浦城(秋田県)
浦城の感想 浦城は現在の秋田県南秋田郡八郎潟町にある山城で浦城は三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)の居城でした。三浦氏は現在の神奈川県三浦半島の衣笠城に居住し『三浦平太』と姓を改めたのが三浦家(こっちの方が有名ですね)の元祖となった一族で、この三浦家に関係する三浦の名前が出てくるのは今から約450年前。始祖であるとなったのが三浦兵庫頭盛永(みうらひょうごのかみもりなが)でみたいです( […]
浦城の感想 浦城は現在の秋田県南秋田郡八郎潟町にある山城で浦城は三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)の居城でした。三浦氏は現在の神奈川県三浦半島の衣笠城に居住し『三浦平太』と姓を改めたのが三浦家(こっちの方が有名ですね)の元祖となった一族で、この三浦家に関係する三浦の名前が出てくるのは今から約450年前。始祖であるとなったのが三浦兵庫頭盛永(みうらひょうごのかみもりなが)でみたいです( […]
脇本城の感想 脇本城は知る人ぞ知る!男鹿半島から日本海を臨む東日本屈指の規模を誇る山城で、その広さは150haに及ぶ想像もつかないぐらいの大規模な山城で、標高約100mの丘陵を活かし整備した土づくりの城で石垣は存在していません。私が脇本城を知ったのは安東愛季(あんどうちかすえ)の存在で、この脇本城を居城にしようと改築を行っていたみたいです。 安東氏は元々安部氏といい、その昔、平安時代の頃は陸奥国( […]
和田山城の感想 1506年頃に一乗谷城の越前守護朝倉貞景に追われた南加賀国一向衆の和田坊超勝寺が築いた城とされ、その後、大小の加賀国一向衆同士の小競り合いから、本願寺が和田坊超勝寺側に付き本願寺一向衆側として確立された様です。この辺は古墳が多く(前方後円墳や前方後方墳や円墳など、この辺一帯にも40数基もの古墳が築かれています!凄いですなぁ~Σ(・□・;) 和田山城も古墳を利用した平山城で、手取川南 […]
三増合戦場跡の感想 武田軍と北条軍が戦った三増合戦の場所になります。元々は今川・武田・北条の三国同盟を組んでいましたが、1560年桶狭間の戦いで今川義元が敗れ武田信玄が三国同盟を破棄して1568年今川領への侵攻を始めます。武田信玄は徳川家康と今川領の分割を条件に手を結びさすがに勝てないとなった今川氏真が1569年掛川城を開城し今川家は滅亡します。今川氏真は小田原北条氏の元に逃げて最終的には徳川家に […]
山口玄蕃頭宗永公之碑の感想 大聖寺城の城内本丸の場所に『山口玄蕃頭宗永公之碑』がありました(`・ω・´)ゞ かつての大聖寺城主の山口宗永(玄蕃頭)とその息子・修弘(むねひろ)の最期を追悼し、その忠義を後世に伝えるために建てられた顕彰碑(慰霊碑)だそうです。 山口宗永は、元々は織田家臣の丹羽長秀に仕え、のちに豊臣秀吉の直臣(側近)として山城国の宇治田原城や近江国の大石淀城の城主にもなり重用された武将 […]
大聖寺城 / 錦城の感想 大聖寺(だいしょうじ)城は標高約67mの錦城山(古城山)に築かれた城で、築城の時期ははっきりしていませんが鎌倉時代に狩野氏によって築かれたと云われています。昔からあった城なのでモロモロ歴史はあった、例えば1335年に名越(なごえ)時兼(北条時兼)が南下し攻め込んできた時には狩野一族が大聖寺城に籠りこれを撃退したとの記録が残っていたり、1337年には新田義貞に加担した敷地伊 […]
今江城 / 御幸塚城の感想 今江城は御幸塚(みゆきづか)城とも云い、花山法皇の御幸があったことが由来しているからだそうです。。。築城は不明ですが富樫氏が加賀国の守護大名になる前の富樫泰高の頃に今江城を築いたのではないかと云われています。 1488年に長亨の一揆(高尾城攻防戦)が勃発すると、加賀一向一揆勢に対し富樫泰高はこの今江城に籠城したと云われています。 富樫政親の代になり富樫氏が加賀国守護とな […]
小松城 / 芦城 / 小松の浮城の感想 小松城は先にレポート(城攻めを断念しましたが( ノД`)シクシク…)した、舟岡城の城主若林長門守が築いたと云われています。加賀国一向一揆衆と共に1576年に築かれた城です! 1580年に柴田勝家攻め込んだ際に落城させ、その後、佐久間政盛が1582年に加賀国に侵攻し平定しました。1583年に柴田勝家と羽柴秀吉が激突!!!!(# ゚Д゚)!!!賤ヶ岳の戦い(しず […]
二曲城 / 府峠城の感想 『二曲』って書いて『ふとげ』って読みます!二曲城です(^◇^) 二曲城跡は、鳥越城の大日川対岸に位置していて大日川流域や小松方面の支城として築城されたようですね。この地は白山麓門徒の指導者であった鈴木氏の本拠であったとされ、鈴木氏の館の背後にある詰城であったんじゃないかと云われているみたいですねぇ(o^―^o)ニコその後、いつかわかりませんが白山麓本願寺門徒の長として鈴木 […]
鳥越城 / 別宮城の感想 手取川と大日川の合流点に位置する山の先端部を利用して築かれています。丘陵地ではありますが標高は312mの場所に主郭部が築かれており、1573年頃築かれたと思われますが築城者は不明です。城主としては鈴木出羽守と云う者が城主として入城していたとされています。城主の鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、1580年に織田信長配下柴田 […]