増尾十郎兼房戦死の跡の感想
源義経 衣川古戦場跡のすぐ近くに増尾十郎兼房戦死の跡の標柱が立っていました。源義経の最期の場所なので、創作の人物ではあるものの存在していたら同じこの場所で亡くなっているとのことで建てられているのだと思います。
軍記物語「義経記」に登場する源義経の従臣ですが、創作の中の人物であり、実在した人物ではないとされています。また、増尾十郎と十郎権頭兼房(じゅうろうごんのかみかねふさ)の二人が同一人物として扱われてしまいこのような標柱になっているようです。
あまり詳しくないので、Wikipediaなどをみると十郎権頭兼房は「源義経の北の方(正室)である久我大臣の姫の守り役で、元は久我大臣に仕えた63歳の武士。義経の都落ちに北の方と共に付き従う。平泉高舘での義経最期の場面では、北の方とその子である5歳の若君・亀鶴御前と生後7日の姫君を自害させ、義経の自害を見届けて高舘に火をかける。巻八「兼房が最期の事」では敵将長崎太郎を切り倒し、その弟次郎を小脇に抱えて炎に飛び込み壮絶な最期を遂げた。」と書かれていました。
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増尾十郎兼房戦死の跡情報
| 年 代 | 1189年没 |
| 住 所 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉坂下10−7 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 有り(有料)中尊寺の駐車場に停められます。 |
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