- 2025.10.19
- 入場料無料,
内城(鹿児島県)
内城の感想 内城は戦国時代のお城としては珍しく平城であまり戦闘のことは考えていなかったお城と思われます。しかも島津家として50年間も居城にしていたお城と考えると違う意味で島津家の凄さがわかる気がします。内城は島津家の第十五代当主「島津貴久」によって1550年に築城されたお城になります。島津貴久は有名な島津4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父親になります。この4兄弟があるのも貴久の活躍があってこそで […]
日本全国のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
内城の感想 内城は戦国時代のお城としては珍しく平城であまり戦闘のことは考えていなかったお城と思われます。しかも島津家として50年間も居城にしていたお城と考えると違う意味で島津家の凄さがわかる気がします。内城は島津家の第十五代当主「島津貴久」によって1550年に築城されたお城になります。島津貴久は有名な島津4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の父親になります。この4兄弟があるのも貴久の活躍があってこそで […]
帖佐地頭仮屋跡の感想 帖佐地頭仮屋とは、江戸時代に地頭という藩から役人が派遣されてきてその人たちが政務を行なった場所を「地頭仮屋」と呼ぶみたいです。帖佐地頭仮屋においては島津藩としての派遣というよりは越前島津藩の領主もしくは家臣が地頭として政務を行なっていたようです。現在の帖佐地頭仮屋は帖佐小学校になっており、遺構らしきものは残っていないようです。 この地頭仮屋(帖佐小学校)の横の道を進んでいくと […]
平松城の感想 平松城は蒲生氏が敗れた後に島津義弘が岩剣城の在番を任されて入りますが、岩剣城が山城で普段の生活に使うには厳しい場所にあったために、麓にこの平松城を建てました。お城の築城としては1554年ごろかと思われますが、島津義弘が平松城(屋形)を居館としたのは1605年ごろから1615年ごろまでとされています。1607年に島津義弘の夫人がこの場所で亡くなられているとのことです。島津義弘はその後、 […]
弓木城の感想 弓木城は丹後国(現在の京都府与謝野町岩滝)にあり、鎌倉時代の末期頃に稲富氏が築いたことから始まったとされいるみたいですね。稲富氏は元々伊勢平氏の流れを組む山田氏だった様で、丹後国に侵攻した際にこの稲富姓を名乗り土着したようです。室町時代になり足利一門の一色氏が丹後国の守護大名となるとそれに従い家臣として務めていた様です。 戦国時代に入ると室町幕府四職筆頭格だった一色家当主の一色義定が […]
山名氏発祥の地の感想 前にも書きましたが・・・笑清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがされており、山名義範から義節→義国→重村→義長→義俊→政氏→時氏・・・っと八代にわたって居城がここ高臺寺(高台寺)にありました♪山名時氏の時に足利尊氏に従い京都六破羅攻撃のため西国に向かい、その後、山名時氏は伯耆国の守護 […]
山名館跡の感想 清和源氏の流れで新田義重の子(庶子)義範が上野国碓氷郡八幡荘の山名郷を与えられたことから、山名を名乗る様になり山名義範を名乗ったのがはじめとされるみたいです(o^―^o)ニコ その山名義範がこの現在の高臺寺(高台寺)に館を構えたのが始まりらしく、山名義範は源頼朝の御家人として兵て討伐にも源義経に従い一ノ谷の戦いで活躍し、清和源氏受領六人の筆頭として『伊豆守』に任命されるなどしたみた […]
鳥取城 / 久松城 / 久松山城の感想 鳥取城は1532年~1555年頃に山名氏によって築かれたと云われ、標高263mの久松山の山頂(って云うよりは山全体!?)に築かれた山城です。鳥取城って云いますが、久松山に城が築かれたことから『久松城(きゅうしょうじょう)』『久松山城(きゅうしょうざんじょう)』という別名もあります。ただ、今の鳥取城は江戸時代に入ってから池田輝政の孫の池田光政が鳥取藩32万石の […]
吉田松尾城の感想 鹿児島市にある方の松尾城になります。鹿児島県内には他にも複数松尾城があるのでこちらは吉田松尾城と呼ばせていただきます。吉田松尾城は吉田氏が居城にしたことで吉田城とも呼ばれ、松尾山に築城されたので松尾城とも呼ばれるみたいです。案内板などはどれも松尾城で統一されていますが、わかりづらいですね。築城は吉田清正が応永年間の後半に築城したとされているので、1420年前後くらいかと思われます […]
蒲生城の感想 蒲生城(かもうじょう)もしくは別名で竜ヶ城(りゅうがじょう)と呼びます。鹿児島県の姶良市にあるお城で、なんと築城は1123年で平安時代に築城されたお城になります。蒲生城は蒲生氏のお城で、初代蒲生氏の蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が築城したと言われております。舜清は蒲生・吉田の惣領職として京都からやってきた人物のようです。その後、蒲生城は蒲生氏の居城として戦国時代の155 […]
淡河城の感想 淡河城と書いて「おうごじょう」と読みます。淡河城の築城は鎌倉時代に執権だった北条氏の末裔、北条時治が兵庫(淡河庄)に来たことに始まるとのことです。この時治が土地の淡河庄から淡河氏(おうごし)を名乗るようになり淡河氏の家系が始まりますが、淡河氏の家紋は北条氏の「三つ鱗」が使われているので北条氏の家系と関係があるというのが想像つきますね。淡河城の築城は鎌倉時代1222年でその後、1339 […]