関東甲信

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小金城(千葉県)

小金城の感想 小金城は高城氏のお城で、高城氏は諸説ありますが、千葉氏の流れの家系で、原氏の家臣として活躍しこの小金城のある千葉の東葛地域を所領するようになります。高城氏は、原氏に支えた後に、後北条氏と豊臣秀吉の戦いで北条氏が滅亡すると同時に高城氏も滅亡し小金城は1593年に廃城となりました。高城胤則は小田原城でなくなりますが、子の高城胤重が関東を徳川が収めるようになると旗本として召し抱えられたとの […]

花輪城(千葉県)

花輪城の感想 花輪城は平本定虎のお城と言われており、小金城の城主だった高城氏の家臣だったとのことです。平本定虎がどんな武将だったかはよくわからないですが、平本氏は高城氏の支流の家系になるようです。花輪城は小金城の支城だったと思われていて、小金城の高城氏の家柄出自など詳細はあまりわかっていないようですが、千葉氏の系譜で原氏が千葉氏宗家を倒してこの千葉県西部に進出する際に高城氏も従うようになったのでは […]

兎々呂城(東京都)

兎々呂城の感想 兎々呂城はこれで「とどろきじょう」と読んだり、「ととろじょう」と読んだりされるみたいで世田谷区のHPでは「ととろじょう」となってましたが、等々力の地名の読み方に合わせて個人的には「とどろきじょう」と呼ぶようにさせていただきます。 兎々呂城は現在は都立の園芸高校になってしまっていて標柱のみの案内で遺構などは確認できません。校内にも勝手に入れないですし、調べようがないですが仕方ないです […]

大田原城 / 龍城 / 龍体城(栃木県)

大田原城 / 龍城 / 龍体城の感想 『大田原(おおたわら)城』は、大田原資清(おおたわらすけきよ)によって築城され、1543年~1545年には大田原氏の本拠としていたと思われます。大田原氏は元々『大俵氏』だったらしく、14代だった資清の代に「大田原」に改姓したらしいですね。。。この辺の判断など、大田原資清の判断力と実行力には結果的に驚かされますね(〃艸〃)ムフッ大田原氏は那須氏の有力武将の『那須 […]

黒羽城(栃木県)

黒羽城の感想 黒羽城は現在の栃木県大田原市(下野国)にある県北でも那須烏山城と同様に大規模な山城で、白旗城にいた大関高増が新たに黒羽城を築き自らの居城として移り住んだ様です。この大関高増は元々は大田原資清の長男でしたが戦略上大関氏へ養子に出され、大関氏の家督を継いだものと思われます。那須氏の傘下にいましたが1560年小田倉の戦い(白河結城氏と蘆名氏が那須氏を滅ぼすために侵攻した戦い)で、数で劣る那 […]

小幡陣屋(群馬県)

小幡陣屋の感想 群馬県甘楽町の小幡陣屋へ行ってきました。小幡藩は織田信長の次男、織田信雄が初代藩主でこの小幡陣屋は信勝から数えて三代目の織田信昌が建てたものになります。現在は楽山園として綺麗な日本庭園がある公園として観光名所になっています。また、この小幡陣屋の近くに織田信雄など「織田七代の墓」もありますのでついでに寄ってみても良いかと思います。織田信雄はこの小幡藩の祖ですが、実際には小幡の地に居住 […]

旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷(群馬県)

旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の感想 小幡藩の中老を務めた松浦氏の屋敷で1978年(昭和53年)まで住居、蚕室として利用されていたとのことで、建てられたのが18世紀中頃で江戸時代後期というのを考えると比較的最近まで使われていた屋敷と言えます。昭和53年に甘楽町に寄贈されて、現在松浦市屋敷は群馬県指定史跡となっており、建物が非常に綺麗に残っているとのことで学術的にも価値があるとのことです。実際に訪問し […]

下野 白旗城(栃木県)

下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]

大関城(栃木県)

大関城の感想 関東に住んでいてイロイロ歴史の事を調べていると『大関氏』と云う一族の名を知ることが出来ます。大関氏を調べてみると、大関氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・西党・丹党の七党)の丹党の末裔と云われており本姓は『丹治(たじひ)』氏と云われているみたいです。しかしそれはイロイロあって大関高増が大田原氏から養子に入った時に大関氏の系図を書き直し(虚偽)て丹治氏を名乗った疑いが […]

那須与一の墓(栃木県)

那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]

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