- 2025.08.02
- 入場料無料,
福島正則の墓(広島県)
福島正則の墓の感想 福島正則さんのこと知っていますか!?!?!?!?(〃艸〃)ムフッ 福島正則さんは幼名を『市松』といい、尾張の国二つ寺村で桶屋を営む家の長男だったみたいです。再婚された母親がたまたま豊臣秀吉の母(大政所)だったため、身内として豊臣秀吉に重要視されたようですね~(⌒∇⌒) 幼名、市松は相当の暴れん坊だったみたいで、盗人を捕まえ一刀両断したとか!?!?!?いろんな話が上がるほどの暴れ […]
福島正則の墓の感想 福島正則さんのこと知っていますか!?!?!?!?(〃艸〃)ムフッ 福島正則さんは幼名を『市松』といい、尾張の国二つ寺村で桶屋を営む家の長男だったみたいです。再婚された母親がたまたま豊臣秀吉の母(大政所)だったため、身内として豊臣秀吉に重要視されたようですね~(⌒∇⌒) 幼名、市松は相当の暴れん坊だったみたいで、盗人を捕まえ一刀両断したとか!?!?!?いろんな話が上がるほどの暴れ […]
黒田家廟所の感想 御着城のすぐ隣に黒田家廟所がありました。ここの墓所には黒田重隆(くろだしげたか)黒田官兵衛の祖父と明石正風(あかしまさかぜ)の娘=黒田職隆(くろだもとたか)の正室で黒田官兵衛の母親のお墓があります。また、明石正風(あかしまさかぜ)の娘は黒田家の主君である小寺 政職(こでら まさもと)の養女にもなる方です。つまり黒田官兵衛から見るとおじいちゃんと母親のお墓ということになりますね。こ […]
御着城/天川城の感想 黒田官兵衛ゆかりのお城として御着城へ行ってきました。御着城は黒田家の主君である小寺氏のお城になります。小寺氏は赤松氏の支流で小寺頼季(こでらよりすえ)が祖として始まった氏族になり、黒田氏は黒田重隆(くろだしげたか)=黒田官兵衛の祖父 が小寺政隆(こでらまさたか)に仕えるようになり小寺氏の家臣として頭角を現していきます。重隆(しげたか)の息子、黒田職隆(もとたか)が姫路城代の役 […]
平賀氏城跡の感想 平賀氏城跡は鎌倉時代に平賀義信が築城したと言われているお城になります。その後、平賀氏が代々このお城を居城として戦国時代まで使われていたとのことです。平賀氏は新羅三郎義光(源義光)の子、盛義が祖とされており、長野県佐久市の平賀地域に所領をもらったことで平賀を名乗るようになります。ちなみに新羅三郎義光(源義光)は武田信玄など武田氏の祖でもありますので、平賀氏と武田氏は同じ祖先を持つと […]
内山城の感想 内山城は永世年間(1504年ごろ)に大井美作入道玄岑(おおいみまさかのにゅうどうげんしん)が築城したとされています。1546年に武田晴信(信玄)の佐久侵攻により落城し、その後は武田家臣の小山田 虎満 / 小山田 昌辰(おやまだ とらみつ / おやまだ まさたつ)が城代として入ったお城になります。内山城はその後、1582年に武田氏が滅んだことにより翌1583年に廃城になったようです。そ […]
笠原新三郎(清繁)首塚の感想 笠原新三郎(清繁)は志賀城の城主で武田晴信(信玄)との戦いで敗れた武将です。佐久地域を収めたい信玄が1546年に志賀城を攻めて、笠原新三郎は関東管領だった上杉憲政に援軍を依頼しますが、武田軍は援軍を志賀城に近づける前に碓氷峠の辺りで打ち破ります。その時に討ち取った敵将と敵兵の首を武田晴信(信玄)は志賀城の周りにおよそ3000も並べたと言われております。それから、程なく […]
志賀城の感想 志賀城は武田晴信(武田信玄)の志賀城攻めで有名なお城で、「小田井原の戦い」の中心になったお城です。現在は佐久市内の長閑な場所といった印象ですが、1546年に武田晴信(信玄)は領地拡大のために佐久地域がどうしても欲しく、志賀城城主の笠原清繁(新三郎)に戦いを挑みます。笠原氏は関東管領の上杉憲政に援軍を頼みますが、流石の武田晴信(信玄)、家臣たちに碓氷峠へ向かわせて上杉の援軍を足止めどこ […]
伊能城の感想 伊能城は現在城山と云われる大きな曲輪と他ふたつの曲輪を有する、この地域でいえば結構大きな規模の平山城だと思われます。実際に行ったときはとにかく草が生えまくっててすごく、夏場の山城攻めはかなり厳しいもんだと感じました!苦笑城内は切通の道が築かれており、土塁も小口の曲輪も確認できるはずが何度も言いますが草ぼーぼーで全然よくわかりませんでした!?(´;ω;`)ウゥゥ 伊能城は伊能朝辰が築城 […]
大崎城 / 矢作城の感想 大崎城(現地ではそぉ書かれていので)は矢作城とも云われ、本矢作城の城主第4代目の国分胤長の次男、国分泰胤が城替えして拠ったと云われています。大崎城/矢作城は本矢作城よりはるかに大きな城で、佐原へ向かうための交通の要衝だったため城を築いたんだと思います。もともとこの大崎の地(大崎庄)は足利家の次男である斯波宗家が大崎庄を領有したが、斯波氏が奥州を本拠とするようになり移ってい […]
助崎城の感想 助崎城は現在の千葉県成田市にある尾羽根川の北側にあるこんもりとした小山に築かれた城です!助崎城は千葉 常胤(ちば つねたね)の四男の大須賀 胤信(おおすが たねのぶ)が築いた城と云われており、大須賀 胤信が助崎城を築いた後、新たに松子城を築き本人は移り居城としたため、助崎城は代々大須賀 胤信の子孫が助崎城を守っていたみたいです。 1590年、小田原征伐による豊臣秀吉が進軍した際に、助 […]