佐野城(栃木県)
佐野城の感想 佐野城は佐野氏のお城で、佐野氏は平安時代からずっと唐沢山城を居城にしてきましたが、1602年に平地の丘陵であるこの佐野城を築城し居城を移しました。この唐沢山城から移った理由には本当か定かではありませんが、江戸で大火が起こり、その火事が唐沢山城から見えたとのことで早馬で江戸に馳せ参じたところ、家康から江戸を見下ろす場所に城を建てるなとのお達しが出て佐野城に移ることになったとの逸話があり […]
日本全国のお城やその武将などにまつわる場所を表示しています。
佐野城の感想 佐野城は佐野氏のお城で、佐野氏は平安時代からずっと唐沢山城を居城にしてきましたが、1602年に平地の丘陵であるこの佐野城を築城し居城を移しました。この唐沢山城から移った理由には本当か定かではありませんが、江戸で大火が起こり、その火事が唐沢山城から見えたとのことで早馬で江戸に馳せ参じたところ、家康から江戸を見下ろす場所に城を建てるなとのお達しが出て佐野城に移ることになったとの逸話があり […]
椿田城の感想 椿田城は佐野小太郎盛綱の時代に、客将として招かれた福地丹波守仲久が佐野の地に居住し、その後、仲久から四代後になる福地出羽守寧久の時に、椿田城を築いたとのことです。(1560年)椿田城は唐沢山城の南端の出城として構築されたお城で、川越城・忍城・館林城の三城の抑えとして築かれたとのことです。椿田城は1614年佐野氏の改易とともに廃城となったとのことです。現在の椿田城のあった範囲は水田にな […]
藤橋城の感想 藤橋城は築城はいつかはわかっていませんが、平山虎吉や藤橋小三郎の居城跡と伝わっています。北条氏照の家臣と云われていますが、そもそも平山氏は武蔵七党のひとつである西党の出身で、源平合戦において名を馳せた平山季重の後裔であると云われています。戦国時代に平山氏の宗家は檜原城を居城とし分流が藤橋城を居城としたとか・・・らしいです。(^▽^)/ ここは東京都青梅市になるのですが、藤橋城に来る […]
勝沼城 / 師岡城の感想 勝沼城は現在の東京都青梅市にある平山城で、鎌倉時代から続く名族三田氏が築いた城と云われています。同じ国人で勢力のあった今井氏が衰退すると三田氏がこの辺一帯に勢力を拡大し国人としては大きくなり、鎌倉時代から約250年以上ここを居城とし三田氏が勢力を持ちますが、小田原から勢力拡大する後北条氏が勝沼城を落城させると、三田氏はさらに西側(山奥)へ約8kmの場所に辛垣城を築き対抗し […]
今井城の感想 現在の東京都青梅市の住宅地の中にあるのが今回城攻めしてみた『今井城』です。今井城は今井氏の居城で、今井氏は『武蔵七党』と云われる『児玉党』に属していたとされます。(児玉党は現在の埼玉県本庄市を中心とする党で、武蔵国児玉郡(現在の埼玉県児玉郡)から秩父~大里~入間郡および上野国南部あたりに勢力があった一族だったとされています。1416年に起きた『上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん) […]
土肥城の感想 『土肥城』は相模国の有力豪族中村党の中の一族で土肥郷(現在の湯河原町)を本拠としていた土肥実平(どいさねひら)が築いた城とされています。土肥実平は『桓武平氏良文流中村宗平の次男が相模国土肥荘に土地を持ち『土肥氏』を名乗ったため『相模土肥氏』の祖となります・・・私が土肥城の土肥氏が大好きなのは、尊敬する『毛利元就公』の三男の小早川隆景が養子に入った家で、この土肥実平の子の土肥 遠平(ど […]
茅ヶ崎城の感想 茅ヶ崎と聞けば・・・『サザン』『夏』『海岸線』的なイメージじゃないですか!(〃艸〃)ムフッなのに!なのに!ですが・・・めちゃくちゃ内陸側(現在の港北ニュータウン近く)で見つけたのがこの城です・・・『茅ヶ崎城』です(^▽^)/~♪♪♪ 現在は公園になっていますが、行ってみて( ゚Д゚)びっくり!?なかなかガチでいけている城跡でしたよ!!!こんな都心っていうか住宅地で最高でした! 行っ […]
益子古城の感想 益子古城は益子氏のお城で、高館城(たかだてじょう)、西明寺城(さいみょうじじょう)とも呼ばれています。実際には高館城(西明寺城)と呼ばれている高館山の山頂にあるお城は詰城で平時はこの益子古城で生活していたものと思われております。益子城は南北朝時代には南朝方のお城として北朝方の攻撃を退け続けましたが1352年に関東六城の中で最後に落城したとのことです。ちなみに南北朝時代の関東六城とは […]
阿曽沼城の感想 阿曽沼氏は藤姓足利氏の一族で、室町時代などに将軍家だった源姓足利氏とは違う氏族なので注意が必要です。阿曽沼氏は阿曽沼四郎広綱を祖としてこの阿曽沼城のあるこの地域を所領したことで阿曽沼を名乗るようになります。源平合戦の際に本家は平家側に付いたのに対して阿曽沼氏は源氏である源頼朝側について戦い鎌倉幕府の御家人になります。阿曽沼氏は奥州合戦にも参加し、奥州藤原氏を倒した功績で現在の岩手県 […]
松平城の感想 この松平城は佐竹氏の支流、山入氏のお城の一つで、山入義郷が応永年間(1394年〜1428年)に築いたお城とされています。山入義郷は山入与義(ともよし)の長男とのことで、山入氏を与義から継いだとされているようですが、このこと以外ほぼどのような人物だったか記録が残っていないようです。ちなみに、山入氏は佐竹氏の支流に当たる一族ですが、宗家の佐竹氏とは仲が悪く対立していく一族になります。宗家 […]