に館跡があったらしく館林には水路が巡り西側は2mほど高くなっているようです。確かに案内板の前には水路があり堀と云うかそんなものを連想させる構造でした。 岩下氏も知らなかったので少し調べてみると、甲斐伴氏流宮原氏の庶流に岩下氏がありその岩下氏ではないかとさ […]
旧柳生藩陣屋跡の感想 柳生城・柳生家墓所(芳徳寺)から道路を挟んで向かい側に『旧柳生藩陣屋跡』があります。旧柳生藩陣屋跡は、戦国武将だった柳生家厳が松永久秀に付き敗れ落ちぶれてしまい、息子の柳生宗厳(石舟斎)が剣術の流派「柳生新陰流」を生み出し剣豪として知られ、さらにその息子の柳生宗矩(むねのり)が徳川家に認められ、秀忠・家光の二代に仕え大名として復活します。1642年に柳生藩初代藩主となった柳生 […]
伴野城/野沢城の感想 伴野城(とものじょう)は別名野田城とも呼ばれており、室町時代ころに拡張されてその時代に野沢城と呼ばれていたようです。伴野城は鎌倉時代初期、小笠原長清の六男である「伴野時長」によって築かれたとされており、現在残っているのは野沢城時代の本丸跡とのことです。伴野城は室町・戦国時代に城郭(二の丸・三の丸等)へと拡張され周囲に濠と土居を巡らせ、南側に正門、西南の高台に物見櫓があったと説 […]
十市城の感想 橿原市北部から田原本町全域、また、天理市南部と桜井市北部を支配した十市(とおいち)氏築城した城と云われており、戦国時代はこの十市(とおいち)城を居城として活躍した十市氏は、奈良市周辺の古市氏・大和郡山市周辺の筒井氏・広陵町周辺の箸尾氏・高取町周辺の越智氏と並ぶ『大和武士の五強』のひとつとされた一族です。十市町旧集落北部の一部約70m四方の小さな盛り上がりがあり、これを中心部分(たぶん […]
新庄城の感想 新庄城は平田荘の荘官より成長した有力国人のひとり布施氏が築いた城だと云われており築城された年は不明です。布施氏は筒井氏との関係が深く、松永久秀が大和国に侵攻してくると筒井順慶は敗走を重ねて勢力を失墜してしまいます。多くの国人衆が松永久秀に屈するなかで、布施氏は筒井氏への誼を捨てず松永久秀に頑強な抵抗を続けます。そして、福住氏、山田氏、秋山氏らと抵抗戦線を結び、筒井城を失って没落した筒 […]
万歳平城 / 万歳城の感想 『ばんざい』と書いて『まんざい』と読みます。万歳平(まんざいへい)城です(。◕ˇдˇ◕。)/ 日本語は難しい~ 大和国葛下郡に勢力を築いた万歳氏の城で、城と云うよりは館みたいな感じだったんじゃないかと思います。万歳氏には平安時代後期から平田荘の荘官を務めていた氏族で、後で調べてみると西側山の方にクルマで10分ほどの場所に『万歳山城』という城があり、昔で云う詰城的な山城 […]
片岡城 / 下牧城の感想 ここは面白そうな城だな!って思って訪問しましたが・・・結論から言えば・・・断念しました!!!( ノД`)シクシク… 心残りのお城です。 奈良県北葛城郡上牧町にあります『片岡城』です(`・ω・´)ゞ 上牧町にあるのに別名は『下牧城』ですってぇぇぇ笑((´∀`))ケラケラ いつ築城されたかははっきりわかっていませんが、室町時代に片岡氏が築城したと云われています。1498年に畠 […]
下垣内城の感想 『下垣内(しもがいと)城』って読むようです・・・本当に日本語って難しいなぁ~(´;ω;`)ウッ…先に記載しました『西宮城』と同じ敷地内にあり、間を大きな堀で分けられた城です。下垣内城については城主などの記載が残っていませんが、現地での案内板によると後に石田三成に仕える、嶋左近の一族が築城し、嶋左近(清興)もこの城にいた可能性があるとのことでした! まぁ~西宮城と合わせて居城していた […]
西宮城の感想 西宮城は『西宮古墳』を利用した城だったと思われ、ちょうど嶋氏の居城だった椿井城と松永久秀の信貴山城の間の盆地に築かれた城です。椿井城もそうなのですが筒井氏の家臣だった嶋氏の城だったとされ、松永久秀が椿井城を奪った際にこの西宮城も奪われ支配されていたんじゃないかと思います。また、北側には下垣内(しもがいと)城が築かれており、西宮城と下垣内城の間には大きな谷間(人工なのだろうかぁぁぁ?) […]
岡崎土橋城の感想 詳しくはわかっていませんが、雑賀衆に土橋(つちはし)氏という武将がおり、土橋氏が築いた城なんじゃないかと云われているようです。 よって、岡崎土橋城は『おかざきつちはしじょう』って読むんだと思います( `ー´)ノ 行ってみましたが、『本願寺別院岡崎坊』が岡崎土橋城跡の可能性が高く、今では城らしい構造は残っていません。雑賀衆だし当時は『寺=城=居城』であったんではないかと思われます。 […]