関東甲信

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武田勝頼公(夫人/信勝)の墓(山梨県)

武田勝頼公(夫人/信勝)の墓の感想 前回の続きから・・・織田軍の総攻撃に未完の新府城を焼き払い撤退を余儀なくされた武田勝頼は、当初、親族の小山田信茂の岩殿城を目指し共に撤退を行うが、途中、この小山田信茂に裏切られ岩殿城への入城(小山田領地への入国?)を拒否されてしまうため、武田家とゆかりのある天目山棲雲寺(せいうんじ)を目指し、この甲州街道(国道20号線)から外れ現在の県道218号線の日川沿いを進 […]

武田勝頼公腰掛石(山梨県)

武田勝頼公腰掛石の感想 地図を眺めながら・・・『天目山』ってどこなんだよ?ってふと疑問に感じました。武田勝頼さんは説明いらないぐらいの有名な方ですよね。あーじゃーこーじゃーありましたが、武田信玄の跡を継ぎ、戦国最強の武田軍団のTOPとなった武田信玄の四男です。結果的に武田を滅ぼしてしまうので賛否あると思うのですが、俺個人的には非常に能力の高い戦国武将だったので武田を継いだ武将だと思っています。 歴 […]

於曽屋敷跡(山梨県)

於曽屋敷跡の乾燥 今は公園として整備されていますが、しっかりと土塁・堀の跡を残しています。於曽(おぞ)屋敷跡です。於曽屋敷は甲斐源氏の祖となった源義光の子である義清の四男であった、加賀美遠光(かがみ とおみつ)が加々美荘を支配したことから始まるようです。当初、この一帯は旧豪族の三枝一族が支配していたが、甲斐源氏であった加賀美遠光の四男光経と五男光俊がこの地を支配し於曽氏と称したようです。於曽氏の創 […]

武田信春館(山梨県)

武田信春館の感想 武田信春は武田家の9代目当主で、武田信玄の7代前の当主になります。どのような活躍をしていたのかはあまりわかっていないようですが、甲斐国の守護で1413年に亡くなったとされています。現在は慈徳院と言うお寺になっており、信春の菩提寺でもあります。館としての遺構はほぼ無く、標柱がなければ館跡であることも正直わからない場所です。 武田信春館画像ギャラリー 武田信春館情報 築 城 不明 城 […]

勝沼氏館(山梨県)

勝沼氏館の感想 いやぁぁぁ~ナメていました!?(# ゚Д゚)存在は昔から知っていたんですが『館』ってついていたんで、あまり行ってみる気になれずに戦友を誘って城攻めのリハビリ程度に訪問してみました。 『勝沼氏館』・・・マジ神!マジ最高!!!(*`艸´)ウシシシ!!!館っていうか城でも充分いける~♪ 勝沼館は側を流れる日川の河岸段丘に築かれた館で、武田信虎(武田信玄のお父さん)の弟、武田信友が勝沼衆を […]

新井城(神奈川県)

新井城の感想 北条早雲と激しい戦を繰り返した三浦(道寸)義同(よしあつ)の居城と知られ、名門相模三浦氏の本拠地です。混乱を生まないためにあえて上記には記載しませんが、新井城は別名を、荒井城・小網代城・三崎城とも呼ばれており、新井城からクルマで8分(3.6㎞)にある三崎城 や、三崎場周辺の小網代湾のある近辺まで新井城であった可能性があり、歴史小説を読んでいると三浦道寸を攻めて新井城に籠城させた北条早 […]

三浦(道寸)義同の墓(神奈川県)

三浦(道寸)義同の墓の感想 三浦道寸(どうすん)こと三浦義同(よしあつ)のお墓が新井城にあります。 三浦道寸は同寸とも呼ばれることがあり、元々は扇谷上杉氏の子で三浦時高の養子として三浦氏に入りました。しかし、三浦時高に子が出来たため祖父であった大森氏頼を頼りの大森領内の足柄にある総世寺に出家し、三浦義同→道寸(同寸)と名乗ったようです。三浦氏が一族内で分断し混乱していた時に、大森氏頼の力を借りて三 […]

白井城(群馬県)

白井城の感想 白井城は群馬県渋川にある城で、山内上杉氏の家宰であった長尾景仲が築いた城と言われ、この長尾景仲は「関東不双の案者(知恵者)」と称され、孫には北条早雲と同じく下剋上の雄のひとり長尾景春や、外孫には名将太田道灌がいるなど、なかなかの人物であったようです。 白井城は利根川と吾妻川の合流地点に突き出すような台地に築かれた城で、東西800m・南北1200mの規模の城で、中央に本丸を構え、二の丸 […]

長井坂城(群馬県)

長井坂上の感想 何の期待もせずに・・・ただ、今の自分の中で『長井』と言うキーワードが気になってて、たまたまWebのマップで見つけたので行ってみました。 長井坂城です!群馬県の沼田市と渋川市(長井坂城はたぶん渋川にあるんだと思いますがぁ・・・)の間ぐらいにある山城です(”◇”)ゞ 誰が築城したかは不明なのですが、上杉謙信が関東に進出した際にこの長井坂城に布陣し、北条軍と沼田の […]

沼田城(群馬県)

沼田城の感想 戦国時代に越後の上杉、相模の後北条、そして甲斐の武田が争った要衝の地であり、軍事上の重要拠点として『関東平野への入口』とされていたため、多くのドラマが生まれた城です。 築城は鎌倉時代からこの地で有力な国人であった沼田氏であった、第12代当主 沼田万鬼斎顕泰が築いたとされており、当時は沼田の倉内の地に城を築いたことから『倉内城』とも呼ばれていた様です。 沼田城が激戦の舞台に躍り出るのは […]

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