山の神古戦場(愛媛県)

山の神古戦場(愛媛県)

山の神古戦場の感想

1180年に源頼朝の平家打倒の令旨に呼応した河野通清は、息子の河野通信とともに高縄山城の麓で挙兵し伊予国を支配下に置きました。これに激怒した平家政権は、備後国の奴可入道西寂や阿波国の田口成良に命じて大軍を率いさせ伊予国に侵攻してきました。

当時、息子の河野通信は志度(香川県)方面へ出陣中で本拠を空けており、父の河野通清はわずかな兵を率いて高縄山城および粟井坂(現在の松山市小川周辺の山越えの要衝)で敵を迎え撃ちました。
河野通清は粟井坂の『山の神』付近の狭隘な地形を活かして善戦したものの、味方の中に寝返る者(返忠)が出たため陣形が崩れ包囲されてしまいます。最期は覚悟を決めた河野通清が敵陣の中へ突入し、凄惨な白兵戦の末に討ち死に(討滅)を遂げまいました。

因みに・・・父の河野通清の討死を知った息子の河野通信は激怒し、父の仇を討つために白石氏、牛淵氏、田窪氏らの諸将を結集して急ぎ引き返しまします! 河野通信は父を討ち取った備後国の奴可入道西寂を追撃して見事に生捕りとし、父の戦死地であるこの地で斬首して父の念願を果たって云われています( `ー´)ノ

山の神古戦場画像ギャラリー

国道196号線松山北条バイパス沿いの小さな山の中にありますが、入口がわからず発見するのはなかなか難しかったです!

山の神古戦場情報

年 代1179年〜1180年
住 所愛媛県松山市小川
種 別史跡
入場料無料
営業時間–
駐車場無し

山の神古戦場へのアクセス

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