お城

3/36ページ

本山城(高知県)

本山城の感想 いよいよ本山城・・・高知県(土佐国)です(^▽^)/ 本山城は本山氏の居城で、本山氏は清和源氏の流れを組む吉良氏の一族の八木氏とか、平家の流れを組む八木氏とかとも云われており、八木氏が土着しこの土地の『本山』を名乗ったともされています。全盛期は本山茂宗(梅慶)であり5千貫の領地を有してたと云われています。本山茂宗は土佐七雄の中では最も勢力が強力だったとされ、山深い土佐北部から出て経済 […]

白地城(徳島県)

白地城の感想 白地城は四国の中央部の山間地に立地し、西の境目峠を越えると伊予国に・・・北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐国に・・・東の吉野川を下っていくと徳島平野が広がる阿波国に・・・そして南の大歩危小歩危という難所を越えると土佐国に行ける、四国の中心地であることがよくわかります。調べてみると、白地城の大西氏は細川の流れでも小笠原(三好)の流れでもなく、白地の地の荘官だった近藤京帝が白地城を構え大西氏を名 […]

大西池田城 / 大西城 / 池田城(徳島県)

大西池田城 / 大西城 / 池田城の感想 大西池田城は、三好市池田の地にあったことから池田城、または、阿波国の最も西の地として大西と呼ばれており大西城とも云われていた様です。 承久の乱で武功を上げた小笠原長清が阿波国の守護となり、長清の息子の小笠原長経が守護代として入国し池田の地に大西城を築いたみたいです。大西池田城が位置する場所は、阿波国の最西端に位置する場所ですが、西に進めば讃岐国・伊予国、南 […]

芝生城(徳島県)

芝生城の感想 芝生城は『しぼうじょう』と呼びます!(o^―^o)ニコ 芝生城は三好長慶生誕の城で有名ですが、三好氏代々100年間も芝生城を居城とし勢力拡大を行ってきた城となります。三好氏は阿波国守護だった小笠原氏の小笠原義長が池田の大西城からこの地に移り住んできた時に、小笠原氏から三好氏を名乗ったため、この地と芝生城は『三好氏発祥の地』となったと云われています。(所説あるみたいですけどね???)三 […]

重清城(徳島県)

重清城の感想 重清城は1399年に小笠原長親によって築城された城と云われており、1577年に重清城の城主だった小笠原長政は、約25km離れた白地城の大西覚養の弟で、長宗我部元親に人質として出されていた大西頼包と中鳥城主の久米刑馬(川島城の川島氏と関係が深い一族とも云われているみたいです)に二人によって殺害され、一度、長宗我部に降り弟を人質に出したが三好氏に復帰し長宗我部氏を裏切ったため、長宗我部元 […]

岩倉城(徳島県)

岩倉城の感想 岩倉城は現在の徳島県美馬市にある城で近くには脇城もあり、この岩倉城と脇城とが連携し三好氏がこの一帯を強く支配をしていたことがわかる城ですね。。。(^▽^)岩倉城主で代表的なのは、三好長慶の叔父である三好笑岩(みよししょうがん/元々は三好康長と云い隠居して笑岩/咲岩と称したようですね)の城と云われており、戦国の動乱期は三好笑岩は近畿の織田政権・豊臣政権との駆け引きを展開する一方、この岩 […]

脇城 / 虎伏城(徳島県)

脇城 / 虎伏城の感想 脇城は三好長慶が築いた城であり、蜂須賀家政の頃は『阿波九城』のひとつとされた城なので城攻めしてみたのですが、実は後でよくよく調べてみると面白く不思議な城であったと思いました!((´∀`*))ヶラヶラ 元々は脇権守と云う武将が館を構えたのが最初らしいですね。1533年に三好長慶が阿波国の西側の防御のために脇城をあらためて築いたらしく、三河守兼則が城主として入城していたらしい。 […]

阿波 秋月城(徳島県)

阿波 秋月城の感想 ここではあえて『阿波』秋月城とします! 九州福岡にも秋月城があるので・・・(〃艸〃)ムフッ 秋月城は細川氏が本拠地を勝瑞城(勝瑞館)に移す前の居城と知られています。秋月城は阿波の秋月氏が細川和氏に居城を譲った城らしく、あらためて細川和氏が築城したのが『阿波秋月城』と云われています。また、建武の新政で武功があったので足利尊氏の推挙によって褒賞として阿波国の守護を任され(それまでは […]

郡城(徳島県)

郡城の感想 吉野川沿いをクルマで走っていると川土手沿いに見つけた城です。。。 郡城だそうです! 郡城は柿原氏が築城されたと云われていますが、石碑には原田孫四郎がこの地で築城したとされたとなっています。郡城自体は吉野川の河川敷にありその昔は違ったのかもしれませんが、今は河川工事もすすみ原形を残していないものだと思われ、石碑が過去の存在を示しているだけでした。 郡城画像ギャラリー 郡城情報 築 城 不 […]

上桜城(徳島県)

上桜城の感想 吉野川沿いの四国山脈の北側に位置し、標高142mの山に築かれた山城が『上桜城』です。吉野川沿いに築かれた川島城からは約1㎞の場所に位置しており、上桜城が落城してから川島城が築かれたことからも、この辺一帯が当時の国政において重要な場所だったことがわかりますね!また、上桜城の城主は篠原長房で、篠原長房は三好長慶の弟三好実休の家臣で、三好長慶・実休と共に畿内を転戦し成果を上げていた勇将であ […]

1 3 36