- 2024.08.03
- 入場料無料,
旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷(群馬県)
旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の感想 小幡藩の中老を務めた松浦氏の屋敷で1978年(昭和53年)まで住居、蚕室として利用されていたとのことで、建てられたのが18世紀中頃で江戸時代後期というのを考えると比較的最近まで使われていた屋敷と言えます。昭和53年に甘楽町に寄贈されて、現在松浦市屋敷は群馬県指定史跡となっており、建物が非常に綺麗に残っているとのことで学術的にも価値があるとのことです。実際に訪問し […]
旧小幡藩武家屋敷 松浦氏屋敷の感想 小幡藩の中老を務めた松浦氏の屋敷で1978年(昭和53年)まで住居、蚕室として利用されていたとのことで、建てられたのが18世紀中頃で江戸時代後期というのを考えると比較的最近まで使われていた屋敷と言えます。昭和53年に甘楽町に寄贈されて、現在松浦市屋敷は群馬県指定史跡となっており、建物が非常に綺麗に残っているとのことで学術的にも価値があるとのことです。実際に訪問し […]
下野 白旗城の感想 兵庫(播磨国)赤松氏の城で白旗城があるので、ここでのタイトルは『下野 白旗城』とさせて頂きます。白旗城は1394年~1428年ぐらいに大関増清によって築かれた城と云われており、この頃の大関氏は那須家に属した武将集団『那須七騎(主家の那須氏と、一族の蘆野氏・伊王野氏・壬本氏・福原氏と、重臣だった大田原氏とこの大関氏)』の旗頭だった大関氏が大関城から拠点を白旗城に移し築城した(大関 […]
大関城の感想 関東に住んでいてイロイロ歴史の事を調べていると『大関氏』と云う一族の名を知ることが出来ます。大関氏を調べてみると、大関氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・児玉党・村山党・野与党・西党・丹党の七党)の丹党の末裔と云われており本姓は『丹治(たじひ)』氏と云われているみたいです。しかしそれはイロイロあって大関高増が大田原氏から養子に入った時に大関氏の系図を書き直し(虚偽)て丹治氏を名乗った疑いが […]
那須与一の墓の感想 全国で約六ヶ所(もっとあるのかもしれませんね)あると云われている源平の合戦で活躍した『那須与一の墓』が栃木県の那珂川町(なかがわまち)恩田(おんだ)の地にありました。 那須与一は死後、京都の即成院(そくせいいん)に葬られましたが、分骨され那須の地の福原玄性寺(げんしょうじ)に移され、那須与一公とその一族のために供養碑を建てられたものと伝えられています。 那須与一の墓画像ギャラリ […]
羽生城の感想 羽生城の築城はいつだか誰だかわかっていませんが、1550年頃に広田直繁が築いたとも云われています。実は個人的に前々から来たかった城で、長尾景虎(上杉謙信)と北条氏康が幾度となく羽生城を奪い合っており、拠点とすれば重要な城だったんだと思うのですが、あまり詳しく知られていない城として何か心に引っ掛かっていました。羽生城は古河公方に従っていた広田直繁や木戸忠朝らが守っており、長尾景虎と共に […]
下野 壬生城 / 馬蹄城の感想 広島(安芸)にも壬生城が存在(有名か有名じゃないかは別として!苦笑)するため、あえてタイトルは『下野 壬生城』にさせて頂きます!(^▽^)/ 壬生城は壬生 胤業(たねなり)とも壬生 綱重(胤業の息子)とも云われており、胤業が壬生城の近くに今でいう古城を築き綱重が現在の壬生城を築いたらしく、古城も併せ壬生城であったのではないかと思います。これはこの土地に来てみないと感 […]
織田信雄/織田氏七代の墓の感想 織田信雄から始まり、七代目織田信富までの墓が群馬県の甘楽町にあるとのことで行ってきました!織田信雄といえば信長の次男として生まれ、ダメ息子として有名ですよね。もうダメな話が多くて武将じゃなくて愚将なんて呼ばれたりもしますが、この人の子孫しか信長の直系は江戸時代以降明治維新まで生き残っていないので貴重な存在でもあります。信雄ダメエピソードを少し紹介すると、信長の許可も […]
松井田城の感想 群馬県の松井田町にある松井田城へ行ってきました。みなさん行かれる際は2点注意して行かれるようにしてください。まず、1点目「熊」に対してです。音を出す「熊よけの鈴」、もしあれば熊撃退スプレーを持っていると良いかと思います。もし鈴など持たずに行かれた場合は必ず入り口に「お菓子の缶」と「木の枝」を置いてくれていますのでこちらで音を出しながら登るようにしてください。次に2点目は冬以外に行か […]
庭谷城の感想 庭谷城(にわやじょう)は鏑川が蛇行する天然の堀に囲まれた城で、西~南側は土塁(この地方は土居とも云うらしいですね)で守られた、2つの郭をもつ城だった様で、この一帯を支配していた国峰城主だった小幡氏の重臣の庭谷氏の城だったみたいですね。国峰城の支城の役割を果たしていたんだと思われます。元々は山内上杉氏に従っていたのですが、武田氏へ寝返り庭谷氏もそれに従ったとされています。が、武田氏が滅 […]
相模 丸山城の感想 厚木にある『丸山城』です。 鎌倉初期の頃、糟屋有季が築城したと云われています。。。。糟屋氏は武蔵七党の一つ横山党の一族で、源頼朝、頼家に仕え、なんと!?義経の家臣・堀景光を捕らえたり、梶原景時の謀反で追討命令を受けるなど活躍した人物なようですが、比企氏の乱に加担したため糟屋有季は自害したって云われています。。。その後は、室町時代には扇谷上杉氏がこの糟屋庄を支配し、後北条氏の時代 […]