藤原泰衡の首洗い井戸(岩手県)

藤原泰衡の首洗い井戸(岩手県)

藤原泰衡の首洗い井戸の感想

鎌倉時代、奥州藤原氏最後の当主(第4代)で、源義経を大将に頼朝と戦うことを目指しますが、結局は鎌倉幕府の圧力と朝廷を通じた討伐令に耐えられず義経を自害に追いやった武将になります。1189年、源頼朝から義経を匿ったことでお咎めを受けて幕府と戦うことになります。結局泰衡は負けて敗走するのですが、平泉から河田次郎に助けを求めて贄の柵(にえのさく)(現在の大館市)に逃げますが、河田次郎に裏切られて泰衡は討ち取られて最後を迎えます。
その泰衡の首級をこの井戸で洗ったという伝説が残っているそうです。

鎌倉幕府(頼朝)にとっては義経も奥州藤原氏も排除したかったのでそもそも泰衡を許すつもりはなかったんだろうなぁと思ってます。頼朝は義経を匿った大義で奥州征伐まで成し遂げらたことになりますね。

個人的には源頼朝は恩を仇で返すような振る舞いが多いので嫌いですねーo(`ω´ )o
大河ドラマの鎌倉殿の13人は好きですが笑

藤原泰衡の首洗い井戸画像ギャラリー

岩手山が綺麗に見えてました。このあと雲もすぐに無くなったのですが、殺したのは雲被ってました。。

藤原泰衡の首洗い井戸情報

年 代1189年
住 所岩手県紫波郡紫波町陣ケ岡平坊187
種 別史跡
特 徴町指定史跡
入場料無料
営業時間
駐車場無し

藤原泰衡の首洗い井戸へのアクセス

藤原泰衡の首洗い井戸レビュー

藤原泰衡の首洗い井戸についての皆さんの評価をお願いします。
藤原泰衡の首洗い井戸おすすめの理由や訪問時の感想などもご記入いただけると嬉しいです。

武将・大名カテゴリの最新記事