関東甲信

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札城(茨城県)

札城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第3弾!!!『札(ふだ)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさん […]

烟田城(茨城県)

烟田城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第2弾!!!『烟田(かまた)城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽ […]

小幡城(茨城県)

小幡城の感想 出会いは偶然でした・・・佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅうさんやかたと呼ぶみたい)』となり、鹿島・行方 […]

額田城(茨城県)

額田城の感想 額田(ぬかだ)城です。 額田城は太田城を佐竹氏に奪われ支配地域を変えられた、藤原通延の孫の通盛が小野崎の地で額田城を築いたとされ、藤原氏は小野崎氏を名乗っていた様で額田小野崎氏としてこの地域を支配していた様で、佐竹の内紛にも関与し独立心の強い一族だった様です。(そりゃ~そうだよね!もともと支配していた太田を佐竹氏に追い出されて憎しみしかなかったと思うよ)佐竹氏の内乱に転じて混乱の中で […]

太田城 / 舞鶴城(茨城県)

太田城/舞鶴城の感想 たいした城跡も残ってはいませんが、私の中ではとてもとても行きたかった城跡で、今回とうとう念願が叶いました!!!! 佐竹義重の居城であり、1109年に藤原通延が築城したと云われており、新羅三郎義光の孫だった源昌義が戦功によりこの一帯の領することとなり地名から『佐竹』を名乗ったとされています。二代目の佐竹隆義が藤原通盛(通延の孫)を降し小野台地へ移し藤原氏から小野崎氏を名乗らせ、 […]

烏山城(栃木県)

烏山城の感想 烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市にある標高202mの八高山に築かれた山城で、『那須烏山市』の地名にある通り、源平の合戦際に『屋島の戦い』で平家側の舟の上に掲げた『扇の的』を射落とした『那須与一』の末裔であると云われているみたいです。鎌倉幕府創設期には、結城氏・佐竹氏と共に那須氏も『関東八屋形』と呼ばれていたが、途中、那須氏も『上那須家』と『下那須家』の二つに分裂してしま […]

川中島古戦場(長野県)

川中島古戦場の感想 上杉謙信 対 武田信玄の戦いで有名な川中島古戦場へ行ってきました。実際の戦いがあった場所ではないですし、毎回同じ場所で戦っていたわけでもないのでこの辺りで戦っていたと思って巡るのが良いのかも知れません。一応歴史をおさらいしておくと、川中島の戦いは計5回12年にわたった戦で、第1次合戦:1553年第2次合戦:1555年第3次合戦:1557年第4次合戦:1561年第5次合戦:156 […]

飯山城(長野県)

飯山城の感想 今回は長野県北東部にある飯山市のお城、飯山城に行ってきました。飯山城は室町時代頃に泉弥七郎が築城したお城ですが、戦国時代に入り、上杉謙信が信濃に進行してくる武田信玄に対抗するための重要な拠点として改修整備したお城でもあります。武田信玄の幾度かの攻めにも飯山城は落ちることは無かったと伝えられています。確かに実際に行ってみると、平山城なのですが、千曲川などの河川が自然の堀の代わりをしてい […]

葛尾城(長野県)

葛尾城の感想 村上義清の居城、葛尾城に行ってきました。と言ってもナビの案内通りの葛尾城の駐車場はとてつもない道を通って行く道で今回は大失敗でした。(道中の動画は下へスクロールしていただくと見られます。)動画では伝わりづらいかもしれないですが、SUV系の車でも腹下をするくらい道がひどいのと結構砂利の勾配がキツく2駆だと空転するような場所もあります。途中からずっと4駆で走りました。あと大きい車も道幅が […]

村上義清公の墓/供養塔(長野県)

村上義清公の墓の感想 村上義清の墓(供養塔)へ行ってきました。村上義清と言えば、武田信玄を2回も撃退した武将。砥石城の砥石崩れなど逸話も多く残っている武将です。真田幸綱(真田昌幸の父で真田幸村の祖父)も村上義清に追い出され上野(群馬県)に逃げていた時期があります。真田は武田側、村上は上杉側につき上杉対武田の有名な「川中島の戦い」につながって行きます。最終的に村上義清は葛尾城を追い出され上杉の領地越 […]

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