河野通清公供養塔(愛媛県)
河野通清公供養塔の感想 そもそも河野通清ってどんな人かと云えば、平安時代末期に伊予国の豪族であった越智氏の流れを汲む河野通清は、代々受け継いだ風早の地高縄山城を拠点に勢力を誇っていました。河野家の当主が代々その名に用いる『通』の字(通字)を本格的に定着させ、河野氏を歴史の表舞台へ押し上げた実質的な開山祖です。1180年に伊豆国で源頼朝が平家打倒の挙兵を果たすと、河野通清はその令旨(呼びかけ)に呼応 […]
河野通清公供養塔の感想 そもそも河野通清ってどんな人かと云えば、平安時代末期に伊予国の豪族であった越智氏の流れを汲む河野通清は、代々受け継いだ風早の地高縄山城を拠点に勢力を誇っていました。河野家の当主が代々その名に用いる『通』の字(通字)を本格的に定着させ、河野氏を歴史の表舞台へ押し上げた実質的な開山祖です。1180年に伊豆国で源頼朝が平家打倒の挙兵を果たすと、河野通清はその令旨(呼びかけ)に呼応 […]
河野一門之供養塔の感想 愛媛県松山市小川(旧風早郡・粟井坂)の山の神古戦場近くには、1181年の粟井坂の合戦で命を落とした河野一門の祖・河野通清(こうの みちきよ)とその一族・将兵を祀る供養碑・供養塔が大切に護られていました。 この『河野一門の供養塔』から登ったところに『河野通清公供養塔』があります(=゚ω゚)ノ 河野一門の供養塔画像ギャラリー 河野一門之供養塔情報 年 代 1181年 住 所 愛 […]
山の神古戦場の感想 1180年に源頼朝の平家打倒の令旨に呼応した河野通清は、息子の河野通信とともに高縄山城の麓で挙兵し伊予国を支配下に置きました。これに激怒した平家政権は、備後国の奴可入道西寂や阿波国の田口成良に命じて大軍を率いさせ伊予国に侵攻してきました。 当時、息子の河野通信は志度(香川県)方面へ出陣中で本拠を空けており、父の河野通清はわずかな兵を率いて高縄山城および粟井坂(現在の松山市小川周 […]