湯築城/湯月城の感想
愛媛県は『名城!松山城!』だけじゃない!!!(。◕ˇдˇ◕。)/
愛媛県松山市の道後温泉に隣接する湯築城(ゆづきじょう)は、伊予国の守護大名である河野(こうの)氏が約250年にわたり本拠とした水濠と土塁に囲まれた平山城です。
湯築城は1335年頃に守護大名であった伊予国の河野通盛(こうのみちもり)によって築かれたと云われています。この河野氏は越智氏(おちし)の流れを汲む伊予国の古代名族で、平安時代末期だった当主の河野通信(みちのぶ)は源頼朝の挙兵に応じ、源平合戦(治承・寿永の乱)で河野水軍を率いて大活躍しました。壇ノ浦の戦いなどで輝かしい戦功を挙げた通信は、頼朝から信頼を得て伊予国の有力豪族へと躍進します。
しかし、その後の『承久の乱(1221年)』で後鳥羽上皇側(朝廷側)についたため一族は一時壊滅的な打撃を受けました。河野通信の孫である河野通有(みちあり)が『弘安の役(1281年・元寇)』で志賀島沖の合戦などで蒙古軍を相手に目ざましい武功を挙げ、河野家を劇的に再興させ復活させましたヽ(^。^)ノ
河野氏は元々風早郡(現在の松山市北条周辺の高縄山)の『高縄山城』」などを拠点としていましたがかなり山奥だったため、政治・経済・交通の利便性が高く、道後温泉のすぐ脇という戦略的・象徴的立地である湯築の地(現在の湯築城:道後公園)へ拠点を移したと思われます。
1585年に羽柴(豊臣)秀吉が四国平定(四国征伐)を開始します。 既に羽柴(豊臣)氏側に付いていた毛利家の小早川隆景・吉川元春は、毛利軍の大軍(数万)を率いて瀬戸内海を渡って東予に進軍してきます。当時の河野氏の当主は河野通直(かわのみちなお)でしたが、河野通直が家督を継承したころ河野氏はすでに衰退しきっていました。河野氏は大友氏や土佐一条氏、長宗我部氏と内応し反乱を起こしていた家臣の大野直道に手を焼いており、長宗我部元親と手を結んだ際には地蔵ヶ嶽城(たぶんですが現在の大洲城)に籠り追撃してくる河野軍を撃退するなどした様です。
そんなボロボロだった河野通直は毛利氏を頼り毛利輝元の姪(吉見広頼の娘)と婚姻し、河野氏と毛利氏の一体化がさらに強化される形となった勢力を保とうとしました。
そんな中、羽柴(豊臣)秀吉が攻めてきたんだからたまったもんじゃありません!?しかも一体化となった毛利家一族が先陣として攻め込んできます!?((+_+)) ある意味一族なんだから、さっさと毛利氏に従い秀吉にも取り次いでもらえばよかったのに、湯築城内では徹底抗戦を主張する将兵も多くいて家中をまとめきれない河野通直は決断を降せないまま籠城してしまいます。しかし、小早川隆景からの説得を受けた河野通直は約1か月間の籠城の末、圧倒的な兵力差と天下の趨勢を悟ったため無駄な流血と家臣・領民の犠牲を避ける決断を下し開城・降伏します。
降伏後、河野通直は領地を没収され、小早川隆景を頼って竹原(広島県竹原市)へ移住しましたが、わずか2年後の1587年、24歳(または26歳)の若さで病死しました。直系の子孫が絶えたことにより、鎌倉時代から数百年にわたり伊予国を治めた名門・河野氏はここに事実上滅亡しました。
湯築城/湯月城画像ギャラリー
現在は道後公園として整備されており駐車場も完備し、非常に訪れやすい城跡となっています♪


二重の堀と土塁の美しさが魅力なんだと思います(*´▽`*)
水濠や圧倒的な高さを誇る土塁がほぼ完璧な形で残っており、中世城郭の遺構として全国的にも極めて貴重な史跡ですよねぇ~

説明版



搦手門


搦手門の跡ですね!!!ここからスタートしてみます♪




武家屋敷
湯築城資料館でも楽しめます♪ 進んでいくと発掘調査に基づいて、城内には武家屋敷(土壁の家)や庭園、土塀などが正確に復元されており、中世の武士の暮らしを肌で体感することができますね(^◇^)














内堀
城内にも築かれている土塁と内堀がきれいな状態で残っていますので美しさを楽しめます♪♪
























土杭(ゴミ捨て穴)
当時に『ゴミ捨て場』も設置されていたんですね~ヾ(≧▽≦)ノ




遮蔽土塁
『遮蔽(しゃへい)土塁』初めて知りました(@_@) 敵の攻撃や視線を『遮る』ことを主目的として築かれた土塁みたいなのです。




ここから本丸を目指してみます( `ー´)ノ





















やっぱり岩の城ですなぁ~(*´▽`*) 大好きなパターンです~♪







本丸(本壇)
本丸・展望台に付きました~(`・ω・´)ゞ

【動画】 展望台
【動画】 展望台からの風景ですヾ(≧▽≦)ノ 楽しんでください~♪
松山城も眺めれて、低い山ではありますが松山市内もしっかり見渡せますね~














本丸っていうか『本壇(ほんだん)』跡ですね!
ここが一番高い場所にあり西側の海まで見渡せるようです。当時『本壇』と呼ばれていたのかは全くわかりませんが、『本壇』とは江戸時代に云われるようになった様ですね。









杉ノ壇
次に・・・『杉ノ壇』ですね!!!



湯築城の本壇から降っていきます( `ー´)ノ

















いやいや・・・なかなか・・・大満足でした(●´ω`●)




湯築城/湯月城情報
| 築 城 | 建武年間(1334年~1338年) |
| 城 主 | 河野氏 |
| 住 所 | 愛媛県松山市道後公園1 |
| 種 別 | 平山城 |
| 廃 城 | 1587年 |
| 特 徴 | 国指定史跡、日本100名城 ※日本100名城スタンプは湯築城資料館で押せます。(休館日は資料館玄関にて押せます。) |
| 入場料 | 無料(湯築城資料館も無料) |
| 営業時間 | 湯築城資料館:9:00~17:00 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日まで |
| 駐車場 | 有り(有料) |