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細野城(神奈川県)

細野城の感想 築城は定かではありませんが、北条氏の家臣の内藤定行によって築かれた城と云われています。巨大な山城、津久井城は津久井氏が築いたと云われていますが、相模国を支配していた扇谷上杉の国人衆の津久井氏はその後北条氏(後北条氏)に圧され、北条氏の家臣である内藤氏が津久井城に入城し、その一族の内藤定行がこの城を築いたと云われています。 細野城は城となっていますが、個人的には砦みたいなものだったんじ […]

宮城野城(神奈川県)

宮城野城の感想 偶然、箱根付近をブラブラしてて見つけちゃった山城です! 『宮城野城』です!?Σ(・□・;) 後で調べたのですが、宮城野城は尾根に築かれた山城らしく、築城は不明ですが小田原近辺を治めていた大森氏が築いたんじゃないかと思われているみたいですね。。。確かかにこの場所は箱根の堅を越えるときの宿場があったんじゃないのかな?って思える場所で、その宿場町を支配するために(お金もですが情報も)大森 […]

足利氏宅跡/鑁阿寺(栃木県)

足利氏宅跡(鑁阿寺)の感想 足利義康を祖とする足利氏の館跡に行って来ました。鑁阿寺(ばんなじ)として本堂が国宝に指定されており、途中で修繕されているとのことですが、1299年に建てられたとのことです。震災など地震もありながら今でも残っていることが奇跡に感じます。今後も大事に残してほしいですね。この足利氏館は義康の息子である足利氏2代目の義兼によって1197年に建てられたとのことです。この義兼の妻は […]

真田氏発祥の地(神奈川県)

真田氏発祥の地の感想 天徳寺内にある真田城のすぐ側に『真田発祥の地』があります。 相模国の真田氏は、相模三浦氏一門である岡崎城主の岡崎義実の嫡男義忠が大住郡真田の地に本拠を置き真田与一義忠と名乗ったのが真田城の起源であるり、相模真田氏の発祥となっているみたいです。石橋山の合戦において、源頼朝軍に参陣し、源頼朝軍の軍勢300余騎は大庭景親の平家軍3,000余騎が石橋山で夜中に合戦となり、真田与一義忠 […]

真田城 / 眞田城(神奈川県)

真田城の感想 相模岡崎城からクルマで約10分(徒歩だと1時間ぐらいかな?約3.6㎞)の場所にあるのが『眞田城』です。我々の中では『真田氏』と云えば信州上田の真田氏なのですが、この相模国にも真田がいたんですね~調べると、この真田は相模岡崎城の三浦氏の流れの様で、岡崎義実(義実は三浦義明の弟)の子の岡崎義忠がこの真田の地に移り住み、岡崎氏から真田氏(真田・眞田・佐奈田・佐那田・実田とも呼ばれているので […]

足利城/両崖山城(栃木県)

足利城(両崖山城)の感想 藤性足利氏の初代、足利成行(あしかがしげゆき)のお城になります。築城はなんと西暦1054年と1000年以上も前に築城されたお城。両崖山は高さは258.6mとそれほど高い山に感じませんが実際はかなりの険しい岩山の上にあるお城になります。遺構的なものは本丸以外あまりよくわからないですが、二の丸、馬場、武者走りなどがあるようです。この足利城は戦国時代には足利長尾氏のお城として使 […]

土屋一族の墓 / 土屋氏発祥の地(神奈川県)

土屋一族の墓 / 土屋氏発祥の地の感想 土屋城から少し下ったところに『土屋一族の墓』と『土屋氏発祥の地』があります(〃艸〃)ムフッ 土屋氏は、鎌倉幕府の御家人として活躍した土屋弥三郎宗遠らしく、この地域(中村郷)を支配していた中村宗平の三男みたいですね。土屋弥三郎宗遠は源頼朝に厚い信頼を持たれていた武将だったらしいです。運命が大きく変わったのが1416年(応永23年)に起きた『上杉禅秀の乱』でした […]

土屋城(神奈川県)

土屋城の感想 神奈川県って意外と面白いですね~(^▽^)/♪鎌倉幕府が設立され、全国に鎌倉(相模国や駿河国)から全国に代官で移り住んで各地を支配していったんだなって思います。。。 土屋城です!!!(o^―^o)ニコ 土屋って聞いてあれ?って思う人が多いと思います。そうです!武田氏の家臣で有名な『土屋氏』です。ここは『土屋城』とも『土屋三郎宗遠館』とも云われ、周りの状況から見れば小高い丘の上に築かれ […]

中居城(茨城県)

中居城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第5弾!!!『中居城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

木崎城(茨城県)

木崎城の感想 勝手に『南方三十三館シリーズ』第4弾!!!『木崎城』です(^▽^)/ 佐竹義重・義宣親子を調べてて、常陸国を治めるにあたって居城だった太田城から水戸城へ移す際に、秀吉の天下の中、未だ従わなかった常陸国の武将たちを太田城に呼び、騙し討ちで皆殺しにした(中には逃げ出せた武将もいましたが後で滅ぼされています)話が合って、その対象が『南方三十三館(なんぽうさんじゅうさんだて、なんぽうさんじゅ […]

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