河野通清公供養塔の感想
そもそも河野通清ってどんな人かと云えば、平安時代末期に伊予国の豪族であった越智氏の流れを汲む河野通清は、代々受け継いだ風早の地高縄山城を拠点に勢力を誇っていました。河野家の当主が代々その名に用いる『通』の字(通字)を本格的に定着させ、河野氏を歴史の表舞台へ押し上げた実質的な開山祖です。
1180年に伊豆国で源頼朝が平家打倒の挙兵を果たすと、河野通清はその令旨(呼びかけ)に呼応します!!!( `ー´)ノ 周囲の平家配下の武士たちが日和見を決め込むなか、『義において平家の不道に屈せず』と、四国の伊予国で真っ先に反平家(打倒平家!)の狼煙(のろし)を上げました。 河野通清は伊予の平家代官を即座に追放し、一時的に伊予国全土を源氏旗のもとに統一するという快挙を成し遂げます。
その後は『山の神古戦場』で記載した通りで、山の神古戦場で壮絶なが割腹自刃したした。現在の松山市小川の山裾に佇む『河野通清公供養塔』は、地元住民や河野氏の遺徳を慕う人々によって今も手厚く供養されていました。
『河野通清公供養塔』から瀬戸内海が見渡せる場所にあります。単なる過去の敗北の地ではなく、父の犠牲を糧に立ち上がった河野通信が、のちに屋島・壇ノ浦の合戦で源義経らを助けて平家を滅ぼし、源頼朝から『日本第一の功臣』と称えられる大武士団へと飛躍していった『誓いと再生の聖地』だったんじゃないかと個人的に妄想してしまいます(。◕ˇдˇ◕。)/
河野通清公供養塔画像ギャラリー




『山の神古戦場』と『河野一門之供養塔』を通り過ぎさらに登って行きます(`・ω・´)ゞ





ありました!!!城壁に囲まれていますね~<(`^´)>






『河野通清公供養塔』です!!!





きれいな瀬戸内海を見渡せます・・・場所からして大切にされていることがよくわかります!瀬戸内海の魅力は本当に素晴らしいと思いますね。


河野通清公供養塔情報
| 年 代 | 1181年没 |
| 住 所 | 愛媛県松山市小川乙323 |
| 種 別 | 史跡 |
| 入場料 | 無料 |
| 営業時間 | – |
| 駐車場 | 無し |