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日本全国のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。

増田城/土肥城/土肥館(秋田県)

増田城/土肥城/土肥館の感想 増田城は小笠原義冬が1362年~1367年頃に築城したと云われており、その際に愛娘を生贄(たぶん人柱)したと云う悲話が残されている城です。1458年に小笠原氏は小野寺氏との戦いに負け仙北郡の楢岡城に逃げ去ったため、増田城は小野寺氏の家臣だった土肥氏(土肥頼景)が川連大館の亀岡城より移り入城したため、増田城は土肥城とか土肥館(どいだて)とかと呼ばれるようになった様ですね […]

今泉城(新潟県)

今泉城の感想 今泉城は平城で、城って云うか『館(たて)』の方がイメージしやすいのかもしれませんね!現在の大和神社を中心とした周辺だと思われます。南北朝時代に南朝方の村山義信・隆義親子が築き居城としたと云われています。その後は上杉謙信の跡目を争った『御館の乱(上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の息子)が争った)』の際に、上杉景虎が敗れ御館から鮫ヶ尾城へ逃れる途中にこの今泉城に立ち寄ったと云われています。 […]

箕冠城/箕冠山城(新潟県)

箕冠城/箕冠山城の感想 日本(漢字)って難しいですなぇ~(=゚ω゚)ノ箕冠城(みかぶりじょう)と読みます!!! 箕冠城は越後国にあり上杉謙信の居城の春日山城や高田城の直ぐ近く、信濃国から越後国に攻められるときの越後国の入口を向かいの山城である鳥坂城と共に抑える非常に重要な位置づけにある山城です。 箕冠城は越後国守護の上杉家の重臣大熊氏が守る重要な城で、上杉謙信の時代には大熊朝秀(おおくまともひで) […]

十二丁目城/獅子ヶ鼻城(岩手県)

十二丁目城/獅子ヶ鼻城の感想 十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)と読みます。そのまま読むんだ笑築城時期は不明ですが、稗貫氏(ひえぬきし)の家臣だった伊藤氏が十二丁目氏を名乗って居城にしたとのことです。1590年の奥州仕置によって稗貫氏、十二丁目氏も滅ぼされて寺林城同様に浅野氏が十二丁目城に入りますが、1592年に廃城になったとのことです。 現在の城跡ですが、遺構は水田になってしまっており残ってな […]

寺林城(岩手県)

寺林城の感想 寺林城(てらばやしじょう)は鎌倉時代、1279年に河野通重(かわのみちしげ)によって築城されたと言われています。名前だけ見た時に甲斐の武田家臣の河野通重が最後は岩手県に来ていたのか。と思いましたが同名の別の武将でしたね。ただ、伊予国(愛媛県)の河野氏の家系であることはどちらの武将も変わらないので、同じ家系の別時代の同姓同名の武将ということになります。ややこしい笑 でも、鎌倉時代に伊予 […]

善知鳥館(岩手県)

善知鳥館の感想 善知鳥館(うとうだてあと)と読みます。難しい😓 善知鳥館は安倍貞任(あべのさだとう)の家臣。善知鳥文治安方(うとうぶんじやすかた)の居館跡と伝えられているそうです。つまり安倍氏の館ということになるかと思います。 町のHPを見ると、「昭和38年6月、紫波町教育委員会が主体となり、岩手大学板橋源教授を主任調査員として発掘調査を実施した結果、この遺跡は、安倍氏の柵か、もし […]

樋爪館(岩手県)

樋爪館の感想 樋爪館(はしづめだて)は平安時代末ごろに藤原清衡(ふじわらのきよひら)の四男である藤原清綱(ふじわらのきよつな)がこの地をもらったことで、樋爪氏を名乗るようになり、築いた館とされています。ここが重要拠点だった理由はこの地で産出する砂金等を流通させる北方交易の拠点にもなっていたとのことで、金以外にも馬、漆、米などを主に取引していたようです。 樋爪館は1189年の源頼朝による奥州藤原氏討 […]

北条館遺跡(岩手県)

北条館遺跡の感想 北条館遺跡(ほうじょうだていせき)は鎌倉時代の館跡になります。発掘調査で平安時代のかわらけや土師器、中世の陶磁器などが出土しているみたいです。現在は埋め戻されているので、土塁と堀跡が見られる程度ですが、城館跡の雰囲気は感じ取れるくらいの遺構は残っています。 誰の館跡なのかははっきりとわかっていないそうですが、樋爪氏とも北条氏の末裔ともいわれているそうですが、町のHPでは天正20年 […]

高水寺城/斯波御所/郡山城(岩手県)

高水寺城/斯波御所/郡山城の感想 名門奥州斯波氏の居城、高水寺城(こうすいじじょう)です。斯波御所とも言われます。高水寺城は1335年に奥州管領として斯波家長がこの地に来た時に築城されたと言われています。そこから約400年間もの間、斯波氏の居城として使用されます。そんな名門だった斯波氏も戦国時代に入り、南部氏が力をつけてくると、南部氏から養子として中野康実を送りこまれます。これ以降、斯波家の乗っ取 […]

久々館(岩手県)

久々館の感想 たまたま見つけた久々館遺跡の標柱。どんな館跡なのかと車を止めて見て見ましたが藪に覆われて遺構などはわからず。また、道路整備の際に作られたもののようで関係ないみたいです。 久々館(くくだて)は書物など資料には出てこないようで伝承とかも謎のようですが、状況から判別して中世から近世にかけての方形の居館跡とのことです。現在は中央部を南北に通る県道盛岡石鳥谷線によって東西に分断されてしまってい […]

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