勝賀城(香川県)
勝賀城の感想 勝賀城(かつがじょう)は1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦功をあげた、香西資村(藤原資村)が標高365mの勝賀山山頂に中世山城を築き詰城とし、東麓に平時の居城である佐料城(館)を築いて勝賀城は本城とした様です。因みに・・・藤原資村(すけむら)が讃岐国香川郡綾南条に入国した際に、この地名をとって『香西こうざい)氏』を名乗るようになったみたいですね(`・ω・´)ゞ 南北朝時代 […]
お城の中で山間部や山頂部に築かれた山城一覧。訪問した記事を表示しています。
勝賀城の感想 勝賀城(かつがじょう)は1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)で戦功をあげた、香西資村(藤原資村)が標高365mの勝賀山山頂に中世山城を築き詰城とし、東麓に平時の居城である佐料城(館)を築いて勝賀城は本城とした様です。因みに・・・藤原資村(すけむら)が讃岐国香川郡綾南条に入国した際に、この地名をとって『香西こうざい)氏』を名乗るようになったみたいですね(`・ω・´)ゞ 南北朝時代 […]
昼寝城の感想 昼寝城(ひるねじょう)は、香川県さぬき市多和の標高約280m(比高約130m)の要害に位置する中世山城です。へんてこな名前ですよねぇ~((´∀`))ケラケラ けど、城名とは裏腹にとても堅固な山城でした!!!! 一説には・・・周囲の地形があまりにも急峻で防御性能が高いため、『攻め寄せる敵など恐れるに足らず、城内で『昼寝』ができるほど安心な要害である』ということから名付けられたという話も […]
虎丸城/虎丸山城の感想 虎丸城は、讃岐国東部(現在の香川県東かがわ市)の標高約415mの虎丸山山頂に築かれた山城です。阿波国と讃岐国を結ぶ交通の要衝に位置し、戦国時代の「三好一族の讃岐支配」や『長宗我部元親の四国統一』をめぐる激動の舞台となった重要な山城です( `ー´)ノ 築城年は不明であるが寅年に築城されたためこの名を付けたとの説があります。築城者は寒川光員(さんがわ みつかず)あるいはその一族 […]
古館/一栗城 古城の感想 たぶんなんですが・・・ここが、一栗放牛(いちくりほうぎゅう)が築いたとされる古館がここだと思います(; ・`д・´)!? たまたま古館八幡神社の前に住んでいる方にお会いでき、いろいろとお話を聞いていたら(殆どが神社の説明でしたが・・・)、最初に(一栗城を)築いたのはここだよ的なお話があったので、後々調べてみてここが『古館』と呼ばれる一栗放牛が築いた城/館だったんじゃないか […]
一栗城の感想 大失態をしてしまいました・・・( ノД`)シクシク… 一栗城に訪問した際に、この一栗城の案内板を見て『ここに館があったのかな?』って勝手に思ってしまい周辺をパシリ!!! その後撤退してしまいました(´;ω;`)ウッ…後で調べてみたら、この案内板の裏山にそびえる比高60mほどの山稜に築かれた山城だった様です。 一栗城は大崎氏の重臣で岩手沢城(岩出山城)の城主だった氏家氏の一族の一栗(い […]
岩谷堂城の感想 岩谷堂城(いわやどうじょう)は平安時代にこの場所に藤原経清・清衡が館を構えたのが始まりとされているみたいです。 近くに豊田館があり、そこが藤原経清・清衡の居城と言われてますが、どういう関係なんですかね?豊田館は平城っぽいのでこちらが詰城なのか。時代的に平安時代ってそんなことしてたのか?うーん。謎ですねー 実際に城として使われていたのがわかっているのは、南北朝時代に葛西氏の一族だった […]
千石城/松山城の感想 千石城の築城年代はよくわかっていないみたいですが、鎌倉時代頃に遠藤氏によって築かれたと云われています。 遠藤氏は藤原南家の流れを汲む文覚上人(遠藤盛遠)の後裔らしく、遠藤盛継が鎌倉公方足利満兼から志田郡・玉造郡・加美郡の郡奉行に任ぜられ、1401年に陸奥国へ下向したことに始まると云われています。因みに・・・遠藤氏の元々の祖は千葉氏らしく有名なのは美濃国の遠藤氏もありますが、鎌 […]
岩出山城/岩手沢城/岩出山要害/臥牛城の感想 岩出山城は伊達政宗が米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなり入城した城として有名です。もともと岩出山城は岩手沢城と呼ばれており、足利一門であり奥州探題(おうしゅうたんだい)であった大崎氏の家臣氏家氏の城だった様で、伊達政宗が移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康が岩手沢城に約40日滞在して、城の縄張りや改修工事を行った後で伊達政宗に引き渡 […]
更木城/八幡館の感想 更木城(さらきじょう)または八幡館(はちまんだて)と読みます。現在はしらゆり公園となっているあたりにあったお城とされています。実際に城跡までは登れないです。 お城の詳細な築城時期などは不明ですが、室町時代ごろの和賀氏が二子城に移るまで本城としていたと言われているそうです。和賀氏領内の北上川東部では最大の館跡で、この城の中に和賀氏家臣だった小原氏の安俵館(あひょうだて)と多田氏 […]
花巻城/鳥谷ヶ崎城の感想 花巻城は元々「鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)」と呼ばれていて、稗貫氏(ひえぬきし)の居城でした。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置で稗貫氏が小田原征伐に参加しなかったことから所領を没収されて滅亡。その後、南部氏の城になり、家臣の北秀愛(きたひでちか)が城代となったことで、花巻城と呼ばれるようになります。花巻城としては1591年に築城となっており、1869年に廃城になったとのこ […]